Vol.1 ― 放送終了「ラブリー・アラン」鏡を見るような現実…韓国社会の弊害を詳細に示す

OSEN |

※この記事にはドラマのストーリーに関する内容が含まれています。
写真=MBC「ラブリー・アラン」放送画面キャプチャー
放送終了した「ラブリー・アラン」は、悲しいが鏡を見るような現実だった。ドラマだったが、もっぱら根拠のない話ではなかった。そのため視聴者は、このドラマを観ながら心の片隅が詰まる思いもし、代理満足の快感を感じたりもした。そして、最後までセウォル号沈没事故により傷ついた韓国社会の至る所の人々を癒やした。

7日に韓国で放送終了したMBC水木ドラマ「ラブリー・アラン」は、学校暴力に苦しむ娘を救おうと母チョ・ガンジャ(キム・ヒソン)が学校に戻り繰り広げられる物語を描いた。ドラマが描く学校は現実的だったが、母が高校生に偽装するという設定はファンタジーだった。仮想とファンタジーの絶妙な組み合わせの中、このドラマは韓国社会の弊害を細かく示した。

学校は、韓国社会の弊害が集約されている縮小版だった。大人たちの利己心により、生徒たちは不幸せになり、他の生徒をいじめた。このような、強いものが弱いものをいじめる大人の世界をそのまま真似る生徒たちの姿を見ても、利己的な大人たちは目をつぶる。不合理なことが日常のように起こる所、「ラブリー・アラン」の中の画稿は凄まじいものだった。このドラマは、私たちが限らぬほど接した現実を取り上げるだけでなく、苦しむ被害者たちを抱え込んだ。そこで、癒やしと共感が生まれた。

最近の世態を赤裸々に描き、ガンジャが高校生として生活する設定以外には違和感の感じられないドラマ。このドラマは現実と接点があり、他のドラマに比べ暗いところがあった。軽く愉快な物語ではなかったため、幅広く愛されることはなかったが視聴率は2位をキープし、最終的にはSBS「匂いを見る少女」と地上波ドラマの3位の座で争った。しかし、視聴率で評価してはならないドラマだった。

写真=MBC「ラブリー・アラン」放送画面キャプチャー
「ラブリー・アラン」が伝える重たい物語は、究極的に他人への関心と愛、そして理解が必要だということだった。ドラマは後半、セウォル号沈没事故を思わせる別館崩壊事故を取り入れ、視聴者の胸をつまらせた。セウォル号沈没事故から1年が過ぎてお茶の間に届けられた、私たち皆を反省させる物語。ドラマの持つ波及力を正しく活用する制作陣の実直なドラマが根底にあったからこそ可能なことだった。

何よりも、最後に伝えた物語は感動的だった。ガンジャがホン・サンボク(パク・ヨンギュ)一味を法の審判の前に突き出したが、正義は実現されなかった。全員が低い量刑を受け、その上サンボクは大統領特別赦免により罰を逃れた。その代わり、権力の犬だったサンボクが誰かに殺され、勧善懲悪は実現した。そしてこのドラマは「世界の全ての春には冬があり、全ての冬には春がある。根さえ丈夫なら、どんなに険しい冬が着ても春の花は咲くはず」とし、セウォル号沈没事故の後遺症を隠喩的に癒やしながら締めくくった。依然としてもどかしい社会の現実だが、「ラブリー・アラン」は希望を物語りながら幕を閉じた。

完成度の高い物語だけでなく、感覚的な演出と新人作家らしい覇気溢れながらもきめ細かい台本、そして俳優たちの熱演も大きな役割を果たした。キム・バンディ脚本家は昨年、MBCの脚本公募戦により「ラブリー・アラン」の執筆の機会を得た。ありがちでありながらも、ありがちでなくアプローチする現実社会の物語は魅力的だった。

キム・ヒソンは初めての母役で視聴者の共感を引き出し、キム・ユジョンとジスなどこのドラマの生徒役の俳優たちの演技も素晴らしかった。現実を喩えたドラマで俳優たちが安定した演技を披露し、訴求力のある作品を作り上げた。

「ラブリー・アラン」の後番組である「幸せのレシピ」は、火病にかかったアリと愛情不足のキリギリスの愛というユニークな発想から始まるラブコメドラマだ。13日午後10時に初放送される。

記者 : ピョ・ジェミン