「UNPRETTY RAP STAR 3」Ash-B“地獄のような1年を送った”

OSEN |

写真=「bnt」
ラッパーAsh-Bが非好感イメージの定着で大変な時間を過ごしたと率直に打ち明けた。

Mnetの女性ラッパーサバイバル番組「UNPRETTY RAP STAR」シーズン2と3に出演し、ラップに情熱を見せたAsh-Bが最近「bnt」とグラビア撮影およびインタビューを行った。

Ash-Bは「高校3年生のとき、低価格のマイクロラップを録音してコミュニティサイトにアップロードした。井の中の蛙だったが、うまいというコメントが付くと本当に気持ちよかった。「UNPRETTY RAP STAR2」の前までインディーズで活動するラッパーだった。公演会場を借りるためにお金を集めていたし、家族からの経済的支援もなかったので大変だった」と振り返った。

続けて「母親が教会の執事(役員) だ。私が最初は扇情的で刺激的な題材の歌詞を書いたので母親はそれがとても嫌いだった。同じ教会の執事さんが私の歌を母に悪く言ってもっと嫌いになったと思う。ヒップホップはセクシャルな部分でインスピレーションが得られるジャンルだと思う。今は私がとても韓国の情緒とは合わない歌詞を書いたことに気付いたが、そのときは私の歌を拒否する母親のことが理解できなかった。3ヶ月間会話もなかった」と語り続けた。

写真=「bnt」
また、彼女は「刺激的な歌詞への欲を捨てて大衆性に焦点を合わせた。私の過去の楽曲が敬遠された理由は大衆的でなかったためだと思う。いくら歌詞に性的な要素が入っていてもパク・ジェボム先輩のように大衆的なビートと心に響くメロディを使えば人々は楽しんで聞く」と話した。

Ash-Bはラッパーになる前、家具デザイナーとして仕事をしていた。彼女は「韓国の家具デザイン会社に勤めていて、私がデザインした家具がサイトにアップロードされたこともある。一年ほど仕事をして母親に給料もあげられたし、やりがいもあったが、音楽を聴くことができなかったので辞めた。イヤホンをつけると仕事ができないから昼休みにも歌を聴くことが禁止になっていた。それでトイレでこっそり10分、15分ずつ歌を聴いた。だんだんストレスが溜まってきたし、音楽する人々がうらやましくなって会社を辞めることになった」と伝えた。

いくら忙しくても歌の作業は一日も欠かさなかったAsh-Bは23歳のとき1stアルバムを公開し、ラッパーとしてデビューした。「私の歌を知らせるため『UNPRETTY RAP STAR2』に出演した。Ash-Bがどんなラッパーなのか見せたいと思ったが、サバイバルで落ちた。『UNPRETTY RAP STAR3』の途中に投入されるまで本当に地獄のような時間を送っていた。被害者意識が強くなって人々は皆私のことが嫌いだろうと思った。1人ではなく、多くの人が私に好感を持たないなら、それは私の過ちだ」と話した。

「実は、私はオーディション番組に向いてない。歌詞を早く覚えられないのにここでは歌詞を早く覚えるのが基本だから。限界にぶつかりたくなかったので最後までチャレンジした。結局『UNPRETTY RAP STAR3』を通じて努力の結果を見せることができた。それから人生がかなり変わった」と付け加えた。

「UNPRETTY RAP STAR」撮影現場の実際の雰囲気について聞いたら彼女は「『UNPRETTY RAP STAR2』は番組より実際の雰囲気がもっと殺伐だった。たとえ最後まで生き残ることができなかったが、最後にも競争する雰囲気だったと聞いた。『UNPRETTY RAP STAR3』は、参加したアーティストの個性が強くて競争よりは自身のスタイルを見せる、個性を競う場だった。私は自分のことを『dope』だと思う。他の方々には慣れないところが私には大衆的に感じられる。そこが私の個性だと思う」と答えた。

写真=「bnt」
最も印象深かったラッパーを尋ねるとBrown Eyed Girlsのミリョを上げ「ミリョ先輩はクールなイメージとは違って少女のように可愛い」と伝えた。また「『UNPRETTY RAP STAR』のおかげで多数のラッパーが水面に上がってきているが、相変わらず韓国では女性のためのステージが多くない。『UNPRETTY RAP STAR』のように女性ラッパーが活躍できる番組が増えてほしい」とコメントした。

また、Ash-Bは「大衆とコミュニケーションするため味があって可愛い感じの楽曲を準備した。男女関係について共感のいく歌詞を書いた。最初から私のスタイルを認めてほしいと欲を出したくはない。いくら音楽が良くても人々に聴いてもらわなければ私だけの歌になるだけだ。短期的な目標は音楽ランキングTOP30をキープすることだ。長期的には人々が私の歌をたった一小節でも一緒に歌ってくれるよう努力することだ。その後ラップがうまい人々を集めてプロジェクト形式でミュージックビデオも撮ってみたい」と希望を語った。

記者 : チェ・ナヨン