【アルバムレビュー】Windy City、楽しいレゲエのメロディーで聴く人を魅了する

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Windy Cityの新しいミニアルバム「Full Greeting」

Windy Cityの音楽は自称“チョングッチャン(韓国の納豆汁)レゲエ”だ。主に愛と平和を歌ってきたこのバンドは、2005年に結成され、今まで2枚のフルアルバム(1st「LOVE RECORD」、2nd「Country man's Vibration」)とミニアルバムなどを発表した。彼らはレゲエを基盤に、1980年代前後の韓国のグループサウンドから、アフリカ系アメリカ人たちが生み出したファンキーな音楽、そして前向きで楽しい中南米の音楽まで、様々なカラーの音楽を披露してきた。

彼らの音楽は、内容の面で大きく恋の歌と社会的メッセージを含んだ歌に分けられる。後者の場合、故キム・ソンイル氏死亡事件(「No No No 」)、ジョージ・W・ブッシュのテロとの戦争(「我々の時代」)、平澤(ピョンテク)大秋里(デチュリ)米軍基地問題(「メディテーション・オン・アース」)、時代の弾圧と自由(「Freedom Blues」)などに対する、Windy Cityの考えを歌っている。このようなことも合わせて考えると、Windy Cityが最近リリースしたミニアルバム「Full Greeting」の曲は、馴染み深いものと新しいものが混ざっていると言える。

写真=Windy City「Full Greeting」ジャケットイメージ、ビビンプロダクション

「Full Greeting」にはどのような曲が盛り込まれたのか

歌詞は依然として愛を歌っているが、今の韓国社会で厳しい暮らしをしている人々を慰める内容が中心で、サウンドは「興」と「恨」など、韓国ならではの色彩がたくさん盛り込まれていることが印象的だ。しかし、前のアルバムで見せたサウンドとの接点も簡単に探すことができる。ボーカルのキム・バンジャンのいわゆる“ソウルフル(Soulfull)”な声と、魅力的なバイブレーションは変わっていない。

「Full Greeting」には全部で6曲が収録された。1番目のトラック「Full Greeting」は、歌を通じて、同じ時代を生きている人々を、精を尽くしてもてなす心を表現した曲だ。「長い歳月を」「めぐりめぐって、どのような縁で僕達は出会ったのか」「めまぐるしい現世界のあちこちで傷つき傷つけ」「そのようにして生きてきたけれど」などの歌詞からは、仏教の世界観が垣間見れる。そのような点からみると「お会いできて嬉しい皆さん」「ここにいる皆さんの前で、歌ってもてなします」という部分は、仏教の「菩薩行」にあたるだろう。

スローテンポのサウンドは、終始だるい印象を与えながらも、緊張感を失わない。ベースとギター、パーカッション、ハーモニカなどが織成すメロディーは単純だが心地よく、さり気ない中毒性がある。そしてサビのメロディーやボーカルのキム・バンジャンのバイブレーションを誇張する歌い方と合いの手などからは、韓国の民謡のようなノリが感じられる。黄海道(ファンへド)の伝統の祭りからインスピレーションを得たというこの曲は、村の祭りなどのあらゆる行事を始める前、お客さんや観客を集めるときに打ってつけだろう。

4番目のトラックには、この曲のもう一つのバージョンが収録された。ギターのオ・ジヌが貞陵(チョンルン)の道を思い浮かべながら演奏したとして、名前は貞陵バージョンだ。この曲は、ボーカルの代わりにギターがメロディーをリードするが、静かなベースの音の向こうから聞こえるギター演奏はおぼろげで、かすかな郷愁を感じさせる。

2番目のトラック「お祭りレゲエ」は、賑やかなお祭りの場で公演する風楽(宮廷などで奏でられる伝統的音楽)団に関する曲だ。「今夜ここにビビン風楽団がやって来た」「楽しいレゲエを伝えにやって来た」との歌詞から分かるように、この曲の歌詞はWindy Cityの自己反映の面が強い。また「毎日のようにやって来る風楽団ではない」「心配は後にして、この瞬間を生きて、楽しく」「子どもも大人も皆楽しく踊りながら」など、リピートや方言、感嘆詞などを上手く使った歌詞が面白い。

