「ヒーリングキャンプ」ホン・ソクチョンは変わった人ですか? 

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“力のある時に抱擁する気持ちを”…今を生きる多数に向けたホン・ソクチョンの叫び

「ヒーリングキャンプ」は芸能人、政治家などの有名人が隠していた自身の哀歓を打ち明け“ヒーリング“を図るという目的を持つ番組だ。これまで話によっては視聴者の共感を得るものもあったが、その話と関係のある人に不本意ながらも一部被害を与えることもあり批判されたこともある。

4日「ヒーリングキャンプ」に出演したホン・ソクチョンは淡々としていた。だが、いまだに性的少数者に対する偏見があちこちにあると語る彼の目には、時々涙が浮かんだ。ホン・ソクチョンがカミングアウトをしてから13年が経った。その勇敢な、あるいは無謀にまで見える行動で彼が払うべき代価には何があったのだろうか?そして、これまで出演した人々とホン・ソクチョンが打ち明けた話の相違点は何だろうか?

写真=SBS

有名人のプライベート公開、時には個人的な嘆きやプロモーションの場に変化

有名人のプライベートほど売りやすい番組の題材があるのだろうか。それは大体一つの分野で成功するまでの苦境と哀歓などの経験談になりやすいもので、感情移入を誘導することほど適切なものはないと思う。

だが、それはほとんど主観的な観点から語られがちで一方的になりやすい。同じ内容でも、話し方によってまったく違う内容に見える可能性もある。それが有名人の個人的な利益のための広報なのか、あるいは内容が真実なのか否かは重要ではない。時にそれを疑う人は「バラエティはバラエティとして見ろ」という厳しい忠告を聞くかもしれない。

番組は表面的に悩みの解決、あるいは単なる身の上話の羅列など、多様な形をしている。目的が何であれ、欠かさず登場することは学歴、家庭の話、そして周りの人に関するものなどがある。成功した理由で英雄視されることもある人々のプライベートな話は、ドラマよりもっとドラマチックに見える。

写真=SBS

ホン・ソクチョンの話、社会的脈絡から考えるべき問題

だが、ホン・ソクチョンはどうだろうか。彼は“性的少数者”だ。ホン・ソクチョンガ打ち明けたこれまでの話は、少数として経験するしかなかった痛みの歴史だった。彼は同性愛者という理由だけで麻薬投与の疑いがあるという誰かの投書で頻繁に警察署に呼ばれたと言った。結局疑いが晴れて釈放されたが、その時の無念さは想像を絶するものだった。

その他にも番組への出演が決まってからもすぐにキャンセルされることが頻繁だったし、何より一番辛かったことは、親に事実を打ち明けなければならなかったことと周辺や人々の厳しい視線だったと語った。

ホン・ソクチョンは、13年前と少しは変わった韓国社会についても話した。視線をそらすだけだった前とは違い、今はかなり寛大になった社会の雰囲気が感じられると話した。彼はたとえ少数の問題だとしても、それがすぐに自分の問題にもなり得るので、もう少し関心を持ってほしいという個人的な希望を語った。

この辺で考えてみよう。ホン・ソクチョンの話にはどんな意味があるのだろうか。有名人が打ち明ける話と彼の話にはどのような違いがあるのだろうか。実は大差ないかもしれない。有名人だとしても個人に過ぎない人々の話が違うと言っても、どれほど違うものになるのだろうか。

だが、ホン・ソクチョンの話は今私たちが生きる時代の“差別”に関する、“少数”への抑揚に関する偏見についてのものだった。非常にプライベートな話だが、社会レベルで考えるべき問題だった。彼の涙はこれまでの侮蔑感と、少数という理由で経験しなければならなかった悔しさへの表現であったため、強い共感を得ることができた。

少数であるためつらい思いをすることは多いだろうが、性的少数者の問題ほど暴力的な形で偏見の対象になることはめったにない。それは、韓国社会には“性”に関する問題などについてはいまだに保守的な観点を持つ人が多いためだと思われる。

番組の終わりにイ・ギョンギュをはじめ、3人のMCはこれまで性的少数者などへの偏見があったことを打ち明けた。その中でハン・ヘジンは、ホン・ソクチョンを“理解”すると言った。だが、実はそれは違いを認めるべき問題であるだけで、厳密に言って誰かに理解してもらうべき問題ではない。

我々はたまには多数に属することも、その反対になることもある。多数が少数より有利なのは、“力”を持っているためだ。それは時に野蛮な形になる。ホン・ソクチョンは放送を終え、「力がある時にもう少し抱擁する気持ちを持ってほしい」と頼んだ。これは彼が属した性的少数者問題だけでなく、この世界の全ての少数を代弁するものでもあった。

記者 : ハン・ギョンヒ