Vol.2 ― ウォンビン 「演技はおもしろいというより難しい」

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※このインタビューは2010年の映画「アジョシ」上映当時のものです。

―あなたは主に映画に出演していて、みんなが近付きにくいから、少し遠い存在に感じられるのかも知れない。よく顔を見ることは難しいから。

ウォンビン:他の方々もみんなそうではないですか?(笑) 実際、多くの作品でたくさんご挨拶できたらすごくいいと思う。でも、ある作品は始まって2年ぶりに公開される場合もあるし、「アジョシ」も「母なる証明」が終わって2ヶ月で決めて撮影に入ったが、1年経ってから公開された。そのため、遠く感じられるかもしれないし、早く近づくことはできないかも知れない。正直言って、私はゆっくり近付きたいと思っている。

―せっかちではないようだ。

ウォンビン:短期間にたくさんのものを見せることもいいが、地道に俳優という職業を続けるつもりだから。ゆっくり築いていけたらいいと思う。

「『母なる証明』をやって演技におもしろさを感じた」

―そういう態度が「母なる証明」の選択にも影響を与えたのか。結果的にいい選択だったが、「母なる証明」の役はともすると無理数になりかねなかった。

ウォンビン:「母なる証明」は、とりあえずポン・ジュノ監督とキム・ヘジャさんがいて頼りになって、そこで繰り広げられるものがあると思った。「アジョシ」の前までは、以前やった配役のイメージを持って見る人が多くて、例えば弱いイメージの配役がたくさん入っていた。しかし「母なる証明」は、自分の可能性を見て出演を勧めてくれたから、選んだというところがある。チャレンジ精神をもってやってみたかった。

―「母なる証明」をやって、役者としてどんなことを得たと思っているのか。

ウォンビン:「母なる証明」をやりながら緊張することもたくさんあったが、同時に自由だという感覚も多かった。演技にもう少し近づいて、演技にもう少しおもしろみをもって、気楽にカメラの前に立つことができた。

―演技が最初からおもしろかったわけではないのか。

ウォンビン:今もおもしろいとは思わない。おもしろいというよりは難しい。それでも、絶えずこの仕事を続けるのは、残念な気持ちのためだと思う。何だか次の作品はもっとうまくできるのではないかと思うようになる。もちろん、演じながらカタルシスを感じることはある。そのカタルシスに喜びを感じながら次の作品はこれよりもっとうまく行けばいいなと思う。

―「アジョシ」のカタルシスはどこにあると思うのか。

ウォンビン:観客の反応を見るとはっきり分かると思う。

―映画館で観客たちと「アジョシ」を一緒に観たことはあるのか。

ウォンビン:舞台挨拶のためにそれはできなかった。観客と映画を観るのは大変だ。公開する時は、時間的な余裕がないから。それに、何か自分の映画を映画館で観ることはいまだに慣れないというところもあるし。

―観客としてはどんな映画が好きなのか。

ウォンビン:ジャンルは問わない。どうせ俳優生活をしていく限り、ジャンルを選り好みすることはできないと思う。いろいろな作品に挑戦しようと思う。

―それでは、将来どんな俳優になりたいという絵は描いているか。

ウォンビン:ただ頑張るだけだ。作品が決まったら私ができるだけベストを尽くして、後悔しない作品を作りたいというのが欲心で、それで結果がよければ、あとは誰かのお手本になれる俳優になりたい。

「人間臭い作品が好き」

―それだけに作品を選ぶ際、慎重になると思う。作品のどんな部分を一番大事に考えるのか。

ウォンビン:シナリオがしっかりしていることが第一で、その中にどんな物語を盛り込んでいるのかも大事だ。わざとではないが、今まで私がやった作品を並べると、人間臭い作品を選んできたようだ。「ブラザーフッド」も、「母なる証明」や「マイ・ブラザー」も人間同士の人情というものが必ず入っている。「アジョシ」も子供との愛が盛り込まれていると思うが、そういう疎通がなくてもこの作品に出演したのだろうかと思う。
―アクションよりキャラクターの疎通がもっと大事だったということか。

ウォンビン:アクションも重要だが、私も監督もアクションがいちばん重要だとは思わなかった。アクションだけでは人の心を動かせない。心が観客に伝わってこそ、アクションも説得力があると思って、そういう部分に重点を置いた。

