観客動員数1千万人を目指して走る映画「王になった男」の力

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写真=リアルライズピクチャーズ

真の政治は指導者ではなく、民が作る

映画「王になった男」が一日に約25万人の観客を動員し、早いスピードで観客一千万人に近づいている。

このように観客が集まる理由は、同映画が熱い感動を与えているためだ。血も涙もなさそうに見える権威的な帝王、光海君の代わりに、本当に民のために王の役割をする賤民(最下層の身分とされた人々)、ハソンを通じて希望が消えてしまった今の時代にそのような指導者が出てほしいという希望と政治への熱望を反映したことが観客から共感を得ているのだ。

サウォルの家族が離れ離れになった理由が重い公納(税金)のためだということを聞き、徹夜しながら大同法(国に捧げる特産物を米に統一する法律)を勉強し、民の立場から政策を施行しようとする王。明に軍事を送らなければならないという大臣の言葉に「いったいこの国は誰の国ですか?」とし「あなたたちが語る事大の礼、私にとっては事大の礼より私の民の命が百倍、千倍も重要です」と言う王。幻滅を感じさせる現実の政治に比べ、このように心を尽くして行動する政治家を見て感激しない人が果たしているのだろうか。

妓生(キーセン:朝鮮時代の芸者)の店でわい談をすることで食いつないでいた低い身分の人が、真に民のための統治を行う姿を見せることで感動はさらに大きくなる。本当に自分たちのために働く王の変わりに毒を飲んで死ぬサウォルが「陛下、なにとぞ平穏無事でいられるように」と泣くとき、また護衛武士が「あなたたちには偽王かもしれないが、僕にとっては本物」と言いながらハソンを殺すために追いかけてきた軍事と戦ううちに刃物に刺されて死ぬとき、どうしても涙を流すしかないのだ。

この時点で監督は人々が持っている蟠りを映画という形でどういう風に表現するのかをよく知っており、特に言葉の持つ力を良く理解し、利用している。

実際の光海君は、王になって15年間国を統治したが、王という呼称を得られなかった波乱の多かった王だ。彼は、文禄のとき宣祖と大臣が倭軍を避けて逃げたとき、あたかも死に場所に追い込まれるように跡継ぎになり、国民と死の戦場を経験したが、戦争が終わるとすぐ庶子という理由で王になるまで厳しい時間を過ごさなければならなかった。

即位初期は、民の税金負担を減らすため大同法を実施するなどの改革を図ったが、時間が経つにつれ王としてのポストを確かにし、権威を立てるため宮殿を何度も建設する土木工事を行い、民を動員する誤った政策で怨まれた。しかし、戦争の経験を基にこれ以上朝鮮に戦争が起きないよう、二つの強大国であった明と金の間で中立的で自主的な実利外交を展開した唯一の朝鮮の王でもあった。

だが、反対勢力である西人(政治派閥の一つ)のクーデターで廃位され、仁祖が執権した朝鮮は再び滅亡した明の味方になり、清国の侵入でまた国民を死なせ、王は三田渡(サムジョンド)で頭を下げながら許しを求める屈辱を経験した。それで映画は、今まで暴君としてドラマに登場してきた光海君を大同法と自主的な実利外交を行った王として見直したことで、歴史的事実に対する新しい評価も入れた。

映画には、笑いを誘うシーンが多い。観客皆が大笑いする。宮廷の日常的な姿、つまりハソンが王としてご飯を食べて用を出すことを身に付けながら展開されるエピソードが面白い。政治的な暗闘にだけ焦点を合わせた従来の映画では見られなかった宮廷の日常生活は、新しい見どころとなっている。

監督は、音楽と効果音にもたくさん気を使った。クラシックと国楽を映画の流れに合わせ適切に配置し、緊張と感動をより効果的に伝える。特に、ハソンが大黒柱に頭をぶつけるときに出る誇張された効果音は、笑いを誘う。

ビジュアル的効果も良かった。特に、宮廷の衣装が美しかった。光海が纏った赤と青の薄いトゥルマギ(外出用の上着)や袞竜袍(王の普段着)、王妃の衣装が目立った。花が咲いてある、池のある、月の照らす宮廷の多彩な姿も良かった。

ここに映画全般に流れる緊張感が観客を最後まで集中させるものすごい力を発揮する。問題を起こしそうな光海の君主らしいの姿もそうだし、ハソンがひょっとしてばれるのではないかと緊張させるシーンもそうだ。ハソンが大臣と激しく対立しながら自身の政策を押しつける姿や、「民を天のように仕える王があなたが願う王であれば、その夢を私が叶えてあげる」としてハソンが王になるかと思ったら、いつのまにか光海が本来の席に戻っている意外な状況など、多様なプロットを配置し色々な楽しさを与える。もちろん、この映画をより面白くする背景には、監督の優れた演出力とイ・ビョンホンを始めとする俳優の立派な演技がある。

時代劇を公言するがフィクションで、笑いを誘うが単純なコメディではないこの映画は、朝鮮時代の残酷だった政争と民を疎外させた政治から今日の政治を連想させ、新しい政治を願うという軽くないメッセージを投げかけている。99%完璧なこの映画で一番大きい問題は、正しい政治指導者の姿を描くことに留まっていることだ。真の政治とは、指導者ではなく、民衆が作ることができるものではないだろうか。

記者 : ユ・チョルス