【スターコラム】キム・ボム「綺麗な彼女よりサッカーに夢中でした」 ― Vol.2

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サッカー選手のキム・ボムは、いかがだろうか。中学時代までサッカー選手として活躍したキム・ボムが、もし役者ではなくフィールドを選んでいたなら、「その冬、風が吹く」の素敵な男パク・ジンソンに出会うことはなかっただろう。今回キム・ボムのNAVERスターコラム第2部では、学生時代から芸能界デビューの話、そして家族の話にまで言及する。2006年、人気シットコム(シチュエーションコメディー:一話完結で連続放映されるコメディードラマ)「思いっきりハイキック!」で彗星のごとく登場した彼は、その後「花より男子~Boys Over Flowers」など、出演するドラマを立て続けにヒットさせ、日本や中華圏でもたくさんのファンを獲得して韓流スターとなった。そして今は、幼い頃から憧れていたツイ・ハーク監督からのオファーを受けて中国に行き、超大型映画「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」に出演するほど、ルックスと実力を兼ね備えた演技派俳優として成長を遂げた。そんなキム・ボムがお届けするスターコラム第2部に、読者の皆さんのたくさんの期待と声援をお願いする。/編集者

NAVER スターコラム:キム・ボム

中学時代に路上で頻繁にスカウトされました

僕は高校1年生の時、芸能界にデビューしました。中学時代には、頻繁に路上でスカウトされましたが、その時は芸能関連の仕事に興味がなく、名刺をもらってもすぐに捨てていました。中学校の卒業式を控えたある日、偶然のきっかけから、俳優という職業に興味を持つようになりました。あの日がなければ、今はまったく違う仕事をしていたことでしょう^^

そのきっかけとは、中学校の時、友達の両親が「大韓民国映画大賞」という映画祭の関係者だったので、そのイベントを見に行ったことでした。「世宗(セジョン)文化会館で、映画の授賞式をするから一緒に見に行こう」と言われ、最初は「行かない」と言って断りました。映画の俳優は映画の中で見ればいいし、歌手は歌さえ聞ければいいのに、映画祭にまで行ってわざわざ顔を見る必要があるのかと思いました。それでも友達が行こうと言ってきて、学校も休みで暇だったので一緒に行きました。

その時、友達が芸能人を見ながらとても喜んでいました。僕は思わず2階の客席から1階を見下ろすと、クールなブラックスーツを着た監督と俳優たちが賞を受けながらお互いに称え合っている光景がすごく魅力的でした。僕があの場所にいたらどんな感じだろうと思い、俳優を夢見るようになりました。


小学校時代のキム・ボム?平凡だったと思います

梨花(イファ)女子大学の付属小学校に通いました。母方の祖母と祖父が二人とも教育関係の仕事をしていて、母に僕を私立学校に行かせるように積極的に勧めたそうです。今振り返ってみると授業料がとても高いので、両親は、かなり無理をしたと思います。でも、小学校で良い友達とたくさん出会い、素敵な先生にも恵まれて、良い影響をたっぷり受けたと思います(笑)

小学校の時、僕はただ平凡な子どもでした。特別な感じはなかったし、今もそうです。低学年まではむしろ臆病な方だったと思います。次第に友達とよく遊ぶようになってから、性格が少しずつ変わったようです。友達より先に先生に叱られたり、褒められたりするタイプでした。班長になってからは、さらにそんな性格になっていったようです。

母の話によると、幼稚園に通う頃は、学芸会やスピーチ大会に出ても、一言も話せない気の小さい子だったそうです(笑) 母は僕にたくさんの影響を与えた人でした。僕は母のことが大好きで、母の言うことをよく聞きます。俳優になった今、母は外で僕のことを自慢しているのではないでしょうか。

最近は、テレビにもたくさん出れるようになったのでとても喜んでくれています。僕が仕事を休んでいる間は、母もテレビをあまり見なくなります。僕が映画やドラマに出れば毎回見て、再放送や再々放送まで必ず見てくれます。


母は幼い頃からいつも僕を信じてくれました

僕が芸能界に進もうとした時、父がすごく反対しました。母は、幼い頃から僕のすることを全て信じて応援してくれましたが最初はとても驚いていました。けど、後からは僕の決定を支持してくれました。父を説得することは、母の助けがなければ不可能だったと思います。

僕は外見が母とかなり似ていて、運動神経や性格のようなところは父に似ています。

高校1年生の時にデビューしたので、その時の友達があまりいないことが残念です。最近、よく連絡する友達は大学の同期や小学校の同級生たちがほとんどです。大学の同期たちとは同じ演劇学科なので、すんなりと付き合うことができました。みんな演技をやりたいので、演技に対する悩みを話したりもします。また、小学校の友達とは、幼い頃の思い出を話したりしながら楽しく過ごします。


子どもの頃の夢は映画監督

みんなそうだと思いますが、僕も将来の夢がよく変わりました。母が言うには、僕は幼い頃に将来の夢を聞かれた時、映画監督と言ったことがあるそうです。映画監督なんて、子供にはよく分からない職業のはずなので、母はびっくりしたそうです(笑) 小学校時代からは、サッカー部で活動したので、一時はサッカー選手になることが夢でした。