「Full Greeting」のサウンドが遅く、軽いとしたら「お祭りレゲエ」のサウンドはスピードとビートがある。曲の全般にかけて「パン パバン パンパンパン パ」「パンパンパン パンパ パンパンパン パバン」というビートとメロディーが繰り返されるが、ギターとベース、キーボードなどが奏でる音が魅力的だ。

しかし、なんといってもこの曲の見せ場は再生時間3分31秒の時点から1分あまり流れる間奏にある。前半を担っているオーストラリアの伝統楽器ディジュリドゥと打楽器中心の前衛的サウンドは、鈴の音と調和して原始的で呪術のような雰囲気を演出し、悲しいハーモニカ演奏とドラムの強い音が目立つ後半は、しっとりとした神秘的なメロディーが魅力的だ。

5番目のトラックは「お祭りレゲエ」のダブ(dub、1970年代のレゲエに起源するジャマイカ音楽の一種)バージョンだ。Windy Cityはこれに先立ちリリースした2枚のフルアルバムでも「Greeting」と「All Time Rockers」の2曲を最後のトラックに盛り込んだことがあるが、「お祭りレゲエ」のダブバージョンもまた、これらと同じく金属音を強化し、エコー効果を多く入れた。

違いがあるとすれば、原曲との雰囲気だろう。まるで風になびく桜の花びらのように、浮遊するかのようなサウンドが特徴の「お祭りレゲエ」のダブは、聴いているとまるで現世界と異世界が重なる境界に立っているような気がする。ダブに慣れていない人は、この曲をオリジナル曲と聞き比べながら、ダブというジャンルと親しむことができるだろう。

3番目のトラック「宇宙モンキー」は李博士(イ・パクサ)のヒット曲「モンキーマジック」(2000年)をカバーした曲だ。「モンキーマジック」は最近で言う“アストラルな”歌詞と、李博士流の“ビートボックス”とも言える楽しい合いの手で旋風的な人気を巻き起こしたことがある。

李博士がフィーチャリングしたWindy Cityの「宇宙モンキー」は、李博士とキム・バンジャンの“漫才”で始まるが、「芸術を知ればお金が遠くなり、お金を知れば芸術が遠くなる。そうしてこそミュージシャンだ」という李博士のナレーションの後に続く“上品でない”合いの手が絶妙なバランスで楽しさを与える。

「オルス、ジョタ、アッサ」「ワントゥ オルシグ」「ジョアジョアジョア ミチョミチョ アッサロビ」「クンチャラジャチャ クンチャチャ チャガチャガチャンチャ」など、李博士ならではの合いの手と調和するWindy Cityのバンドサウンドは、神妙でコミカルだ。雰囲気を盛り上げるギターの演奏と電子音が印象的な曲である。6番目のトラックは「宇宙モンキー」からボーカルを抜いたバージョンだ。同じサウンドのはずだが、違う曲のように思えるのは、李博士特有のノリが欠けているためだろう。

「心配や悩みは後にして、一緒に楽しく遊ぼう」

Windy Cityの今回のミニアルバムに収録された曲を、次のように整理してみるのはどうだろうか。ビビン風楽団の音楽で、人々を集め、お祭りを開き楽しく遊んでから、彼らをつれて宇宙への旅に出る話だ。実は筆者は「Full Greeting」を聞きながら、グリム兄弟が書いた「ハーメルンの笛吹きの男」を思い浮かべた。気だるい午後、流浪楽団が、ハーメルンの笛吹きの男にでもなったかのように、馴染み深く、どこか誘惑するかのようなメロディーで、人々をリードしリラックスさせる風景を。

もちろん、ミニアルバムで表しているWindy Cityの夢は、最終的に笛吹きの男が向かった世界にあるとは思えない。「宇宙モンキー」の宇宙旅行は、逃避ではなく、単純な余興ということだ。その代わり、Windy Cityは、今この瞬間にもお互いに「傷つき傷つけ」「心配と悩み」の中で生きている同時代の人たちに次のように言いたかったと思う。それでも「我々は一緒に」「楽しく遊ぼう」と。

このレビューを書いたソ・ソクウォン記者は、歌手の名前でハングルを覚え、少年の頃ピアノを弾いていましたが、息子の将来を心配した母の決断で戻れぬ橋を渡り、今は平凡なリスナーとして暮らしている音楽愛好家です。現在は映画関連の仕事をしており、一生涯の著作家を夢見ています。/編集者コメント

記者 : ソ・ソクウォン