【スターコラム】自然体ソン・ジュンギ vs 役者ソン・ジュンギ ― Vol.1

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写真=Issue daily、SidusHQ

KBS 2TVドラマ「優しい男」と、映画「私のオオカミ少年」でイメージチェンジに成功した俳優ソン・ジュンギ。彼の名前を聞くと一番先に白い肌を思い浮かべるほど「イケメン」「ミルク男(ミルクのように優しい男)」などの単語が似合う。そこで牛乳CMモデルとしても活動した。いつまでも真っ白でいそうな彼が、今や“ブラック”ともそれなりに似合うようになった。次第に多彩な魅力を備えていくソン・ジュンギについて知りたいだろうか?今から彼が聞かせる話に耳を傾けてみよう。/編集者

NAVER スターコラム:ソン・ジュンギ

もし大学で演劇映画科を専攻していたら……

映画とドラマで忙しい最近、ふとこう思った。「この俳優という、恵まれた職業にどうやって私が就くようになったんだろう」実は今の自分の姿が不思議に思えるときがある。有名な芸能人になり、多くのファンから愛され、その上お金まで稼いでいるからだ。今の僕は、どこかへ旅立ち、思いきり叫びたい気持ちだ。

もちろん、芸能人という職業には小さい頃から興味があった。高2のときだっけ?その頃はただ芸能人に対する憧れ?とにかく、周りが「カッコイイ」と褒めてくれるので、そこでいい気になり「じゃあ僕も芸能人になってみようかな」と思ったことはある。しかし、今考えてみると本当に子供だった。

高3の時、実家が大田(テジョン)だったが、そのとき演劇映画科といえばH大学が最高だと思った。理由は分からないが、地方に住んでいる人にとっては特にそうだった。そこで僕もH大の演劇映画科に進学したかった。まあ、正直役者になりたいという確固たる信念のようなものは無かった。漠然とした目標だっただけだ。

だけど心配していたことが起こった。父の反対、そこで演劇映画科は志願すらできなかった。父にも本当に叱られた。父は「点数も残るのに、今まで頑張ってきた分、良いところに行かないと」と言われた。今だから言えることだが、僕が演劇映画科を志願しなかった理由は、父の反対より自分自身に対する確信が無かったからだ。演劇が誰にでもできることとは思わなかった。

結局、その年の大学進学に失敗し、浪人となった。そして親の望み通り成均館(ソンギュングァン)大学経営学科に進学した。しかし、変なことに、大学に入ってから、何かとても虚しいと思い始めた。僕は本当に頑張ったのに、大学に入ると何か変わると思ったのに、とても虚しかった。そこで僕は本格的に遊び始めた。本当のキャンパスライフを満喫したというか。

しかし、そのときから少しずつ悩み始めた。「自分が本当にしたいのは何か」「ただ良い大学を出て、入社試験を受けて、お金を稼げばいいのか」しかし、それが全部ではないような気がした。そのような考え自体がとても虚しく、嫌いだった。そこで決心した。お金を稼げなくても、自分が本当にしたいことをしながら生きようと。


アナウンサー、PDを諦めて登録した演技塾

大学では放送部として活動した。だから周りからは僕が人気者で、ファンクラブもあったのではないかと推測したりもされた。まあ、それは事実では無いので気にしなくても良いが、それでもあえてひとこと言うのであれば、噂が間違って伝わったというか。

大学のときにKBS「クイズ大韓民国」という番組に出演し、準優勝した。それも代理で出演したのに、ハハハ。ファンクラブがあったというよりは、その時に放送に出演してからネットでファンカフェができた。本当に実感がなかった。芸能人でもなかったのに。もしその時彼女がいたら本当に怒っていたと思う。だから残念だというわけではないので、誤解しないように。

実は、今や誰もが知っていることだろうけど、僕は大学のころアナウンサーになりたかった。どういう職業なのかに対する具体的な情報もなかった。漠然とした憧れからだった。PD(プロデューサー)にもなりたかった。ただ放送関連の仕事がしたかったというか。しかし、両方とも諦めた。理由?いずれの職業も僕の考えと違ったから。僕の性格から見て、どこかの組織社会に属して働くのは合わないと思ったから。

そこで、軍隊でも行こうかと思っていて、演技塾に登録した。8ヶ月ほど通ったが、おかげでここまで来れた。面白いエピソードが一つある。実はデビュー前に街でのキャスティングを通じて、アイドルグループとしてデビューしてみないかとオファーされたこともある。もし、僕がそのグループに入っていれば、成功できただろうか。明かせないけど、そのグループは有名アイドルグループとして活動している。気になりますよね?気になる人は500ウォン、ハハ。


