【ドラマレビュー】韓国版「花ざかりの君たちへ」の可能性はSMワールドの外にあった

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美しい企画意図は、なぜ色あせたのか?

やっとお互いの心を確認した。しかし、ドラマは終盤に差し掛かっている。最終回まで1話しか残っていない「花ざかりの君たちへ」(原作:花ざかりの君たちへ)で、ジェヒ(f(x) ソルリ)はテジュン(SHINee ミンホ)に、ついに女として近づけるようになった。

SBS水木ドラマ「花ざかりの君たちへ」は、高飛び選手のカン・テジュンに憧れてきたク・ジェヒが、心を閉ざし運動までも辞めようとする彼を助けるため、男装して男子体育高校で生活する話を描いた成長物語だ。二人は寮で同じ部屋となり、テジュンはジェヒが女だということに気づく。

男装女性をテーマにした物語の見所がそうであるように、見た目では同性の二人のロマンスはいつも危うい。そして、ここにも三角関係は存在する。ジェヒが女であることを知らないウンギョル(イ・ヒョヌ)は、自身の性的アイデンティティに背いてまでジェヒへの気持ちを告白した。

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ときめき、誰かにとっては気の毒

しかし「花ざかりの君たちへ」は最初から最後まで「自身の正体がばれることを心配するジェヒと、それを守ろうとするテジュン」の繰り返しだった。自然と危機に直面し、それを乗り越える短編的なエピソードの並びになるしかなかった。もちろん、ジェヒにより少しずつ成長しながら、再び高飛びができるようになったテジュンの成長ストーリーが盛り込まれてはいるが、その変化を感じる前に退屈さを感じた視聴者がチャンネルを変えてしまう可能性が高かった。

イケメンが見所なドラマの公式通り「花ざかりの君たちへ」が力を注いだのはイメージだ。しかし、ストーリーが特定のイメージのための補助的手段になってしまったことが、失敗の大きな原因の一つに思われる。たとえば、ジェヒとテジュンが雨水を避けるために抱き合うシーンや、上体起こしの途中抱き合ったまま倒れるなどの決定的なシーンを作るために、前後の状況が存在する形だ。

出演アイドルのファンならともかく、特定の視聴者のときめきは、その他の視聴者にとっては気の毒に過ぎなかった。最初から「花ざかりの君たちへ」は“ファン”という、あまりにも狭い視聴者層をターゲットにし、それを超えられなかった。青少年ドラマのレベルに止まるしかなかった設定もまた、30代以上の視聴者を魅了するには物足りなかった。

何よりも美少年、美少女に分類されてきたアイドルが、SMエンターテインメントが制作したドラマの中でも、そのイメージから逃れられない設定は、目に見えていた。ミンホとソルリの俳優としての可能性は、彼らを盲目的に連呼するファンだけが存在するSMワールドではなく、その外で発見される確率の方がより高いのではないだろうか。

マクチャンドラマ(日常では起こらないような出来事や事件が次々と起きる韓国特有のドラマ)に溢れる中で、純粋な情熱と成長を描くという意図は輝かしいものだったが、問題はなかなか刺激を受けない視聴者ではなく、「花ざかりの君たちへ」に欠けていた面白さだ。このドラマの成功の鍵は、忠実な5%の視聴者層以外を虜にすることだった。

記者 : イ・ヒョンジン