輝き続けた歌手 ジョンヒョンさん…SHINee、ソロアーティストとして愛された10年

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写真=SMエンターテインメント
「一生懸命に激しく作業した」SHINeeのジョンヒョンさんが2015年1月8月に開かれた1stソロアルバム「BASE」のショーケースで言った言葉だった。グループSHINeeのメインボーカルからソロミュージシャンに生まれ変わる場で、ジョンヒョンさんは自身の1stソロアルバムに対してこのように表現した。

「僕が望むのは、僕自身が楽しい音楽をすることだ。楽しいかどうかじゃなく、自身の感情を完全に内包している音楽を続けたい。順位を考えすぎて、振り回されると、自身の感情や世界観とは違うものを盛り込むことになるんじゃないかと思って不安だ。ミュージシャンとして」とも語った。昨年1stソロフルアルバム「良い」を発売した当時だった。

ジョンヒョンさんは注目され、認められるミュージシャンだった。2008年SHINeeとしてデビューし、アイドルグループとしては最高の人気を得た。多数のヒット曲を誕生させ、韓国を超えて日本など海外でもK-POPグループとして愛された。ジョンヒョンさんの悲報に全世界のファンが悲しみ、彼を哀悼し、また音楽で彼の最後を見送るのは当然だった。

ジョンヒョンさんは止まらなかった。彼の言う通り、いつも熱心に、また激しく音楽に没頭した。SHINeeの音楽を通じて、またSMのバラード曲を通じて、そしてソロアルバムを通じて自身だけの音楽世界を披露し、認められた。シンガーソングライターとしてジョンヒョンさんは音楽シーンでも、同僚ミュージシャンにも、そして音楽ファンにも認められる実力派ミュージシャンだった。

音楽に対するジョンヒョンさんの情熱は、彼の楽曲からもよく表れている。ジョンヒョンさんはSHINeeとしての活動やSMのバラード曲、ドラマのOST(劇中歌)などを通じて着実に音楽を作ってきており、2015年1stソロアルバムを発売して、本格的に自身のカラーを表す音楽を披露した。IUやイ・ハイなどの同僚たちに良い音楽をプレゼントするソングライターでもあった。

1stソロアルバムを皮切りに、アイドルという領域を超えて、ミュージシャンとしてのジョンヒョンさんの活動はさらに活発なものだった。ジョンヒョンさんは2つの「小品集」を発売し、昨年5月にはソロミュージシャンとして1stフルアルバムも完成させた。活動中にも着実に勉強して楽曲を作ってきただけに、ソロのジョンヒョンさんはミュージシャンとして格別な作業だった。ミュージシャンとしてジョンヒョンさんは熱心に、そして楽しくこのアルバムを作ったと明らかにした。もちろんそれでいて残念な気持ちは残るとも言った。

それだけ、音楽に対するジョンヒョンさんの情熱は強いものだった。安住せず、一歩一歩を着実に歩んでいくミュージシャンだった。熱心に激しく制作した1stソロアルバムのように、ジョンヒョンさんは自身の所信を貫きながら、自身だけの音楽をやっていきたいと願い、ソロアルバムにこれを詰め込んだ。もちろんプレッシャーも大きかったであろう中で、音楽に集中しようとするジョンヒョンさんの努力は、彼のソロアルバムの至る所で表れている。

このようにアイドルグループのメインボーカルからソロ歌手、そしてミュージシャン、シンガーソングライターとして領域を拡大させながら、ジョンヒョンさんは音楽に没頭した。「音楽を続けていく人」だと自身を表現し、「自身の道をゆっくり歩んでいけばいいんじゃないかと思う」と語っていた。

ジョンヒョンさんは突然の死の前まで、音楽の制作に取り組んでいたという。9~10日に開かれた単独コンサートで、ソロアルバムのために手掛けた新曲「幻想痛」「どんな気分だろう」「ワッフル」「クリスマスソング」「人の見物中」「Take The Dive」を公開した。人知れず痛みに苦しむ中でも、音楽から離れなかったジョンヒョンさんの情熱。ミュージシャンとして真面目で着実だったジョンヒョンさんの一面を表す。

ジョンヒョンさんは18日午後6時10分頃、ソウル清潭洞(チョンダムドン)のレジデンスで心拍停止状態で発見された。通報を受けて出動した警察と119救助隊員が病院に運んだが、死亡の判定を受けた。ジョンヒョンさんの葬儀場はソウル峨山(アサン)病院に設けられ、この日正午からソウル峨山病院葬儀場地下1階3号室でファンの弔問も続いている。

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記者 : ソン・ミギョン