【K-POP制作所】SMミン・ヒジン室長「SMは怖い組織ではなく、純粋で一生懸命な組織」

OSEN |

「コンセプトは何ですか?」

新しいアルバムがリリースされる度に、記者たちが事務所に対してする最初の質問だ。返答にはいくつかパターンがある。セクシー、キュート、変人、カリスマ、ラブリー。ところが、特にこの質問への返答を難しく思う事務所がある。アイドルの名門、SMエンターテインメント(以下SM)だ。

SMは、新曲がリリースされる前に各メンバーの予告写真に予告映像、アートフィルムに至るまで色んな“ネタ”を見せながらファンたちの期待を高めているが、これらのコンセプトを一言で定義するのはなかなかに難しい。カラフルな衣装を着てぼんやりした表情をしているSHINeeや、わけのわからない風呂敷を頭にかぶったf(x)を、どう表現すればいいのだろう。語彙力が一般レベルである記者は、そのためSM関連の記事には“ユニークだ”という単語だけを乱発してきた。

そこで気になった。このユニークな“スタイル”を作りだす人はだれなのか。彼女についてもまた、“ユニーク”と表現するしかなかった。業界1位を誇る大型事務所で“挑戦”を楽しんでいる人。芸能事務所の中でも最もシステムが発達している所で、最も変わった想像をめぐらす人。それは、ビジュアル&アート室のミン・ヒジン室長である。

彼女の仕事は、“形良く作られた”SMの作品に想像力を吹き込むことだ。EXOに制服を着せ、f(x)の初恋にはピンク色を与えた。ソウル清潭洞(チョンダムドン)、まるで未来の空間のように四方が白く輝くSMのオフィスで彼女に会った。インタビューが終わってから「あまりにもワーカーホリックに見えてしまうのでは」と心配していた彼女との“おしゃべり”をそのまま公開する。

―入社はいつでしたか。

ミン・ヒジン:2002年に、公開採用で入社しました。

―もしかして、SM音楽のファンでしたか。

ミン・ヒジン:私の好みとは相当距離がありましたね。流行っている音楽にあまり関心がなかったのでよく知らないのもありましたし。子供の頃から自分が聞きたい音楽だけ聞いて過ごしていました。7~8歳の頃、父が聞いていたいろんな国のLPをはじめ、当時有線放送で聞いていた映画のOST(劇中曲)を聞いてショックを受けました。ジャズをベースに、ヨーロッパをはじめとする第3世界の音楽に興味がありました。だから、SMへの入社はむしろ面白そうだと思いました。

―変な選択ですが(笑)

ミン・ヒジン:私とは遠くても、世の中とは遥かに近い世界でした。大衆美術を専攻していただけに、大衆と心を通わせたいという思いもありました。消耗的というよりはインスピレーションを与えるグラフィック作業をやってみたかったんです。70年代イギリスのデザイングループヒプノシス(Hipgnosis)に子供の頃感動したことがありました。特に韓国の“アイドル”という、変形、特化されたジャンルで自分が企画したものを披露したら、アイロニックながらも刺激的なことではないかと期待しました。

―当時もSMは大型の事務所でした。柔軟なばかりではない組織だったはずですが。

ミン・ヒジン:当時は、エンターテインメント業界の現状など、すべてのことが今とは多く異なっていました。最初はもちろん、与えられたミッションをうまくこなすのが課題でした。アルバムの制作においてコンセプトとグラフィックスの連携、その派生の重要性について認知している人は多くありませんでした。アルバムのジャケット撮影、デザイン、スタイリストなど、担当マネージャーがそれぞれ外注に任せていた時代でした。そのような状況を知り、最初はあまりにもショックでした。そのため、序盤は仕事そのものよりは外的な問題、組織を構成しているプロセスが非常に大変でした。すぐ作れそうだったのに、思ったより長い時間がかかりました。慎重にならざるを得ませんでしたし、良い知略が必要でした。新入社員が大きな声を出すには当然限界もありましたし(笑) 私は少しせっかちな方なのですが、それでも仕事を通じて待つことを学んだような気がします。

どこでも規模の大きな組織はまるで息づくような岩とも同じだと思います。生命はありますが、動きが鈍いんです。大きな組織を柔軟に動かすには、粘り強くすることが必至です。忍耐と情熱、その小さな瞬間が集まって最終的に“大事”を作っていくと思います。今も進行形なんです。

―では、最初に自身の企画通りにできた仕事は何でしたか?

