「愛のタリオ」イム・ピルソン監督“いやらしくない?典型的でないベッドシーンを演出しようとした”

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イム・ピルソン監督が韓国映画界に占める位置は特別だ。今まで彼は“商業映画”を掲げながらも“B級感性”を強く漂わせ、既存の観念を風刺したり、ねじる試みをして来た。自ら「“トク”(オタクの韓国語の発音の略で、特定分野のマニアを示す言葉)らしい映画やブラックコメディに自信がある」と語るほど確固たる信念も持っている。

そのような彼が「愛のタリオ」を披露した。チョン・ウソンと新人のイ・ソムを主人公にし“痴情恋愛”との上着を着せた。イム・ピルソン監督は決然たる言い方で「視覚的にも品格があり、大衆性もさらに考慮した」と述べた。

前作「人類滅亡計画書」以来再会した彼は痩せていた。献立を管理してダイエットをしたという。映画と健康の回復に集中した過去を振り返り、イム・ピルソン監督は俳優の組み合わせと世間で提起した評価に対する監督の弁を語った。

チョン・ウソンが「愛のタリオ」に出演しなければならなかった理由は

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「愛のタリオ」は投資配給会社のCJエンターテインメントで草稿を出した、一種の企画作だ。ちょうどイム・ピルソン監督の前作「ヘンゼルとグレーテル」の投資を担当した人が、彼の長所を忘れず今回の映画を提案した。イム監督はまだ商業映画としての実力を検証されていないものの、作品と俳優に接する態度や可能性だけは十分との判断からだった。

「人とコミュニケーションする技術があると信じていただいたと思います。チョン・ウソンさんとイ・ソムさんを絡ませることが簡単ではありませんでしたが、少なくとも彼らが俳優としての羽を広げる地点を見つけたかったです。

ウソンさんを選択したことは、映画では問題のある人間として出ますが、少なくとも女性観客に哀れみの情を感じさせる俳優だと思ったからです。シナリオを受け取った彼が『なぜ僕を試そうとする』としながら悩んだりもしました。本人の決断です。視覚障がい者や父の役割は初めてで、痴情恋愛もまた、したことがなかったので挑戦したと思います。

イ・ソムさんは潜在力が大きい俳優だと思いましたが、今までは安定的な小さい役しか演じていませんでした。野生的な感じもある人なので、それを爆発させかったです。撮影に入る1ヶ月前から一緒に練習し、感情に対する理解度を上げて行こうとしました。かなり扇情的だと評価されますが、ただ情事のシーンを入れるための情事のシーンは撮らないと公言しました。女優を消耗させないとの意味です。

一部の男性観客から淡白すぎると評価されたりもしますが、女優の特定の部分を強調するよりはハッキュ(チョン・ウソン)との情事により、これから展開される状況を暗示したかったです。他の映画と比べ『いやらしくない』と言われたら何も言い返せませんが、典型的でないベッドシーンを演出しようとしました」

「愛のタリオ」について周りでは「ヘンゼルとグレーテル」「人類滅亡計画書」に続き、彼が残酷童話3部作を完成したとの評価もあった。イム・ピルソン監督は「意図したことではなく、偶然アダルト映画と残酷童話の性格のある作品を撮ってきたこと」とし「7年ぶりに長編(『人類滅亡計画書』の公開は2012年だが、作品を完成させた年は2007年だ‐記者注)を出すため、特定の意図を持って話す立場ではなく、ただ愛の純粋さと辛い恋の切なさを盛り込みたかった」と説明した。

「愛のタリオ」の惜しいところ?“品格のあるマクチャンドラマだといっても良い”

映画が公開され観客から観られるだけに、様々な評価が出ている。そのうち映画に対する批判を中心に彼に質問した。観客の立場で、もしかしたら見落としている部分があるかどうかチェックするためだった。まず「沈清伝(シムチョンジョン)」をモチーフにしたというものの、その美徳が「愛のタリオ」には全く入っていないとの指摘がある。

