「ギャグコンサート」墜落する番組には理由がある

OSEN |

KBS 2TV「ギャグコンサート」は、韓国のお笑い番組の革命だった。従来のお笑い番組が全部同じ形に作られたことに対し、「ギャグコンサート」はタイトル通りコンサート形式に制作され、観客と一緒に楽しむ公開放送として新鮮な感じを与えた。

その結果、なんと14年間も続く長寿番組として浮上した。しかし以前とは違い、最近コメディアンの人気が維持される期間は非常に短い。「ギャグコンサート」が人気コーナーで人気コメディアンを作り出してもその人気が長く続くことはなかった。それにもかかわらず、「ギャグコンサート」は新しいスターによる新鮮なコーナーを作り続けることで長く強い生命力を見せてきた。日曜日の夜の視聴率で「ギャグコンサート」の右に出る者はなかった。

「ギャグコンサート」は、お笑い番組界に様々な革命を巻き起こした。まず、公開放送で地上波3放送局の制作方法を変えた。「ギャグコンサート」の威力で崩れたSBSは「笑いを探す人々」で、MBCは「コメディにはまる」でプライドに関係なく「ギャグコンサート」を真似した。それだけでなく、ケーブルTVのtvNまで「コメディビッグリーグ」という公開コメディ番組を作った。

また「ギャグコンサート」は、コメディアンの地位を高めた。これまでは歌手や俳優などがトップクラスを守ってきた。最高の人気俳優や歌手に比べ、トップクラスのコメディアンがCMでもらうギャラや出演本数は非常に少なかった。そのため人々もコメディアンを歌手や俳優と対等に見ることはなかった。

だが、それが変わった。カン・ホドンとユ・ジェソクなど、コメディアン出身のMCと共に「ギャグコンサート」の人気コメディアンがコメディアンの地位を高めた。「ギャグコンサート」出身の人気コメディアンがCMを縦横無尽に駆け巡る時代を切り開いた。

しかし、昨年春にチャン・ドンゴンのドラマ復帰作「紳士の品格」の放送で「ギャグコンサート」は危機に直面した。これまで視聴率1位を守り続けてきた「ギャグコンサート」だが、時々「紳士の品格」に1位を奪われた。今年に入ってから初めて20%台から10%台に落ちた。同時間帯の視聴率1位は守れなかった。MBC「百年の遺産」が20%台を記録していることに比べ、「ギャグコンサート」は10%台に留まっている。

もう衰退したのだろうか?もう新鮮ではない「ギャグコンサート」は、前より活気がない。制作陣や出演陣もそれを十分認識しているようで、最近新コーナーを次々と登場させ、変化と改革のため努力する姿を見せているものの、彼らの努力とは裏腹に視聴者の反応はそれほど良くない。

それもそのはずで、既存のコーナーは飽きられ、今ではお決まりの形式と台詞の中のある一部分の台詞だけが軽い笑いを与えるだけだ。さらに新コーナーは現在人気を得ているコーナーが初めて登場した時ほどのインパクトがない。

題材の枯渇と固定化したパターンの「不便な真実」「乞食の品格」「チョン女史」「4つ」は、まるで長距離レースで疲れきった老人のように活気がない。

「生活の発見」はかなり前からプロモーションの場になり、これ以上面白さを期待することは難しい。

新しく登場した「現代リアル辞典」「私はパパだ」は、既にあったコーナーにアイデアを持ってきただけで、「アニマル」「ボティゴ」などの新コーナーも陳腐な印象を与えているだけだ。特に、「ボティゴ」はもうこれ以上見せることがないと言っているかのように画一化された印象で、見る人々をさらに疲れさせる。ホ・アンナがキム・ジャングン、リュ・ジョンナム、キム・ジホ、キム・ジュノなどの頬を殴り、笑わせようとする昔のドタバタコメディは、一度使うとあとは面白くない。

「巨済島(コジェド)」は馬鹿の真似をしているチョン・テホとシン・ボラの演技が同情するほど空しい。このような古いコメディで、刺激に鈍感になった最近の視聴者たちを笑わせようとするなら、それは時代錯誤的な発想だといわざるを得ない。悲しみの中で笑いを誘う新鮮な発想で注目を浴びた「悪い人」は、早くもアイデアの枯渇に陥り限界にぶつかった。

その中でメッセージ性のある「視聴率の帝王」がパク・ソングァンの演技力などに支えられ奮闘しているが、それ一つだけで10個以上のコーナーで構成されている「ギャグコンサート」全体の生命力を復活させることは無理だ。

なぜ「ギャグコンサート」は華やかだった10年余りの全盛期を後にし、日増しに色あせていくのだろうか。

「ギャグコンサート」の一番の強みは軽い笑いではなく、メッセージ性や意外性でインパクトを与える笑いがあるという点で、視聴者が飽きる前に出演者とコーナーを素早く交代するというような自然な血液循環にあった。

だが、今の「ギャグコンサート」は「勇敢な奴ら」の政治家に関する言及、または政治への風刺などは遥か前に忘れられ、人気のあるコメディアンらは真似することに安住し、新しいキャラクターの開発に励まず、視聴者を退屈させる。同番組は、動脈硬化という慢性疾患にかかっているのだ。

最近新コーナーをよく作り出す「ギャグコンサート」は、12日にも「オソンとハヌム」「男が必要ない理由」の2コーナーを新設した。しかし、2013年版“虚無ギャグ”と評価される「オソンとハヌム」は、「ギャグコンサート」ではなくSBSの「笑いを探す人」のような印象を与えるだけで「ギャグコンサート」特有の活力や意外性が足りず、「男が必要ない理由」は新鮮な発想で今後の可能性を覗かせただけだった。

「ギャグコンサート」は殺伐とした適者生存で有名だ。自身が出したアイデアが受け入れられなかったらご飯が食べられないと言われるほど熾烈な競争であり、弱肉強食のジャングルのような対決を繰り広げることが「ギャグコンサート」の内部事情だと言われた。それで出演者らはキラキラと輝く気の利いたアイデアとウィットのある台詞で、視聴者を笑わせるため脳を最大限に稼動した。特に「ギャグコンサート」は政治や時事のように決して軽くない題材を風刺することで重量感さえ感じさせた。

だが、現在の「ギャグコンサート」を見ていると、そのメリットと強みが全然生きていない。出演者は現在の気楽な状態に甘んじているのか、またはアイデアがなくなったのか、元気をなくした題材で一貫しており、制作陣が以前考案したスパルタ式の調教方法もかなり緩和されたように見られる。

不幸中の幸いはライバル作を名乗る「笑いを探す人」と「コメディにはまる」がまだしっかりと定着せず、右往左往しているため「ギャグコンサート」の無力感がそれほど目立たないことだが、このような足踏み状態が繰り返されたり、或いは後退するなら結局は「ギャグコンサート」というブランドも長く続くとは限らないだろう。

記者 : ユ・ジンモ