元INFINITE ホヤ、映画「誕生」でユン・シユンと共演“先に90度のお辞儀をしてくれて驚いた”

Newsen |

写真=ミン映画社
元INFINITEのホヤが、初めて司祭役を演じた感想を述べた。

映画「誕生」(監督:パク・フンシク)に出演したホヤは、ソウル鍾路(チョンノ)区三清洞(サムチョンドン)で行われたインタビューを通じて出演のきっかけなどを明かした。

昨年韓国で公開された映画「誕生」は、朝鮮の道を開拓した青年キム・デゴンの偉大な旅程を描いた物語だ。海と陸地を行き来した冒険者でグローバルリーダー、歴史を変えることができた先駆者の一面と、聖アンドレアに生まれ変わる過程や殉教を感動的に伝える。

ホヤは、朝鮮初の司祭であるキム・デゴンと一緒に留学生活を送った神学生の同期であり、2人目として神父に叙階されたチェ・ヤンオプ役を演じ、原理原則を重視する賢い人物を演じた。

神父役を務めたが、実際は特定の宗教を信じていないないという彼は「朝鮮は儒教の時代でしたし、平等という単語自体がなかったのです。そのように身分の差が大きかった時代に、『人間は平等だ』と言うこと自体がとんでもないことだと思われたでしょう。それにもかかわらず宗教を信じることが不思議に思いましたし、その当時の人々の心理が知りたいと思いました」と説明した。そして、「神様を信じるか信じないかではなく、朝鮮に平等という概念を初めて持ってきた点が、尊敬できると思って関心を持ちました」とつけ加えた。

映画の撮影後に宗教に対する考えが変わったかという質問にホヤは「映画出演が決まってから、町の聖堂に3~4ヶ月ほど通いました。修女から洗礼を受けるつもりはないかと誘われもしましたが、今は通わなくなってしまい申し訳ないと思っています。映画を準備して撮影している間には信仰を持つように努力しました。セリフを言っている瞬間だけは信仰を持とうとしました。結果的にカトリック信者にはならなかったけれど、昔とは違って今は神様という存在が確実にいるような気がします」と伝えた。

中国語、ラテン語、フランス語などの外国語を覚えたというホヤは「編集を経て、韓国語より外国語のシーンが多く登場します。1日に3時間ずつ投資して、外国語を学びました。普段から外国語を勉強することが好きで、英語と日本語の授業を受けていたので、幸い勉強する習慣がついていて大変ではありませんでした」と話した。

司祭の衣装を着た感想について「気に入りました」と答えた彼は「最近放送が終了したMnet『STREET MAN FIGHTER』の出演の前に『Be Mbitious』という番組にも出演したのですが、そのオーディションを受ける時に司祭の服を着てダンスを踊りました。そのおかげで合格したんじゃないかと思いますね」と話した。

写真=ミン映画社
彼はキム・デゴン役を務めたユン・シユンとの共演について「驚いたのが、僕を見て先に90度のお辞儀で挨拶をしてくれたんです。これまで活動してきて、先輩が先に90度のお辞儀をしてくれたのは初めてでした。ですので僕はもっと丁寧なお辞儀をしました。本当に驚きました」と出会いを回想した。

「新しい方々に会う時はすごく緊張します」というホヤは「その時も冷たい方だったらどうしようと緊張していましたが、先に近づいてくださったので、心を開くことができたんです」とし「キム・デゴンとチェ・ヤンオプはものすごく仲良しでした。撮影中ずっと楽にできるよう気を使ってくださって、本当に嬉しかったです」と伝えた。

またアン・ソンギは、血液がんで闘病中に「誕生」に出演し、好演した。アン・ソンギについて「韓国映画界において象徴的な方ですので、一緒のシーンをすごく期待していました」と話したホヤは「僕が先輩の演技について話すことは失礼だと思います」と前置きした。

そして「ただ、印象深かったことがありました。とても寒い日に外でワンシーンを撮るため、待ち時間まで合わせると6~7時間かかった時があったんです。その長い時間、後輩たちをまるで叔父が孫たちを見るように温かく見つめていらっしゃいました。それが本当に印象深く、素敵な大人だと思いました。感動的でした」と話した。

一緒に撮影しながらも、アン・ソンギの闘病を全く知らなかったというホヤは「記事を通じて知ってとても驚きました。全くそんな様子は見せなかったからです。とても寒い日でも、不満も言わずに撮影されていたことが遅れて思い出されました」と回想した。

それと共に「自ら反省をたくさんしました。何日か徹夜をしたり、風邪気味の時にスケジュールをこなしたことはありますが、すごく具合の悪い状態で活動をしたことはありません。それでも休む時間には駄々をこねたこともあったのですが、そんな自分の姿が恥ずかしくなりました」とも打ち明けた。

写真=ミン映画社
司祭の衣装を着た感想について「気に入りました」と答えた彼は「最近放送が終了したMnet『STREET MAN FIGHTER』の出演の前に『Be Mbitious』という番組にも出演したのですが、そのオーディションを受ける時に司祭の服を着てダンスを踊りました。そのおかげで合格したんじゃないかと思いますね」と話した。

「STREET MAN FIGHTER」出演に対しては「周囲の人はみんな出演に反対しました。お母さんまでです」と明かして注目を集めた。彼は昨年5月に韓国で放送されたMnet「Be Mbitious」を通じて選抜されたダンサーたちで構成されたプロジェクトチームMBITIOUSとして「STREET MAN FIGHTER」に出演した。MBITIOUSは回を重ねる度に強いチームワークと情熱溢れるステージを披露し、最終的に3位となった。

彼は「友達がSNSに『Be Mbitious』のオーディションに応募したと上げたのを見て『頑張って』と言いました。それが締め切りの2日前だったのですが、突然僕もやってみたいという気持ちになったんです。歌手から俳優に転向したという記事をたくさん見ますが、一度も歌手から俳優に職業を変えたと思ったことはありません。曲の制作もいつもやっていますし、ダンスの練習も毎日やっています。だから練習室で踊るのはやめて、僕が踊る姿を見せようと思いました」と話した。

「周りの人にアドバイスを求めましたが、みんなが反対しました」と話したホヤは「母はできる限りメディアにたくさん出てほしいという人なのに、初めて反対したのが『Be Mbitious』だったんです」とし「それなりのキャリアがあるのに、あえてなぜダンスをするのかという考えだったようです。また、ダンサーたちが出る番組ですが、僕が負けたらどうしようという思いもあったようです。有名な人であっても、『大したことない』という風に悪魔の編集をされると思うとみんな反対しました。でも僕は『なぜみんな落ちると思っているの?』と思いました。僕はその時も今も、ダンサーよりも僕がもっとうまくダンスができると思って『僕が勝つだろう』という気持ちで応募しました」と自信を語った。

サバイバル番組を2つもこなした彼は、「『Be Mbitious』に応募する1ヶ月前に祖母が亡くなりました。過去、祖母と1年間一緒に住んでいた時がありました。とても悲しかった時、『Be Mbitious』という機会がやってきて、怖かったけれど祖母が助けてくれるような気がしたんです。おかげで挑戦ができました」と話した。

彼が所属しているMBITIOUSは「STREET MAN FIGHTER」で3位となった。「その番組に出演したからといって、僕の人生がドラマティックに変わることはありませんでした」と話したホヤは「最も良かったことは、MBITIOUSのクルーたちに会えたということです」と愛情を示した。

記者 : ペ・ヒョジュ