北朝鮮に拉致され脱出した韓国の女優…崔銀姫さんが4/16死去

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写真=写真共同取材団
波乱万丈の人生を生きた女優の崔銀姫(チェ・ウニ)さんが昨日(16日)、享年92歳で死去した。

故チェ・ウニさんはこの日の午後、ソウル自宅の付近にある病院に腎臓の透析治療を受けるために訪れたが、亡くなった。故チェ・ウニさんは、2010年初めから腎臓疾患などで闘病した。

1926年生まれである彼女は、1942年に演劇「青春劇場」を通じてデビューし「離れの客とお母さん」「常緑樹」「赤いマフラー」など、多数の作品に出演した。キム・ジミ、オム・エンランと共に1950~60年代の“元祖トロイカ”として浮上し、人気を受けた。

避難地で演劇「野花」と1953年のドキュメンタリー映画「コリア」を契機に、映画監督の故シン・サンオクさんに会って、運命的な愛をした。

1965年、韓国3人目の女性監督としてメガホンを取った。「ミンミョヌリ」「姫様の片思い」など、3本の作品の演出を手掛けた。監督兼女優として出演した「ミンミョヌリ」で大鐘賞映画祭において女優主演賞を受賞した。1967年、安養(アニャン)映画芸術学校の校長として就任し、後輩の養成にも情熱を注いだ。

1978年、学校の問題で香港に訪問していた中、拉致されて9年間も北朝鮮に抑留される。映画マニアだった故・金正日(キム・ジョンイル)総書記が、立ち遅れた北朝鮮の映画を復活させるために彼女を拉致した。離婚後、別れた故チェ・ウニさんと映画監督の故シン・サンオクさんは、5年ぶりに北朝鮮で劇的に再会した。故シン・サンオクさんと一緒に制作した「帰ってこない密使」で、チェコのカルロビ・バリ国際映画祭で特別監督賞を、「塩」はモスクワ映画祭で女優主演賞を受賞した。

1986年、オーストリア・ウィーンで米・大使館を通じて脱出した以来、約10年間亡命生活してから1999年に永久帰国した。

彼女が2007年に発刊した自叙伝「チェ・ウニの告白」を通じて「人々は私に映画のような人生を生きた女優だと言う。私は普通の女に過ぎないのに、どういうわけで映画のような人生を生きるようになったのだろう。北朝鮮に拉致された時、泣きながらこのように考えた。女優にならなかったら、このような苦痛もなかったはずだと。私は分断国家の女優として、シン監督は分断国家の映画監督として、祖国の悲劇に犠牲された。しかし、私は女優になったことを後悔しない。私は演技を通じて、他人の人生を私のものとして受け入れる練習をしながら、すべての人々の人生がとても美しく、大事であることを学んだ」と伝えた。

故人の遺体安置所は、ソウル瑞草(ソチョ)区にあるカトリック大ソウル聖母(ソンモ)病院葬儀場に設けられた。出棺は19日の午前で、葬地は安城(アンソン)天主教公園墓地である。

遺族としては映画監督シン・ジョンギュン、シン・サンギュン(アメリカに居住)、シン・ミョンヒ、シン・スンリの2男2女がいる。

記者 : クァク・ミョンドン