「ファジャン」アン・ソンギ、演技人生60年、挑戦を恐れない“国民的俳優”

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俳優アン・ソンギ(63)は今年でデビュー58年目になった。子役として出演した映画だけで約70本、計160本あまりの映画に出演した彼の歴史は、そのまま忠武路(チュンムロ:韓国の映画界の代名詞)の歴史であり、“国民的俳優”は彼のために作られた呼び名に違いない。

そんな彼がデビュー58年目にして意味のある挑戦に乗り出した。イム・グォンテク監督の102本目の映画「ファジャン」(監督:イム・グォンテク、製作:ミョンフィルム)でこれまでに見せたことのない色の熱演を繰り広げたのだ。彼は「やったことのない演技なのでいつも難しかったし、大変だった」と打ち明けた。半世紀以上俳優の道を歩んできた彼にとっても、演技は相変わらずときめきを与えてくれることであり、手強いことであるようだ。

「ファジャン」は2004年に第28回李箱(イサン)文学賞で大賞を受賞したキム・フン作家の小説を原作にした作品で、癌になった妻が死に近づくほど他の女性を深く愛するようになった男性の切ない渇望を描く。

アン・ソンギは人生の切なさと沸き上がる渇望が混ざった中年男性の心を特有の落ち着きのある演技で表現した。彼は欲望と絶望を眼差し一つで表現した。妻の葬式を行いながらも広告のコピーを決裁しなければならない厳しい人生に押しつぶされたオ・サンムの疲れ、若い女性の前で揺らぐ中年男性としての葛藤をバランスよくスクリーンで表現するのはアン・ソンギだからこそ可能なことだった。

「ファジャン」の揺れる中年オ・サンムとは違い、実際のアン・ソンギは抜け目のない人生を生きている。先輩、後輩の慶弔事には必ず参加し、信号無視は想像もできない。それだけでなく、インスタントコーヒーも自分がモデルとして活動しているブランドのコーヒーだけを飲む人生。「そのような人生は大変ではないか」という質問に、アン・ソンギは「大変と言えば大変だし、大変じゃないと言えば大変じゃない」と淡々と答える。

次回作「狩り」(監督:チョン・ジヌ、制作:ビックストーンピクチャーズ)で並外れたアクションシーンにチャレンジする彼は「髪も伸ばし、ビジュアル的に多くの試みをする」と期待を示した。演技人生60年、挑戦を恐れない彼の歩みは今も現在進行形だ。

以下はアン・ソンギとの一問一答である。

―世界の様々な映画祭に招待された。反応が一番よかったところは?

アン・ソンギ:ベネチア映画祭だ。本当に胸がじーんとするくらいだった。形式的な拍手ではなく、心からの熱い拍手をもらえた。僕もベネチアで完成本を初めて見たため、観客の気持ちで見た。韓国でも海外でも共感できる題材なので、さらに好んでもらえたのだと思う。もちろん釜山(国際映画祭)での反応もよかった。これからは観客の反応が気になるところだ。

―50年以上映画をしているのに、今も興行成績に対する不安はあるのか。

アン・ソンギ:投資者、制作者に対する最低限の責任があるからプレッシャーを感じる。俳優をしていて一番嬉しい時は、公開された映画の興行成績がいい上に、撮影中の映画も気に入っている時だ。そういう時は本当に恍惚とする。

―シナリオも出ていない状況で出演を決めたと聞いた。

アン・ソンギ:一昨年の釜山国際映画祭で決めた。ミョンフィルムの方から連絡があった。おそらく監督と話し合った内容を僕に伝えたようだ。家に他の本はないが、李箱(イサン)文学賞の全集は持っている。短編小説が好きだ。短いけれど起承転結がはっきりとしていて、メッセージが明確なので演技に役立つからだ。10年前、「ファジャン」を読んで衝撃を受けた。キム・フン作家の文体は独特じゃないか。「ファジャン」を読んで「映画化したらいいだろう」と思っているうちに映画の出演オファーがあり、とても嬉しかった。何より中年の悩み、葛藤、心理を扱う映画に出演できてよかったと思う。もちろん僕の年齢は中年を超えたけど(笑)

―最近の出演作でここまで深いクローズアップはなかった。長年演技をしてきても、クローズアップはやはり難しそうだ。

アン・ソンギ:オ・サンムの雰囲気を表現することが容易ではなかった。いつもそのような状況を想像しながらエネルギーを注ぐしかないため、撮影中はずっと大変だった。普段よく冗談を言うが、それを抑えて沈潜していた。現場の雰囲気もすごく思索的だった。