“ミルク男”が“オオカミ少年”になるまで……

演技塾に通いながら今の所属事務所と出会った。そして運よくデビュー作の「霜花店(サンファジョム)-運命、その愛」(以下「霜花店」)にも出会った。運命のように。今も誰かに「人生のターニングポイントとなった作品は?」と訊かれたら、迷わず「霜花店」と答えるだろう。意外だと思うかもしれないが、僕にとってはその作品が始まりであり、出発点で、今の僕を作ってくれた作品だったから。監督はユ・ハ監督だった。主人公はチョ・インソン先輩とチュ・ジンモ先輩、ソン・ジヒョ先輩。当時の僕にとっては遠く離れた存在の方々だったが、彼らの動作一つ一つは、僕に大きな意味となり、僕の脳裏に刻まれた。

徹底した使命感の塊のようだった先輩たち、彼らを少しの誤差もなくリードしていくユ・ハ監督、本当にカッコよく見えた。演技初心者の目に映し出された方々……本当にありがとうございました。

もちろんドラマ「トリプル」も忘れられない。イ・ユンジョン監督とその作品を通じて初めて会ったが、女性の監督だからか、人並み外れた感性の持ち主のようだった。実は、僕が唯一知っている女性監督だからかもしれないが、女性監督の作品に出演してみたいと思った。ユ・ハ監督もまた、僕に主演を任せてくだされば、さらに学べそうと思ったりもした。

正直、今まで僕が出演した全ての作品が大事だと言える。今も僕のDVD棚にある作品を見るとやりがいを感じるからだ。一つも嫌いな作品が無い。あ、最近「優しい男」と「私のオオカミ少年」のせいでイメージが変わり、心配にはならないのかとよく訊かれるが、本当にそれは心配していない、本当だ。(だからこれ以上訊かないでください)また、「私のオオカミ少年」で台詞が少ないと問い詰める(?)方もいらっしゃるが、感情を表現する演技は本当に大変だった。本当に頑張った作品が良い成績を収めることができて嬉しい。しかもまだ映画館で上映中だからさらに嬉しい。映画の制作に携わった全ての方々に、このコラムをお借りして感謝申し上げます。

チャ・テヒョン兄さんに言われた。「こいつ変わってるな、代表作も無いのにCMはいっぱい撮っている」と。だから「あ、僕には爽やかなCMモデルとしてのイメージが強いんだ。俳優としてのイメージは弱いんだ」と思った。しかし、それで悲しんだりはしなかった。また、僕を変な目で見るのではないかといった心配もしなかったし……俳優としてのイメージは作品を通じて作られるものではないか。僕はそう思う。大手企業が四半期ごとの計画を立てるように、イメージは作られるものではないか。

それではドラマについて簡単に話してみようかな。僕は本当に俳優生活を長く続けたい。「根の深い木~世宗(セジョン)大王の誓い~」でハン・ソッキュ先輩を見ながら色々なことを思った。先輩は演技が楽しいと感じているようだった。そして僕にも演技がどれだけ楽しいことなのかを語ってくださった。本当にドキドキしたし、うらやましくも思った。俳優という職業がとても愛しい。もちろん、大変なこともあるかも知れないし、いつか人気はなくなるかも知れないが、自ら自身の良い点を見つけ、長く大衆にアピールしたい。最近幕を閉じた「優しい男」は、僕にとってもう一つの意味を持つ作品だ。溢れるスケジュールに、あまりにも大変で、きついスケジュールだったが、今は少しだけドラマがどのようにして作られるか、役者はどのような役割をすべきかを分かるような気がする。まだ出演したい作品も、演じてみたいキャラクターも多い。僕はまだお腹が空いている(フース・ヒディンク監督、ごめんなさい……)」

次回は僕の「初恋」について話してみようと思っている。初恋と言うと、女性の話が出ると思っている方々がいると思う。もちろん、女性の話も出る。しかしそれより僕が“初めて”出会ったものたちについて語ってみたいと思う。果たして僕にとって“初めて”とはどういうことだろうか。僕のことをもう少し詳しく知りたい人は、次回もお楽しみに……ハハ!!

文:ソン・ジュンギ

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記者 : 記者 : Kstyle編集部、編集 : ファン·ヨンヒ(イシューデイリー局長)