―それで「アジョシ」に出演したかったのか。本来シナリオでは、もう少し年上のおじさんとして設定されているが、監督になぜこれをやりたいのかきちんと話したと聞いた。

ウォンビン:きちんと話したのではなくて(笑) 最初は何の情報もなしに台本を見た。なぜタイトルが「アジョシ(おじさん)」なのかと気になっていた。“アジョシ”というと、ずいぶん人生を生きてきた感じがあって、背景のストーリーも多そうだった。ところが、台本を開いてみたら、アジョシが全然アジョシっぽくなかった。私が出演することでセリフや状況、アクションが変わったところは全然なくて、年齢だけ下がったのだが、見て「おっ、このおじさん結構カッコいいな」とすごく惹かれていた。年齢も高くて、アクションだけカッコよく映って、傷もない人物の映画だったらやらなかったと思う。

―ところが、「アジョシ」は前作とは違って、あなたが占める割合が絶対的というほど多い。映画一本を背負うという負担はなかったのか。

ウォンビン:こういう経験は初めてで、撮影する時はそんなに負担は大きく感じなかった。ひとりでこんなに忙しく進める映画をやったことがなくて、負担を感じる間もなく目の前に置かれた状況を何とか早く解決しなければならないとしか考えていなかった。監督が“ひとりでこういう映画を引っ張っていくことは大変かもしれない”と言っていたが、私は他の映画でもこうやったのに何が大変なんだろうと思って(笑) 忘れてしまった。「以前やったとおりに頑張ればいいだろう」と思って。実は、そういうことを受け入れるのを自らやめようとした。プレッシャーのせいにして結果が良くなくなることは分かっていたから。映画の撮影が終わって、周りの人が私のことについてたくさん話をしてくれて、だから監督がそのとき言ってくれたのだと思う。

―しかし、あなたにはもっと大きな人気を得るという野望とかはあまり見えないようだ。海外活動に興味を持つこともなくて。

ウォンビン:俳優としてそういう機会があればいいと思う。興味がないというより、そんなチャンスがなかった(笑) 実は、積極的に何かをやるタイプではない。任せてくれればその中で最善を尽くす方だ。

―もともとそういう性格なのか。

ウォンビン:積極的に前に立って何かをやるような性格ではなかった。任せられたら、ベストを尽くして上手くやるという責任感が大きかったと思う。がっかりさせてはいけないというところが大きい。任されたことは上手くやりたいということはすごく思う。

「なるべく後悔しない人生を生きたい」

―そういう性格がこれまでの歩みに影響を与えたのか。慎重に作品を選んで自分のキャラを作っていくという感じもするが。

ウォンビン:そういうことではない。「母なる証明」であんな役を演じたからといって、次は「アジョシ」みたいなものをやりたいと思っていたわけではない。実は、好き嫌いはない方だ。自分の心が動くとやる方なので、どんな役だというのは重要ではない。俳優は作られた舞台でどう上手くやるのかが大事で、その舞台がどんな舞台なのかがポイントだし、その中で私が自由に上手くやることが重要だ。

―しかし、毎回本人がやりたい舞台にだけ立てるわけではない。例えば、あなたがビールのCMのようにポン・ジュノ監督をからかう姿がもっと楽に見えるが。(笑)

ウォンビン:監督にすまない(笑)

―しかし、人々はT.O.P.(コーヒー飲料のCM)のウォンビンをもっと見たがっているようでもある。そんな部分で悩む時はないか。

ウォンビン:見たい部分と見せたい部分が……その支点が「アジョシ」ではないだろうか?

―そうだと思う。そういう点で、「アジョシ」があなたのタイミングで重要な作品のようだし、自ら自分の作品をコントロールしているようだった。

ウォンビン:そう見てくれたらありがたい。たぶん「母なる証明」があったからそれができたのではないだろうか?

―「アジョシ」で「明日を生きるやつは今日だけ生きるやつに殺される」というセリフがある。あなたはどう生きる人だといえるのか。

ウォンビン:その瞬間を充実させようとすごく努力する。なぜなら、戻ってこない時間だし、過ぎたら引き返すことのできない時間だから……もちろん、振り返ると後悔することもあるだろうが、なるべく後悔しない人生を生きたい。

―あまり未練もなくて?

ウォンビン:未練をもったって何か変わることもない。いちばんいいのはその時、その瞬間を生きて、その瞬間後悔することが少ないことだと思う。後悔することはあるだろうが、それを最小限にしたい。

記者 : カン・ニョンソク、翻訳 : ハン・アルム、写真 : イ・ジンヒョク、編集 : イ・ジヘ