Vol.2 ― “単身赴任”のカン・ジェギュ「何でも屋のおかげで、ちゃんとご飯食べています」

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写真=ソン・ヒョジン
1990年代のヒット作の産室、三和ホテルの話がでると、カン・ジェギュ監督は「三和ホテル、久しぶりに聞きました。タバコの煙が立ちこもるそこで、いくつものシナリオを書きました。ホテルをずっと借りて、短編映画を撮るフィルムを買うために家賃を回して、キムパブだけ食べていたのが昨日のことのようだけど」としばらく、回想しているようだった。

ヒット作の産室、三和ホテル

「中央大学の演劇映画科を卒業してから、会社で働いたことがなかったので、金銭感覚がほとんどありませんでした。だから、妻が苦労しましたね」彼はテレビ台に置かれた妻と息子の写真をじっと見つめた。

「マイウェイ 12000キロの真実」(以下「マイウェイ」)の作業中、もっとも孤独だった瞬間はいつだったのかという問いには「人によってリズムと呼吸が違うと思いますが、シナリオを書くとき、『やっぱり私は1人だ』と感じました。たくさんの人が手伝ってくれましたが、どうしても孤独を感じました」と答えた。そして「無能さを自覚して反省するのも、文章を書いているとき」と笑って見せた。

―ファン・ビンビンがカメオ(豪華なチョイ役)だったという冗談もあります。

カン・ジェギュ:戦争映画での女性キャラクターにはどうしても限界があります。男性2人の1万2000kmを追いかけるヒューマンドラマなので、ファン・ビンビンを引き立たせることができませんでした。ノモンハン地域に日本軍を暗殺する人々がいたという資料をみて、シュライというキャラクターを設定しました。

―ノルマンディーを再演したラトビアはどうやって見つけましたか?

カン・ジェギュ:世界の海岸を調べ、最後の最後で見つけた場所です。どうしても見つからずほぼ諦めかけていたときに、バルト海の3国が抜けていたことを知り、資料調査をして発見しました。ラトビアではこれで終わりが見えるという期待のために、俳優やすべてのスタッフが頑張ることができました。海岸に咲いた野菊も画面に写したかったのです。
―ノルマンディーが平和に描かれていましたが、実際そうだったのですか?

カン・ジェギュ:当時、連合軍がノルマンディーに奇襲するとは誰も予想していませんでした。なので、戦時中ではありましたが、ドイツ軍はワインを飲んだり、日常的なのびりとした時間を満喫していました。完全に虚をつかれたんです。


安い馬を使って二重苦

彼にもっとも大変だったシーンを尋ねると、待っていましたとばかりに「馬のせいで苦労しました」と答えた。制作費を節約するために安い馬を使ったせいで、うまく操ることができず苦労したと愚痴をこぼした。
「今まで映画を撮ってきて、馬を登場させたのは今回が初めてだったのですが、ひどい目に遭いました。訓練を受けた高い馬なら演技もできるのに、安い馬は言うこと聞かなくて。求めるリアクションを得られないので、非常に悩まされました。思い通りに動かすために、スタッフがかなり苦労しました。

彼は「自分を恵まれた人だと思いますか?」という質問に、「映画についてはいつも渇きや疲れを感じますが、妻が2人の息子(高2と小学校3年生)を立派に育ててくれて、ありがたいと思っています。妻の支えという面では恵まれた男です」と答えた。

カン・ジェギュは「マイウェイ」が他の戦争映画の教本になれば、監督として幸せだと思うと言い、「ドイツ・ソ連戦争や、ノモンハンの戦闘シーンは資料がほとんどないので、誰かの参考として使われればいいなと思います。日韓両国の関係など、娯楽以外の本質的な部分に対する疑問も持ってほしいと思います」とコメントした。

最後に人としての幸福度を聞くと、意外な答えが返ってきた。「映画と家族がなければ幸福度はとても低いです。自分に厳しく、不満が多いタイプなので。おそらく、不幸の方に近いかと(笑) たまに『なぜこんなことしてるんだろう』と嘆いたりしますが、私の映画を見て、世の中を見る目が変わったという観客に出会えば、悩んでいたことが嘘のように慰められます。『それでも、カン・ジェギュはちゃんと生きているんだ』と確認できるのです」

単身赴任に近い彼はオフィスから歩いていける距離のマンションに住んでいるが、食事のたびに困惑していたそうだ。1人でご飯を食べることが世界で一番嫌いなことだからだ。そんな彼の救世主となったのは雑用をしてくれる何でも屋だ。韓国最高の制作費である280億ウォンを使ったこの男は「“ヘジュセヨ(やってください)”という雑用センターのおかげで、欠かさず食事をとって、年末を過ごしている」と笑いながら話した。その姿はまるで、コメディ映画のワンシーンのようだった。

記者 : キム・ボムソク