「ミスGO」コ・ヒョンジョン、彼女に“責任感”を問う

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「海外映画祭?とりあえずは韓国で役者として認められたい」

どう見ても色んな意味で、それはコ・ヒョンジョンだった。映画「ミスGO」が意味しているものが、あまりにも明らかだったからだろうか。元気でしっかりとしたコ・ヒョンジョンではない、世の中と人間に怖気づいているコ・ヒョンジョンだった。堂々としている彼女がチョン・スロになり、まるで触れたら割れてしまいそうな感性を披露した。映画がヒットするかどうかはさて置き、明らかに彼女の演技人生において有意義な一歩だった。

コ・ヒョンジョンに会い、まずは真剣な話から始めたことを先に報告しておく。どうしても、初めての商業映画であり、本人としても変化を盛り込んだ挑戦だったので、意味を与えたいという思いがあったようだ。女優コ・ヒョンジョンに対して、自由奔放なカリスマ性だけだと断定しないでいただきたい。私たちなりに真剣に話し合った。今回のインタビューは、いわば“ミス・コ”に聞く「ミスGO」の話だ。


コミカル映画だと軽く見てはいけない!

コ・ヒョンジョンを中心とした、コミカルアクション映画とはいうが、「ミスGO」にはおそらく、色んな方向性に読み取れる要素がたくさん盛り込まれている。まずはチョン・スロという、1人の女性の成長映画と見ることもできるだろうし、また孤立した人間と無関心な世の中との繋がりを描いた物語と見ることもできるだろう。

「映画ではどれほど表現されているか、正直言ってわかりません。私の立場からは、映画の1シーン、1シーンが涙なしには観られなかったです。最後のシーンも、私には気恥ずかしいエンディングですが、私にとってもそうですし、パク・チョルグァン監督を始めスタッフ全員にとって、非常に意味深いシーンです。

そしてこの映画を女性の成長ストーリーと見るよりは、(世の中と人間に対する)克服記のように受け取っていただいてはどうでしょうか。これは、1人の女性に限った話ではなく、ただの普通の人の話だと受け取ることもできると思うんです」

どうしても映画の柱の役割であるし、内容面が気になるしかなかったはずだ。また、映画を撮る過程でも、途中で監督が変わるなど、大小の事柄により制作環境が劣悪だったのも事実だ。

「今になっては映画を観ながら楽しいと言うことができますが、当時は撮影が緊迫していて、もっぱら楽しみながら撮影できる環境ではなかったんです」というコ・ヒョンジョンの言葉からも垣間見られる。

「毎シーン涙なしには観られなかった」と言ったコ・ヒョンジョンの言葉が理解できる部分だった。ハードなスケジュールと劣悪な環境の中でも、無事に映画を仕上げることができたのは、同僚の俳優とスタッフたちのおかげだった。ユ・ヘジン、ソン・ドンイル、イ・ムンシク、コ・チャンソク、そして特別出演したパク・シニャンまで、皆が撮影でプロならではの姿を見せてくれたのだ。

「この方たちのおかげで、撮影の際に少し余裕が生まれたと思います。皆ベテランなので、カメラが回っていないときは冗談を交わし、カメラが回ればすぐにエネルギーを上げてくださるんです。新人の場合、自分の役に神経を使いながら、撮影に集中するのが難しいんです。でも、この方たちは周りに配慮していたかと思うと、自分のシーンでは集中して撮るから、真のプロと言えます。今になってみるとさらにそう思えます。大海原へ船に乗って出て、船酔いで苦労して、自分のシーンでないところでもスタッフと一丸になりながら、NGなく撮ってしまう始末ですから」


多くの人の苦労が盛り込まれた作品……さらに責任を感じるしかない

一緒に撮影したスタッフについて、コ・ヒョンジョンは誰よりも深くその状況を理解しているようだった。コ・ヒョンジョンは、今回の映画が自身にとって新しい挑戦だっただけに、スタッフたちにとっても、やはり大きな挑戦だったと触れた。

「スタッフたちが本当に苦労しました。この映画がターニングポイントになった人が多かったです。他の映画では助手をやっていたのが、この映画で各部門の監督としてデビューする人も多くいました。それで、何があっても映画を仕上げて、必ず公開させたいという思いが大きかったです。

