「ファントム」 vs 「カクシタル」 vs 「追跡者」…復讐劇の全盛期

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写真=SBS

復讐をテーマにした3つのドラマの共通点

お茶の間が憤りに満ちている。今日も復讐、明日も復讐だ。朝と夜も問わない。午前9時45分tvN「黄色い福寿草」から始まった復讐劇は、午後10時5分放送のSBS「ファントム」、KBS「カクシタル」へと続く。

先日高い人気を得て最終回を迎えたSBS「追跡者 THE CHASER」(以下「追跡者」)も、娘を殺された父親、ペク・ホンソクの復讐をテーマにしていた。視聴者は、心の中で、あるいは口に出して悪口を連発しながらテレビに釘付けとなった。短いものは16話、長いものは100話のドラマが終わるまで、復讐が終わらないことを知っていながらも、つい見てしまう。あちらこちらへ逃げまわる加害者を見れば、憤りが込み上がってくるが、テレビを消すことはない。ただ、悪いやつに罪の償いをしてほしいだけだ。

“復讐”は、視聴者の集中度を高め、役者の演技を存分にアピールできるという点で、ドラマによく出てくるテーマだった。1999年「青春の罠」から2012年「追跡者」まで、たくさんの俳優たちが復讐を試みてきた。しかし、時間の経過とともに、“復讐の権化”も進化を遂げているのだろうか。最近のドラマに出てくる復讐は、過去の復讐とは2%ほど違う。その2%の違いを整理してみたい。

私的復讐の全盛期「犯人は自分の手で捕まえる」

最初の特徴は“私的復讐”だ。公権力から裏切られた主人公が自ら復讐に出る。法律がこれ以上、自分のために存在しないということに気づいたためだ。

通常なら、悪人への復讐は“自分”でできなければ法律に頼る。しかし、公権力までも彼らは買収した。その次は手がない。“自分自身”が頼みの綱だ。公権力を信頼できず、法律で復讐することが不可能になり、自身だけを信じることにしたのだ。

「追跡者」でペク・ホンソク(ソン・ヒョンジュ)の復讐の対象は、金と権力で検察と警察をすべて自分の味方にしてしまった大統領候補のカン・ドンユン(キム・サンジュン)だ。自身の政治的な目的のために、ペク・ホンソクの娘であるスジョンを殺したうえ、裁判の過程で援助交際に麻薬の濡れ衣まで着せた。自身の目的を叶えるためならば“道端の虫たち(カン・ドンユンの表現)”は踏みにじってしまう非道な悪そのものだ。

ペク・ホンソクは“真実”という武器を持ってカン・ドンユンを攻撃するが、結果はいつも牛と戦う蚊のようなものだ。“牛”カン・ドンユンは、毎回絶妙なタイミングに“蚊”ペク・ホンソクに致命的な殺虫剤を撒く。

「ファントム」キム・ウヒョン、もといパク・ギヨン(ソ・ジソブ)も同様だ。検察、警察、メディアが協力して真実を操作した事件、「シン・ヒョジョン事件」の犯人を明かすために死んだウヒョンの代わりにサイバー警察庁に入った。シン・ヒョジョン事件の犯人は、ウヒョンを殺し、自身をも殺そうとした人物でもある。ギヨンは、真犯人を捕まえ、ウヒョンの復讐を誓い、正義を守ることが目標だ。

「カクシタル」も同様。弟のイ・ガント(チュウォン)は、日本の手先となり、カクシタルを捕まえるために躍起になり、兄のイ・ガンサン(シン・ヒョンジュン)を自身の手で殺してしまう。母も日本人の手によって殺された。イ・ガントは、自身の兄の代わりにカクシタルとなり、家族の復讐を始める。植民地支配への怒りもあったが、その前に家族の怨念をはらすための個人の復讐だ。
ドラマの中の公権力の崩壊と私的復讐の横行は、“崩れた正義”への願望を物語っているような気がする。これらの主人公は、2年前に韓国で起きた“正義ブーム”を思い出す。マイケル・サンデルの著書をはじめ、“正義とは何か”を問いかけていた時期だった。しかし、2年が経った今も“正義”は私たちにとって手の届かないようなものだ。

