「王になった男」人々が夢見ていた王に出会った
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写真=Realize Pictures
本当に王になったハソン、21世紀にも通用する理想の指導者
韓国で9月13日に公開を控えている「王になった男」は、朝鮮の第15代国王光海君(クァンヘグン)を題材にした映画だ。しかし、王になれず光海君と呼ばれた悲運の君主は、自身の名前を取った映画でも主人公になれない。「王になった男」の本当の主人公は、光海の代わりに王の役割をした賤民ハソン(イ・ビョンホン)だった。光海8年。在位中に廃位や毒殺の脅威にさらされた光海(イ・ビョンホン)は、宮殿から出ることを考えるが、ホ・ギュン(リュ・スンリョン)は宮殿を守るように話す。結局、光海とホ・ギュンは、光海が宮殿を留守にする間、王に代わって影武者となる人物を探すことになる。そして、光海とそっくりの道化師ハソンが影武者として選ばれる。
しかし、その後、光海が突然意識を失い、光海の意識が戻るまでホ・ギュンはハソンに王の役割を遂行することを命じる。街の道化師から一国の王に身分が変わったハソンは、ホ・ギュンの指示に従い、言葉遣い、歩き方、国政の治め方までを学ぶ。そして、ホ・ギュンが驚くほど、ハソンは短時間で君主としての姿を整えていく。
聡明さを持って生まれたが、毒殺の脅威により神経質になった光海とは違って、情深く温かい心を持ったハソンは、自身の正体を疑う人まで抱擁する力を持っている。そして、政治に利害関係という概念を持たないハソンは、もっぱら国と民のことを考え、自身の所信通り政策を行なっていく。いっそのこと、光海ではなくハソンに王であり続けてほしいと思うほど、ハソンは私たちが夢見ていた理想の君主像を見せてくれる。
実存する人物、光海の代わりに、もう一人の光海を主人公にした「王になった男」は、賤民ハソンの15日間の王遊びで指導者が備えるべき資質を考えさせる。
マーク・トウェインの「王子と乞食」をモチーフにした映画が歴史的に論争の多い光海を取り扱う代わりに、完全に新しい光海を立てた意図は明らかだ。
強大国の顔色をうかがうことなく、民(国民)を優先する君主、既得権の利益を大胆に民に幅広く分けてあげるために積極的に乗り出す王。それこそ私たちが心から願っていた指導者だ。しかも、ハソンは政治的な利害関係を考えるよりは、国と民の味方になり、“常識”で国の課題を解決しようとする。体系的に政治を学んだこともなく、国を統治した経験もないハソンが、本当の王より君主として魅力的な理由だ。
身分制度が厳しく分かれている朝鮮時代。だんだん君主としての姿を備えていくハソンに集中した余り、本当の光海の君主としての悩みを取り扱っていないのは、君主の本当の姿勢を見せたいという映画のメッセージを曖昧にさせてしまう。しかし、朝鮮時代を借りて現在の政治を論じる映画だ。ハソンを通じて、背景もない人も立派な指導者になれると物語ることは適切なように見える。
賤民を借りて朝鮮、そして2012年の韓国が必要とする真の君主の姿を描いた映画「王になった男」は、大統領選挙を控え、真のリーダーを望む国民たちにカタルシス(解放感)を与える。
また、商業映画であることを考えた場合、比較的高い完成度を持っている。映画の半ばまでは笑いと感動が適切に調和し、ストーリーの展開がしっかり築きあげられていることに比べて、結末はやや惜しい。
しかし、“政治”という興味深い題材と、非の打ちどころがない俳優たちの演技。特に、真逆な二人の光海を自然と行き来しながら、観客を笑わせ泣かせたイ・ビョンホンは、ハソンがそうであったように、見る人の心の扉を開かせる。
記者 : クォン・ジンギョン