「本来の分量にはチョンイ(パク・ソヨン)が日本に行く船から落ち、竜王を象徴する描写もありました。内部的に試写する過程で様々な意見を集め、10分ほどを省略したものが、今のバージョンです。人々がハッキュとチョンイの関係より、ドギとの関係に興味がありました。ドギは序盤から感情を積み上げてきたキャラクターでもあるからです。古典にはペンドクが典型的な悪妻に描かれ、描写もほとんどなく、ハッキュとの関係を設定することが新鮮だと思いました。

実は『沈清伝』とは関係なく、独立したテキストとしてみても良いとも思います。トロント映画祭で上映する時、カナダの観客たちは『沈清伝』とは別に、ただアジアの新しいジャンル映画として受け入れていました。また、あるアメリカの記者が原典のストーリーが足りないと評価したこともあります。

好き嫌いが分かれる映画ということは確かですが、少なくとも女性観客の立場から撮ろうと努力しました。簡単に言って高級な俳優が出る品格のあるマクチャンドラマ(日常では起こらないような出来事や事件が次々と起きる韓国特有のドラマ)だと思っていただいても結構です。もちろん、本当のマクチャンドラマとはまた違う感じではあります。悪女のキャラクターがよく出るこの頃ですが、映画では新しいタイプの悪女を作りたかったです」

「些細なことからものすごい出来事が始まる」イム・ピルソン監督が語った「愛のタリオ」の本当のモチーフだった。純粋な少女ドギに出会ったハッキュが、無心に見えながらも彼女に近づいたことが欲望の始まりだったこと。妻がいたハッキュが、もう一つの恋におぼれ始めたのは、同時に悲劇の始まりでもあった。イム・ピルソン監督は「非倫理的なストーリーだが、結末を見ると倫理性もある」と説明した。ハッキュに捨てられたドギの復讐に恋の感情が残っていて、ハッキュは本当の自身の姿に目覚めることになるためだ。

「アイディアと俳優たちを引き立てる作品を作りたい」

イム・ピルソン監督は「愛のタリオ」の前まで「週末の王子」「悪の華」などを準備していた。「週末の王子」はキャスティングまで終えたが、最後の投資過程を残して監督の座から降りることになった。興行性が証明されていないとの理由で、若い監督たちがたびたび経験することだ。「愛のタリオ」の公開の後、イム・ピルソン監督はフランスの大文豪ボードレールの詩集の名前にちなんだ「悪の華」のシナリオ作業に集中していた。

「どうしても『愛のタリオ』の成績を見守るしかないでしょうね(笑) 本来のタイトルは『幻想の恋人』でしたが、偶然家の本棚に並んでいた詩集を見て『悪の華』にタイトルを変えました。遥かに(煽情性の)強いシーンが出そうです。欲望に対する探求はもちろん、依然としてブラックコメディやオタク映画に自信があります。強いコメディもしてみたいです。今も様々なアイディアがあります。それを活かしながら俳優たちを引き立てる映画を作りたいです」

チョン・ジウ、イソン・ヒイル、ミン・ヨングン、パク・チャノク監督など、いわゆる青年精神を掲げながら若い感覚で作品を作っていた“青年フィルム”のメンバーたちがいた。イム・ピルソン監督もまた、その共同体出身だった。青年フィルム自体は依然として健在だが、2000年代初頭のメンバーの中でかなりの数はそれぞれの道を歩んでいる。イム監督はその時にお互いが共有した感性を記憶しながら作品活動をしようとする。

「今や伝説になったクァク・キョンテク、ポン・ジュノ、パク・チャヌク監督も2、3回の失敗がありました。『アジョシ』のイ・ジョンボム監督もその後の作品では人気を集められませんでした。映画アカデミー、忠武路(チュンムロ:韓国の映画界の代名詞)で助監督をしていた方々が映画界の財産であり、脊髄ですが、軽く扱われることが残念です。個性のある新人監督、独立映画監督を引き続き登用すべきだと思います。

最近、韓国映画があまりにも国内市場中心になっていることが残念です。失敗に対する対価が確かに存在するため、どんどん保守化されているようです。1千万人の観客が入る映画も大事ですが、100万、150万観客用の映画も多くないと健康な業界にはなれないのではないでしょうか」

記者 : イ・ソンピル、写真 : イ・ジョンミン