自身の欲ももちろんあったでしょうが、どれだけ時間がかかったとしても必ず公開させたいという思いがありました。私にできることなんて、もう少し頑張ってもらいたいと思って皆にご飯をおごったり一緒に写真を撮ったりしかできないじゃないですか。ここで全ては言えませんが、この方たちと一緒に奇跡的に撮ったシーンも多いんです(笑)」

それだけ、この映画への愛情が大きかったからだろう。映画の仕事をしながら初めて、撮影がないときにも撮影現場をうろついたりもしたし、マネージャーと一緒にロケ地の釜山(プサン)見物をしながら、映画への情熱を維持していたという。昨年辛い経験をしたことで痩せたので、彼女が演じるチョン・スロの、柔弱でか弱い姿にさらに没頭できたそうだ。すべてが映画のための、一連の過程だったのだ。

「あまり移動しませんでした。私の出るシーンがないときは一週間くらい時間が空いたりもしましたが、ソウルに行かずそこに居座ったりもしました。衣装、映画チームと行動を共にしようと心がけたんです。

釜山は本当に素晴らしかったです。正確な街の名称が思い出せませんが(マネージャーに:「あそこ、どこだったっけ」)日差しも良かったですし、建物のカラーも建物ごとで違い、まるで地中海に来ているような感じでした。そして海辺を歩く人々をただ見ているのも面白かったです。撮影を一生続けたいとまで考えたほどです(笑)」



「どうでもいい誤解は、そのまま受け入れる」……これぞミス・コ!

コ・ヒョンジョンをただ闇雲に自己主張が強く、気を遣わない人と判断してしまう間違いは避けたほうがいい。誰よりも愛情と義理のある人だからだ。この映画を通じて、スタッフたちとの飲み会も頻繁に行い、色々と話し合ったそうだ。もちろん、これが初めてではない。ホン・サンス監督との撮影(「浜辺の女」「よく知りもしないくせに」)のときもそうだったし、イ・ジェヨン監督の「女優たち」のときも、同僚と仲良くしていたコ・ヒョンジョンだ。

この映画では、先輩俳優であるソン・ドンイルが中心となって、皆で一緒に話し合う場を多く持ったそうだ。中心が誰だっていいではないか。優しく世話好きな性格ではないが、一緒に働く同僚とスタッフに対する、彼女なりの理解を持ったコ・ヒョンジョンの方式だった。

「映画を撮りながらも、我慢した末に怒り出すこともあります!でも、一般のスタッフにはそうはしません」と言うコ・ヒョンジョンの言葉を借りれば、さらに彼女を理解しやすいだろう。すべての行動が注目され話題になるスターであるだけに、行動と言葉を発することに萎縮しがちだが、コ・ヒョンジョンはそれ自体に拘束されているようには見えなかった。

「私なりに心で片付けていることがあります。『どうでもいい誤解は、そのまま受け入れよう』ということです。世間には、コ・ヒョンジョンと言えば正面突破する人間だと思われているみたいです。今は、自分の中で卑屈にならない程度なら、そのまま受け入れようと片付けています」

役者という職業についても、コ・ヒョンジョンは自分ならではの主観がある。何より、海外映画祭にどうして出ないのかと言う質問について「未だに韓国でも、役者として明白に認められていないと思う」と言う彼女の言葉には驚いた。

「あ……こう言ってしまえばまた色々言われてしまいそうですが、まだ海外進出までは考えていません。ホン・サンス監督や他の親しい方たちに一緒に行こうと声を掛けられたことはあります。でも、私は『私まで行くことないじゃないですか。いってらっしゃい』と言います」

1日又は2日だけのために、メイクをしてドレスで着飾ることも、実はコ・ヒョンジョンにはあまり気の向かないことであった。そんなことをしているよりは、韓国できちんと役者としての地位を固めたいという考えがあったのだ。トップスターのコ・ヒョンジョンでない、役者のコ・ヒョンジョンという言葉が、まだ自身には馴染めないという思いがあるからなのだろうか。

記者 : イ・ジョンミン、イ・ソンピル 写真 : イ・ジョンミン