SHU-Iの覚悟「日本で培ったバラエティ番組のノウハウ…韓国でも発揮したい」

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2009年、満を持してデビューし、アイドルブームに乗ってトップを目指した。韓流ブームのおかげでデビュー直後に日本からのラブコールを受けた。日本での活動に注力し、4年間知名度を上げてきた。日本での足場を固めている間、韓国国内での活動はほとんどなかった。いつの間にかSHU-Iには“発展途上”という現実が付いてまわるようになった。2013年の夏、デビューへの覚悟を新たにしたグループSHU-Iのことだ。

リーダーのインソクを筆頭にメインボーカルのミンホ、ボーカルとラップを担当するチャンヒョン、ヒョンジュン、ジンソクで構成されたSHU-Iは、韓国より日本での認知度の方がはるかに高い。BIGBANG、東方神起、BoAなどと一緒に夏のミュージックフェスティバルに韓国を代表する歌手としてステージに上がった。東京ドームで開かれたチャリティコンサートでは、ペ・ヨンジュン、SS501のリーダーキム・ヒョンジュンなどと肩を並べた。

ニューアルバムのタイトル曲「怯まないで」は、メンバー自らが自分に伝える激励だ。アルバムの目標は高く設定せずに、「SHU-Iがいたんだ」「SHU-Iまだ生きてるね」という反応を得る程度だった。日本で培ったバラエティ番組のノウハウを韓国でも発揮したい。


5人の個人ではなく、一つのチームとして

“きっと成功する運命である”というポジティブな気持ちでここまで来た。日本で3年間を耐えることができたのも、どこまでもポジティブに考えることのできる力があったからだ。個人的な欲が大きかったら、すでにチームはダメになっていたはずだ。良かった時間よりも、苦労し、大変だった時間の方がずっと長かった。個々の欲を減らし、チーム全体の夢だけを見つめてきた。

チャンヒョンは、ヒョンジュンのことを「周りに人が多く集まる、性格の良いメンバー」と紹介した。基本、人のことが好きで、尊重するということだ。背が低いとからかわれることもあるが、体のバランスが良い。日本のテレビ番組に出演したときも、最初から緊張せずに、日本語でもバラエティが可能だったトークの腕前を持つメンバーだ。

ヒョンジュンは、ジンソクについて“自己啓発ができる”と褒めた。腕相撲で相手を負かすほど力が強く、ダンスの実力が優れている。日本語の勉強のために強いチャレンジ精神を発揮した。

ジンソクはインソクとの初めての出会いを覚えていた。「無愛想だと思ったが、知れば知るほど活発な人だ。時々、笑いのツボが会わずに、困惑することもあるが、雰囲気を掌握する力がある。その上、ハンサムだ」と説明した。

インソクはミンホのことを「チームの中心をしっかり取る」と評価した。チーム全体の調整のためにいつも犠牲精神を発揮するそうだ。

ミンホはチャンヒョンについて「頼もしく、父親のような役割をしている」と切り出した。その例として、電球を取り替えたり、合宿所内の問題を解決するなど、誰かが面倒くさがることを自ら見つけて積極的にやっているそうだ。


デビュー前から韓国国内では有名だった

常に一緒に過ごしているSHU-Iは、お互いについて知らないことがなかった。チーム内の役割も合理的に決まっており、チャンヒョンは料理、ヒョンジュンは運転、ジンソクは警護、インソクは掃除、ミンホは運搬を担当した。ここ4年間は日本語の勉強に邁進し、アルバム活動とバラエティ番組への出演を並行して行いながら、時にはこっそり恋愛もした。

理想のタイプとして、チャンヒョンは腕の中にすっぽりと入るような可愛いタイプ、ヒョンジュンは笑顔が爽やかで脚が綺麗な女性、ジンソクはご飯をリラックスして食べられるくらい性格が合う女性、インソクは一目惚れするほど首のラインが綺麗な女性、ミンホはレザージャケットが似合い、スポーツが好きな相手を選んだ。

実際、SHU-Iはデビュー前の過去から華やかで、すでにアイドル以上の人気を享受していた。様々な大会での受賞歴、学校の成績、格別なルックスで注目された。華麗だったSHU-Iの歴史を一人ずつ見てみよう。

チャンヒョンは学生時代の12年間、ずっと委員会の役員をしていた。学年トップクラスの成績を維持できたのは暗記力のおかげだった。歌手に対する夢を手放すことができず、大学進学を諦めたが、1年間の準備期間でグループに抜擢された。歌手デビューする前には、街でスカウトされて広告モデルもやっていた。女子生徒にはいつも人気があったという。

ミンホは、スノーボードとスキーを15年間やっていた。チャ・ボムグン(元サッカー韓国代表)のサッカー教室ではエースと呼ばれ、選手として活躍するほど運動面で優れた実力を持っている。すでに小学校のときから生写真が販売されるほど人気があった。

インソクは自然が好きだ。山を眺め、散策することを楽しむ。人気は20歳のときから爆発し始めた。振り返ってみると、歌手になるためにオーディションを受けて、ずっと準備する生活を送ってきたという。

ジンソクは中学3年生のとき、初めてダンスを学んだ。チームを結成し、青少年大会を総なめした。大賞を受賞し、日本まで行ってきた。ソウル芸術大学舞踊学科に主席で入学した後も、ダンスの実力をさらに高めたいという欲は変わらない。

ヒョンジュンはデビュー前から有名だった。オンラインゲームを知る前まではトップの成績を維持する優等生だった。しかし、オンラインゲームにはまり、全国ランキング10圏内に入るようになってからは第2の人生を生きた。女装してバラエティ番組に出た後、インターネットでオルチャン(整った顔)として名前を知らせた。AFTERSCHOOLのレイナ、2PMのチャンソンとも縁がある。

記者 : キム・イェナ、写真 : チョ・ソンジン