政権末期の今、検察と警察絡みの不正事件、権力型の賄賂事件などが度々報道されている。そして、私たちは経験的に直感する。報道されている内容は、氷山の一角に過ぎないことを。“正義”は、あれだけ切なく叫んでも虚しい響きが戻ってくるばかりだ。ドラマの中の公権力の崩壊、同時に展開される私的復讐は、視聴者の疲労感を反映している。

復讐対象の巨大化「掘り下げるほど大きい。その正体は…」

2番目の特徴は、復讐対象の巨大化だ。復讐の対象は、掘り下げれば掘り下げるほど、巨大だ。一歩一歩復讐に近づくほど、その対象は主人公を徹底的に踏みにじる。そのたびに法律は冷たく主人公に顔を背ける。

写真=SBS
「追跡者」ペク・ホンソクの矛先は、支持率70%を超える大統領候補のカン・ドンユンに向けられる。ここに、財界1位のハンオグループも欠かせない。「ファントム」キム・ウヒョンの復讐の対象は、セガン証券の社長からセガングループの会長になったチョ・ヒョンミン(オム・ギジュン)だ。復讐だけのために10年間刀を研いできたチョ・ヒョンミンは、金で検察と警察を買った。「カクシタル」でもイ・ガントの復讐の対象は、広く見れば日本帝国だ。スケールでみれば前の2つのドラマを圧倒する。

このように巨大な復讐の対象は復讐を試みる主体、個人を限りなく小さくする。一生懸命に準備して、やっと主人公が一発食らわす時がきても、それは攻撃にもならない。何かやろうとすれば根こそぎにされてしまう。そのたびに視聴者は無力感を感じる。同時に、憤りのゲージは上昇する。

復讐の二重らせん「復讐は良い人ばかりがするものではない。悪い人も復讐する」

最後の特徴は、1つのドラマの中に2つ以上の復讐が絡んでいることだ。「追跡者」には娘を殺した人に向けたペク・ホンソクの復讐以外にも、シン・ヘラ(チャン・シンヨン)の復讐がある。ヘラの復讐は、父に濡れ衣を着せて死に追い込んだハンオグループと正義を守らなかった世界への復讐だ。

「ファントム」もキム・ウヒョン(パク・ギヨン)の復讐とファントム、チョ・ヒョンミンの復讐が共存する。ファントム、チョ・ヒョンミンの目標は、自身の父に濡れ衣を着せて死なせた叔父(ミョン・ゲナム)を同じ方法で破滅させることだ。「カクシタル」で優しい日本人の典型として登場したシュンジ(パク・ギウン)は、兄を殺したカクシタルに復讐するために日本の警察になった。

以前の復讐ドラマでは、復讐をする対象とされる対象がそれぞれ被害者と加害者に二分されていた。しかし、最近のドラマでは加害者もある側面では被害者になる。その中で復讐はストーリーをより強力なものにする。その分、視聴者の共感度も高まる。悪行を繰り返す悪人だが、「悪魔になるには、あの人にも理由があったんだな」と共感することになるといった形だ。

悪魔の犯罪そのものを理解することはできないが、悪魔の憤りにはある程度共感することになる。復讐劇の基本が視聴者の共感を呼び起こすという点では、様々な共感できる仕掛けを設けておくことは復讐劇として興行する要素となる。

私たちは知っている。ドラマが終わる前までは復讐は終わらないことを…。しかし、どれほど腹が立っても最後まで見てしまう。1999年には、「青春の罠」でのシム・ウナのように「あなた、ぶち壊してやる」と叫んだ。13年が経った今、依然として私たちはテレビを見て憤る。

主人公の復讐は、その時よりも緻密になると同時に無力になった。復讐劇は13年間進化した。しかし、復讐劇は今後なくなる事はないだろう。この地に“復讐を必要とすること”がなくならない限り。

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記者 : キム・ヘジョン、写真 : イ・ジョンミン