メイダニ、JYP4年&YG4年…そして独り立ちして4年

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小学校4年生、11歳で最初の一歩を踏み出した。いつかステージに立つという夢を持って毎日を耐え抜いた。そうやって8年を過ごした。その中で2度の試練を経験した。その度にゼロからやり直した。若くてまだ諦めることはできなかったので可能だった。そして、歌手メイダニ(MAY DONI)としてステージに立つ日が、現実のものになった。

公開オーディション出身そして8年間の練習生時代

2001年、公開オーディション番組の元祖とも言えるSBS「超特急、日曜日万歳」のコーナー「パク・ジニョンの英才育成プロジェクト99%の挑戦」に出演し、若くしてダンスを自由自在に踊ることができるという理由で抜擢された。番組を率いていたパク・ジニョンの目に入り、JYPエンターテインメント(以下JYP)の練習生として合流した。Wonder Girlsのソネや2AMのチョグォンと同期だ。

でも中学1年生の時、やむ得ない状況があり、事務所を辞めるしかなかった。決める権利はあったけれど、残留は選ばなかった。目の前の出来事とそれ以上向き合いたくなかった。一瞬で事務所に違和感を覚えた。幸いなことに、また新しいチャンスは巡ってきた。

YGエンターテインメント(以下YG)からラブコールがあった。新しい事務所に入り、練習生として再スタートした。可能性があると注目を浴び、デビューの夢を再び見始めた。毎日ダンスや歌、演技、外国語を学んだ。でも、社会は決して容易いものではなかった。完成した作品も一夜で取り消しとなり、手にしたと思った成功も空しく崩れていった。8年はそうやって過ぎていった。

それでも、その中で得たものもあった。社会生活を同年齢の子たちより早くはじめたので、人間関係や社会性は良い方だと思う(笑) 当時10歳以上年齢が上の姉さんや兄さんたちの中で生活していたから、センスも行動も気が利く必要があった。状況そのものが、大人っぽくなるしかない状況だった。だが、その中だけで生活していたので、純粋な面もある。これはすべての練習生の共通点だと思う。大人っぽいけれど、同時に大人っぽい子供なのだ。時々私も自分の時間が16歳で止まっているような気がする。

今考えてみると、あまりにも幼かったのでそれだけ長く練習生を続けることができたと思う。多分、今それをやれと言われたらできない。正直、あまりにも多くの子達が練習生として縛られている。平凡な幼少期を送ることができず、盲目的に歌手を夢見ている。私もキャンプ1回、修学旅行1回だけで学生時代を振り返っている。その部分には後悔が残っている。練習生にとって練習室は学校であり、先生と友達は練習室で出会う人々だ。世の中をあまりにも知らない。ただ外見だけが大人になってしまう。

歌手、女優そして10年後の私は…

2ndシングル「Beginning」で4年ぶりにステージに立つ。独立して4年となる。ステージで歌を歌い、ダンスを踊る瞬間が一番幸せ。個人的にはロックバラードジャンルが一番好き。私も人々を熱狂させるようなロックステージを披露したい。今年は頑張ってアルバムを発売したい。ペク・チヨン先輩のように、ソロアルバムとOSTのレコーディングを並行したい。日本での活動も積極的に行いたい。それが着実に日本語の勉強をしている理由。

偶然、2011年に映画「ホワイト」で主演を務めることになった。500人の応募者が集まったオーディションに参加し、抜擢された。思ってもいなかった挑戦だったけれど、勇気を持って踏み出した。監督の応援のおかげでスムーズにデビュー作を終えることができた。これまでソロだけで活動してきた私が、映画を通じてグループ活動を体験した。いつかはコラボレーションあるいはロックバンドをやってみたいと思うようになった。

芸能人としての才能は父の影響だと思う。おかげで時々疲れきった時には家族から応援される。私のデビューは両親や姉の積極的な支持があったからできたこと。一人だったら、決してここまで来ることはできなかった。姉も歌手デビューを準備中だ。私とは顔立ちも音楽のスタイルも違う。それぞれのカラーで人々にアピールしたい。

今のメイダニになるまで、12年必要だった。これまで培った実力で、長く人々のそばにいたい。5年後の私はどう変わっているのだろう。もしかしたら、ソネ姉さんのように結婚しているかな?(笑) シンガーソングライター兼後輩を育てる最年少制作者になりたい。私の経験を活かし、後輩の人生の人間的な責任をとりたい。10年後、30代になったら? 多分……音楽とずっと一緒だと思う。そして家庭も。もしかしたらラブストーリーとアクションを同時にこなせる女優になっているかもしれない(笑)

記者 : キム・イェナ、写真 : ムン・スジ