ミン・ヒジン:大げさに企画を通したというよりは、初めて組織的に働いたのは、東方神起のクリスマスアルバムだったような気がしますね。コンセプト、撮影、セット、デザインにおいてそれなりのロジックを作って取り組みました。“ギフト”というコンセプトで、5人のメンバーたちがマニト(秘密の友達)のように、他のメンバーに贈りたいクリスマスプレゼントという設定を作って、アルバムそのものはファンへのプレゼントという定義の下で作業しました。アルバムを購入したファンたちも、他の人にプレゼントできるというコンセプトです。

実は、何より一貫して明確なビジュアライズのためには、デビュー当時から始めることが重要です。少女時代の結成当時、少女時代というグループ名を聞いてイ・スマンプロデューサーにイメージマップを作ってアルバムジャケットのビジュアルコンセプトと私が描く少女時代の全体的なビジュアルの方向性について説明しました。少女が、“どのような”少女であるかが重要だと思ったんです。

―アピールには成功しましたか?

ミン・ヒジン:少女を“どのように”表現するかが鍵でした。アルバムコンセプトとアルバムジャケットの衣装、デザインなどアルバム全般のビジュアルをはじめとする全体的なアイデンティティと方向性まで意見しました。これを聞いて、全チーム長に共有して欲しいと言われました。当時はステージ衣装の権限はなかったのですが、それからは少しずつもっと多くの部分に関与することになりました。

―このようなことを申し上げるのもなんですが、正直まだ正確にどのようなお仕事をされているのか今一つ掴めませんが(笑)

ミン・ヒジン:一つの仕事をしていないと、誰もが戸惑うようです。いったい、どこからどこまで働くんだと(笑) もしかすると、私の仕事自体がもともとあった仕事ではないので、理解できないのも当たり前だとも思います。企画者であり、かつビジュアル作業者、時にはマーケターとしても働きます。必ず必要な仕事や、面白い仕事をやりたいです。

―1日の流れはどのようなものですか?

ミン・ヒジン:朝目覚めるとメールとスケジュールの確認。主に昼間は色んな会議や打ち合わせが多いですし、午後から夜まではほとんどグラフィックの作業をします。作業の方が立て込んでいる時は、1日中作業することもあります。このように話すと、会社人間みたいなので(笑) 暇があれば当然余暇を楽しみますよ。仕事とプライベートを切り放すというよりは、仕事そのものを楽しむ面もあります。実際、プライベートが楽しくなければ、どんなアイデアも思い浮かびません。

―特に記憶に残るアルバムもあると思いますが。

ミン・ヒジン:やはりSHINeeのアルバム「ROMEO」が一番記憶に残ります。自分が企画したことを完全に実現したアルバムです。だから、「ROMEO」というアルバム名も提案しましたし、企画していたイメージを実現するために写真家の交渉にも力を入れました。最初は、自分が撮ろうかと悩んだほどです。自分の考えは自分が一番よく知っているので。他人には説明できない、微妙な部分を捉えるのが鍵でした。

わざとメジャーな写真家よりは、少し慣れていない方を探しました。

―SMがメジャーでないスタッフを探すなんて、あまり合わないですが(笑)

ミン・ヒジン:だからもっと面白いんです。合わないから、さらに面白くなるんです。そして一方では、皆が期待していた組み合わせだったと思います。生まれつきメジャー、マイナーなんてないはずです。仕事において、目的と結果だけ満たされていればいいわけで、そのような無意味な境界はあまり好きではありません。

でも、最初の打ち合わせの時、なんと写真家も戸惑っていました。どうして自分たちを起用したかと(笑) 私は企画と目的を一生懸命に説明して、なんにも縛られない自由な作業方式を提案しました。いつでも、意外なこと、意外な出会いが世の中を楽しませると思います。

―これで、室長の業務が少しずつ見え始めました(笑)

ミン・ヒジン:中心のない、いきあたりばったりな作業はあまり好きではありません。一種の、“ストーリーテラー”の役割をしていると思います。

数年前、非常に疲れている時期だったのですが、偶然RobertDelpireの展示を見て、驚異的なカタルシスを経験しました。会場でたくさん泣きました。当時仕事に対して寂しさが大きかったのですが、Delpireの作品と一生を通じて、大きな慰めと得体の知れぬ安堵感に包まれました。再び力を出せるきっかけになりました。

