イ・ヒジン「Baby V.O.Xが何をしているのかと言った人々が、手を握ってくれた」

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写真=Lejelenm

ドラマ「わが愛しの蝶々夫人」ヨン・ジヨン役のイ・ヒジン“今も目標は役者”

女優のイ・ヒジンをより正確に説明するときは、Baby V.O.X(ベイビーボックス)という名前を前につけることになる。1997年18歳の年でデビューし、そのまま10年を捧げたグループであるだけに、本人にとっても、人々にとってもまだその方が馴染みがあるわけだ。

2006年にBaby V.O.Xから脱退したイ・ヒジンは、ミュージカル「Funky Funky」「愛は雨に乗って」と演劇「モンキー」「エジャ」などを経てドラマにまで来た。いわゆる“一発屋”ではなく、一歩ずつ歩んできたのだ。だが、焦ったのは本人ではなかった。先に役者として成功したユン・ウネとの比較は、彼女にとって避けて通れない関門だった。ついに「嫉妬はしてません」という答えを聞いてしまう。だが、浅はかな方法で刺激的な話題を作り上げるには、イ・ヒジンの歩みはあまりにも着実なものだった。

Baby V.O.Xのレッテルを外し、ステージに上がるまで

そのためなのか、最近SBS「わが愛しの蝶々夫人」でイ・ヒジンが演じる“憎らしい”ヨン・ジヨンのキャラクターが、彼女には憎いだけではない。劇中で人気の冷めた女優、ナム・ナビ(ヨム・ジョンア)の主人公役を横取りし、さんざん毒舌を吐きまくるヨン・ジヨンが、少しは理解できるという。ナム・ナビの立場では、若い後輩のとんでもない逆襲だろうが、ヨン・ジヨンにはこれまで先輩たちのコーヒー、ストッキング、ナプキンのお手伝いまでしながら歯をくいしばって獲得した地位であるはずだ。

また、ヨン・ジヨンがひたすら憎らしいキャラクターに描かれたわけでもない。週末に放送される家族ドラマの特性上、あまりにも憎らしい姿ばかりだと困るという監督の要請によってところどころでコミカルな姿を見せている。例えば、ナム・ナビに喧嘩を売ったが、結局は勝てず押し倒され、鼻血を流すシーンなどががそうだ。そうするときは、イ・ヒジンも最大限にコミカルに睨みながら息を合わせている。

「私も初めて演技すると思ったとき、苦労したことがあるからか、今のヨン・ジヨンがなぜそのようにナム・ナビに勝つことにこだわっているのか、またその地位を守りたいと思うのかが分かる気がしました。「愛は雨に乗って」(2008)という作品でミュージカルを始めたとき、Baby V.O.Xイ・ヒジンがここにきて何をしているのか」という視線がありました。『気にすることなんかない』と思ったが、萎縮しました。幸いミュージカルが終わる頃には、信頼してくれなかった方々が『演技が自然になった』と言いながら私の手を握ってくださいました」

その次に出演した演劇「モンキー」(2009)は、イ・ヒジンには本当に大変な作品だったという。そういえば、猿を愛する動物調教師の役割なんて簡単に共感できなかったはずだ。当時家で子犬を相手に練習したというイ・ヒジンは「ある観客が私がステージの上で猿を見ながら『愛している』と話したとき、涙が出たと言った。そのとき、私が誰かの心を動かしたことが不思議だった」と回想した。演技を続けたい欲が出たきっかけになったわけだ。


役者になるため、我慢して家に帰って声をあげた

演技が自分との戦いなら、グループの歌手として活動することは他人との至難な戦いだった。イ・ヒジンは「負けたくなかったし、押されたくなかった」と話した。

「Baby V.O.Xとして活動したとき、1年ほどカメラに向き合うことができなかった時期がありました。ある瞬間、カメラを見ながらわざわざ笑顔を作ったり、嘘をついたりすることが嫌でインタビューもしませんでした。目には、殺気がいっぱいでした。当時所属事務所の社長が写真2枚を見せながら「今君の目がこのように変わった」と言うほどでした。そのときは、嫉妬と負けん気だけでした。『はい、私のパートの10秒だけきちんと歌って、ダンスでミスしなければそれでいいでしょう?』という気持ちで歌の練習もしませんでした。でも、それがメンバーには迷惑になりました。そのときから諦めることにしました。私のものでなければ、捨てようと」

人より先に注目されなければ生き残れない音楽界とは違って、演技は自身を押さえなければならないときが多かったという。相手が台詞を終わらせることを待つことや、台詞のやり取りが慣れるまで、イ・ヒジンは家に帰って壁に向かって声をあげた。それで、何をしてもセクシーなガールズグループのメンバーではなく、演技で色々な人になってみるうちに目つきと印象も変わったという。イ・ヒジンは「この頃荷物の整理をしながら昔の写真を見たりするが、本当に面白い」と話した。

「大丈夫、パパの娘だから」(2010)撮影の最後の頃に脚本家が「エリョン(イ・ヒジンが演じたキャラクターの名前)、最近かなり綺麗になったこと、知ってる?」と言いました。本当に顔が綺麗になったわけではないと思います。Baby V.O.X時代には、セクシーで気高い姿を見せなければならなかったが、演技をしながらその役割に合う人として見ていただいたとき、とてもよかったです。痛快でした!」

写真=SBS

「大丈夫、パパの娘だから」を見た父は寂しくて泣いた

演技は、父との関係も回復してくれた。誰より保守的だった父は、イ・ヒジンが人前でボディラインを見せながら踊る歌手として活動することがとても嫌いだったという。それで、何と4年間も会わなかった。さらに、所属事務所の社長に「ヒジンがそんなに好きだったら、連れていって実の娘のように育ててほしい」と言うほどだった。

「10年前、Baby V.O.Xが大韓海峡を渡ったとき、水着を着て取った写真が新聞に大きく載ったことがあるが、それを見た父は倒れました。今も父は、私がノースリーブのTシャツを着ても『服着ろ』と言うし、爪を赤く塗っても驚きます。父のおかげなのか、私もバカ正直になりました」

4年ぶりに父に会ったのは、2003年初のミュージカル「Funky Funky」最後の公演のときだった。父は、ショートパンツを着て人の前で踊る娘を無表情で見て帰った。だが、“父”の話を描くドラマ「大丈夫、パパの娘だから」にイ・ヒジンが出演する中で、父の心も少しずつ動いた。

「『大丈夫、パパの娘だから』を見た父がお酒を飲んで泣いたそうです。一度も優しくしてくれなかった娘が、パク・イナン先輩とはあまりにも切ない父親と娘のように見えたのが寂しかったことでしょう」

イ・ヒジンは"父”を発音するやいなや涙を流したが、すぐ「この頃父は、友人が『君の娘、ドラマで綺麗だった』と言うことが好きだ」と言いながら「今は、テレビにたくさん出ないと残念がっている」と笑った。必ずヨン・ジヨンのように痛快な逆襲をするためではなく、画面の中の娘を見ながら喜ぶ親を見るためにも、イ・ヒジンは演技を続けるつもりだ。目標は「役者のイ・ヒジンさんですね?」という言葉を聞くことだという。

記者 : イ・ヒョンジン