「愚かなソンピョン」が“いじめ問題”にアプローチする方法

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写真=MBC

ありきたりの結末にもかかわらず、他の“いじめ”話とは違う理由

いじめを題材にしたドラマや映画はその深刻さを丁寧に伝えるため、その実態を赤裸々に描く。そのため、今年放送されたドラマスペシャル「SOS」のように主人公が死に至るケースが多い。実際そうだろう。最近多発する児童生徒の自殺の原因の多くが“いじめ”であるように、自己防衛能力のない児童生徒を死に至らせる致命的な問題である。

しかし10月24日と25日に放送されたMBC特別企画ドラマ「愚かなソンピョン」のいじめの犠牲者であるアヨンとセジンは、まだ意識は戻ってないものの生きていると設定された。刺激的な設定を避けるためではなく、このドラマで示された解決策のためには、被害者が“生存”する必要があったからである。

もちろん、ドラマはいじめの深刻な現状からスタートする。ずいぶん昔のことであるにもかかわらず、いじめられていたアヨンはまだ精神科に通っており、加害者のソジョンも世の中を恨み、被害者のふりをしながら、自己逃避しながら生きている。現在も変わらない。いじめられたセジンが結局選んだ道はマンションから飛び降りることだった。

しかし、このドラマは「いじめがどんなに深刻なものかご存知ですか」と問いかけることだけにとどまらない。そして最近韓国社会が選んでいる方法と同じように加害者の誰かを追跡し処罰することで問題を解決しようともしない。

そこから一歩踏み出して、いじめという現象の裏に隠れている原因を探ろうとする。例えば、裕福な家庭で育ったが、家族のぬくもりを感じられなかったソジョンは、自分より後れを取っていると思うアヨンが自分が持っていないものを持っていると思って、彼女に嫉妬して仲間はずれにする。また、成績が落ちてイライラしているイェビンは友だちから自分より可愛いと褒められたセジンを憎む。ドラマはこのように育ち盛りで、噴き上がる自分の感情とどう向き合えばいいのか分からず、爪を立てる獣のように変わっていく子供たちを見守る。

そして、勇気を出してごらん、と慎重に解決策も出す。ひたすら子供の過ちに目をつぶる親たちにはそれがかえって子供を駄目にすることだと勇敢に話しかけ、誰かを疎外する行動は結局、自身の人間性を抹殺する結果を生むだけだと話している。

大げさに「いじめをなくしましょ!」と叫ばない。学校にいじめはあり得ることで、これまでも存在してきたが、肝心なのは自分が間違ったときはそれを正す勇気が必要だと話しているのである。だからこれ以上遅れないように勇気を出して、意識がまだ戻らない友だちに謝罪するために、彼女らに生きていてほしいわけである。

もちろん、教室で生徒に独白のように「いじめを繰り返さず、勇気を出して謝って」と話す教師のシーンは感動的である。涙を流しながら訪れた子供たちを当事者ではなく、その両親や兄弟が許すシーンは、宗教的にまで見えて、被害者と加害者が約10年後、連絡を取り合って会うシーンはリアリティに欠けている。さらに最近の子供たちといじめは、ドラマスペシャル「SOS」のように凶悪化しつつあり、このような甘い解決策が滑稽に見えるほど、許せないものになっているのかもしれない。

進化心理学では人間のいじめをウイルスの感染を恐れることからきた被害意識の結果だと診断している。“自分と違う誰か”をまず否定して、ひいては固着化してしまう習慣であるため、このドラマのように誰かが誰かを嫉妬するという観点からはその理由を説明できないかもしれない。

それにもかかわらず、もはや社会病理学的に取り扱い始めた、いじめを“あり得ること”“誰しも経験のあること”と視野を広め、一生懸命その解決策を見つけようとしたことは評価したい。“誰かは正しく誰かは間違っている”のではなく、思春期、まだまだ未熟な時期に起きたことを断罪や口止めで終えず、“治癒する”ことのできる過程と見ていた点が、ありきたりの結末を迎えた「愚かなソンピョン」の最大の長所であろう。

記者 : イ・ジョンヒ