―初めてベッドシーンに挑戦した。ランニングシャツを着ていた理由は何か。

アン・ソンギ:実際にチュ・ウンジュと見つめ合ったり、愛し合ったりするシーンはない。すべてオ・サンム一人で見つめたり、想像するだけだ。妻とのベッドシーンも同じ脈絡だ。病気の妻と愛し合うのに上着を全部脱いできちんとするのもおかしいと思った(笑) 映画の意図と違うシーンになりそうだったからランニングシャツを着たまま演じた。

―「フェアラブ」でも一度ラブシーンを演じた。「ファジャン」でも多少露骨なシーンに対する悩みがあったと思う。

アン・ソンギ:最初のシナリオではもうちょっと露骨なシーンがあったけど、そのままだとあまり他の映画との差別化がなっていない気がした。見所を中心にする映画より、感情が節制されているほうがはるかにいいと思った。

―イム・グォンテク監督の作品は8作目だ。

アン・ソンギ:監督は今も昔のスタイルにこだわっている。当日の朝早く現場に出てカットを分けてアングルを悩む。毎朝スタッフと俳優が集まって会議をするのだ。最近はあまり見られない風景だ。瞬発力を求める現場であるわけだ。もちろん大作映画ならストーリーボードが必要だと思うが、監督の映画は人間中心の映画じゃないか。このようなスタイルが合っていると思う。

―アン・ソンギ、キム・ギュリとは違い、キム・ホジョンは「ファジャン」が初めてのイム・グォンテク監督作だった。

アン・ソンギ:数本の映画に出演しただけだったから映画現場のメカニズムに慣れてないところがあった。しかし、作品に臨む姿勢や情熱があったため、すぐに吸収した。また癌患者のキャラクターなので痩せなければならなかった。餓死しない範囲で食べていた。本人はつらくなかったと言うが、役に近づく過程だと思ったから、苦痛ではなく喜びとして受け入れたんだと思う。

―ここ数年間カメオ出演が多い。

アン・ソンギ:「力を添えてほしい」という提案が多いが、出演後に残念だという反応を時々聞いた。今年からは僕がやりたいままにしようと思った。

―アン・ソンギという名が持つ重さに対する責任感のためか。

アン・ソンギ:最初は「ちょっとだけ撮影に参加すればいい」という考えで出演する。でもいざ映画館で作品が上映されるのに『アン・ソンギ、存在感がないな』と言われると、むしゃくしゃする。また僕はカメオだから途中から撮影に参加するけど、残りの人々は撮影前の告祀(コサ:幸運をもたらすように祭壇を設け、供え物を供えて祈ること)からクランクアップまで一緒に旅をする人たちじゃないか。その思い出を一緒に分かち合えない立場はすごく寂しい。そこが容易じゃない。

俳優として大きな役に対する欲は「NOWHERE ノーウェアー」(99)に出演した時にすでに諦めた。助演でも一生懸命にすべきという悩みは1990年代にすでに終わった悩みだ。しかし、役の大きさに関係なく存在感がないと言われるのはとてもつらい。

―副執行委員長を務めている釜山国際映画祭が騒がしくなっている。

アン・ソンギ:釜山国際映画祭は釜山で開かれるが、その意味と規模から見ると大韓民国の国際映画祭とも言える。その分、釜山市にも配慮していただきたい。韓国のために釜山市が貢献していると思って配慮してくれれば気を病むことがないと思う。映画祭で上映される映画も成熟した韓国の国民が判断することであり、それに何かの物差しを突きつけるということは……その物差しは何であれ、それができる権限が(釜山市に)あるのだろうか。

―様々な協会の委員長を務めているし、慶弔事もちゃんと出席し、信号無視もしない。そのような人生は大変じゃないか。

アン・ソンギ:時々マネージャーに「(信号無視して)そのまま行こう」と言うことはある(一同爆笑) それを大変だと思えば大変だし、大変じゃないと思えば大変じゃない。自分の考え方にかかっている。慶弔事も「ああ、行きたくないな」と思うと大変だけど、人生の過程、出会いの時間、回想と追憶の時間だと思うと大変じゃない。

―コーヒーもモデルを務めたブランドのコーヒーしか飲まないと聞いた。

アン・ソンギ:最近はアラビカ○○○を飲む(笑) 朝それを飲んで一日が始まる感じがする。

―現在、忠武路ではアン・ソンギにどんな顔を求めているのか。

アン・ソンギ:僕も気になる。ハリウッドの場合は年取った俳優が悪役をたくさん演じているが、僕はしたくない。感動、楽しさを与える役割がしたい。悪役をしないと演技に制約があると思った瞬間もあるが、最近はむしろ楽になった。必ず悪役を演じる必要はないと思う。

記者 : キム・スジョン、写真 : イ・ソンファ