―SHINeeとf(x)は、本当にユニークです。

ミン・ヒジン:“ユニーク”は、褒め言葉に聞こえますね。ありがとうございます(笑) SHINeeとf(x)は、私が以前から描いてきた、“一定の”イメージを投影したグループです。「このようなイメージのグループが出てくれば面白くないだろうか」と思っていました。その思いが、メンバーたちの個性と相まって新しい相乗効果を生み出した時、嬉しくなります。

―ですが、その2つのグループは、コンセプトが難解だという評価もあります。

ミン・ヒジン:常に目標は一つです。企画した目的であるメッセージを、うまく伝えているか。目的を出来るだけ壊さないで、大衆と心を通わせようと思います。どうせ、すべての人を納得させることはできません。互いの親切さの度合いが違います。

そうだとしてそのような点を無視してもいません。必ず守らなければならない中心との間隙で、うまく引き合いをしなければなりません。

―EXOの話をしなくてはなりません。30代の私も、「Growl」は聞き続けました(笑)

ミン・ヒジン:EXOのメンバーたちは、セクシーさと若々しさが共存するキャラクターを持っています。デビュー当時からそのような、彼ら本来のキャラクターを浮き彫りにさせました。「Growl」という曲を初めて聞いて、制服が思い浮かんだのもそのような理由からでした。

最初のタイトル曲“狼”というキャラクターも、ストレートにアプローチするよりは“狼=男らしさ=少年の情熱”というふうに置き替えて考えました。子供じみた、情熱に満ちた少年の感性が、“狼”の持つ属性とうまく合うと思いました。それで、2番目のタイトル曲の「Growl」とも自然に繋がり、恋に落ちた情熱あふれる少年のストーリーを、“学校”というコンセプトの中に率直かつシンプルに盛り込みたかったのです。

―仕事が楽しそうですね。室長のような仕事をしたいという人も多いでしょう?

ミン・ヒジン:一見どう見えるかは知りませんが、かっこよく楽しいことばかりではありません。もちろん、私にとって面白い仕事ですが。得るものがあれば、失うものがあるという言葉があるじゃないですか。時間と努力を投資しないで、結果だけを求める人たちが次第に多くなっているようで。どう聞こえるかはわかりませんが。

私は、作業する度にサバイバル番組を撮影するように取り組んできたと思います(笑) ここ数年間、ほとんどパーカー姿で出社しました。会社でよく寝ていたので(笑)

―ああ、そんなこと言ったらチームのメンバーたちが嫌がるのでは(笑)

ミン・ヒジン:うちのメンバーたちは私のことをよく知ってるので(笑) 誰も私に残業させなかったように、私も他の人に残業させたりしません。ただ、与えられた時間内にベストな結果を出すことを望むだけです。

―ベストを出すには、定時退社なんてできないはずですよね?(笑)

ミン・ヒジン:仕事を必ず会社でやる必要もないんです。そうしたいなら家でやっていいと言います。自分のスケジュールを運用するのも能力のうちだと思います。遅延出勤という制度もありますし、やむを得ず遅れる時は負担に思わずにメールを送るように言います。あまりにも残業が多いので、いちいちとやかく言いたくありません。楽しいことが重要です。夜は必ず寝なければならない人に、残業を強いるのはあまりにも過酷だと思います。自分のスケジュールをうまく運用して、夜ではなく早朝に出社し、早く帰宅することもできると思います。

個人的には、プレイグラウンドみたいな会社を作りたい夢があります。でも、思ったより柔軟な方式に適応できず、表情を伺う人も多いです。詰め込み式の教育の弊害だと思います(笑) この仕事をとてもしたくて入ってきてもすぐにあきらめる人をたくさん見ました。本当にしたいことがあれば他人より快く、楽しく自分の時間を割くことができなければならないじゃないですか。いつ、どのような形であれ、きっと相応しい実を得ることができます。世の中、ただで与えられるものはないんです。

―SMと言えば普通、巨大事務所、音楽工場のような膨大なシステムが先に思い浮かびますが。SMと想像力、SMと固定観念破り、SMとミンさんのキャラクターはすぐ結びつきませんね。

ミン・ヒジン:膨大で怖い組織というよりは、純粋で一生懸命な組織です。どの利益集団より人間的で純粋だと思います。だから、外部から描写されるSMの姿に、たまに戸惑うことがあります(笑)

―エンターテインメント業界の従事者として、ミンさんが一番重視していることは何でしょうか。

ミン・ヒジン:私は、固定観念に囚われないように努力しています。いつも柔軟な思考を目指しています。安住した瞬間、面白くなくなるじゃないですか(笑)

記者 : イ・ヘリン、写真 : SMエンターテインメント