梨花女子大学の付属中学校でもサッカーをしましたが、サッカーで有名な学校ではありませんでした。同じ町にある別の中学校がサッカーで有名でしたが、僕がいた時、一度だけ勝ったことがあります。学校では、勉強と運動を両立するタイプでした。幼い頃からプライドが高くて、誰かに無視されることや色眼鏡で見られることが嫌いだったようです。運動を熱心にしていると、勉強は諦めたと思われがちですよね。サッカー部の部長だったので、しっかりしたところを見せたいという気持ちで、より頑張った部分もあります。中学時代、クラスで上位の成績を維持していたことも、そんな理由からです。

僕たちは大会の日程がない時は、いつも授業を終えると練習していました。ほとんど毎日?その時は、まだ今のように学校に良いグラウンドがあるわけでもなかったし、照明の設備もなかったけど、日が暮れてボールが見えなくなるまでボールを蹴っていました。部活の後は、そのまま塾に行きました。ポジションは、1、2年生まではフォワードで、後からはディフェンダーとしてプレーしました。


女の子と付き合うよりサッカーに夢中

中学生の時は、女の子たちに少し人気があったような気がします。小学生の時は、そういう概念がなかったのでよく分かりませんが(笑) バレンタインデーのような日には、プレゼントをたくさんもらいました。でも、中学時代には、本当にサッカーに夢中になっていたので、綺麗な女の子より素敵なサッカーシューズ、サッカーボールに興味がありました。もちろん、何度か女の子と付き合ったこともありましたが、彼女がデートもせずにサッカーばかりしに行く僕に飽きて、すぐに別れてしまいました。

中学校の最後の冬休み、俳優に憧れ始めた時からは、オーディションを受けることで忙しくなりました。インターネットに掲載されたオーディションの公告を見ては、訪ねて行きましたが、何も知らない状態でした。行って何をすべきかも分からなかったし、なぜ自己紹介をするのかも最初は分かりませんでした。だから、審査委員たちの前で行った自己紹介は、かなりぎこちなかったし、数えきれないほどたくさん落ちました。

最近では、芸能事務所ごとにそれぞれ練習生を募集しますが、当時はそのような概念がありませんでした。所属事務所もないままオーディション会場に行って、台本を棒読みしていたので、当然受かるはずもありません。しかし、オーディションに通う中で親しくなったマネージャーさんや俳優志望の友人たちができ、そのうち所属事務所が見つかって役者としてスタートすることができました。


「思いっきりハイキック!」のキム・ボムは、どんなキャラクター?

KBS「サバイバル・スターオーディション」という番組がありました。生放送でオーディション会場を中継し、勝ち残った最後の一人にドラマの主人公役を与えるというオーディション番組でしたが、当時、最後の10人に選ばれ、初めてテレビに出演することになりました。それなりに競争は激しかったです。競争率がすごく高かったのですが、最年少参加者の1人になりました。その時も、本当に何も知らなかったのが逆に良かったんだと思います。今考えればより緊張しやすい生放送でしたが、むしろ何も知らなかったので可能だったと思います。

「思いっきりハイキック!」のオーディションに行った時も、キム・ビョンウク監督がどれほど偉い人なのか知りませんでした。オーディションに行くことが僕の仕事だったので、ただ普通のオーディションだと思って行ってみると、すでに活動をしていた同年代の俳優がたくさんいました。みんな来ているなと思いながらも、僕なりに練習してきたことを披露すると、とても気に入ってくれました。

ありがたいことに、監督が僕を見てチョン・イルさんとキム・ヘソンさんが演じるイ・ユンホ、イ・ミノ兄弟のキャラクターがすでにいるのに、「イ・ユンホ、イ・ミノではない感じだが、もったいない」と言いながらキム・ボムというキャラクターを特別に用意してくれました。ドラマの序盤には、僕に関する話がほとんど出なかったので、それが少し残念でした。他の方々のキャラクターに関する説明はA4用紙1枚ぐらいありましたが、キム・ボムは、「イ・ユンホ、イ・ミノの友達。同じ家で付き合って暮らす」程度の説明しかありませんでした。

寂しく思いながらも、せっかく僕が演じるキャラクターなので愛情を注いでみようと思い、「僕がキム・ボムならどんな人物だろうか?」ということを考えながらメモ帳に書き出すと、それがA4用紙2枚ぐらいになりました。それを監督と脚本家に見せると、幸いにも気に入ってくれて、劇中の設定に反映されたこともあります。「キャラクターに愛情を持ってくれてありがとう」と言われました。


イ・スンジェ先輩から俳優としての正しい姿勢を習いました

初めてシットコムに出演したのは「思いっきりハイキック!」でしたが、ドラマとは違って、展開があまりにも速かったのではじめは慣れませんでした。幸運なことにイ・スンジェ、ナ・ムニさんのような素晴らしい先輩方がいたので、色々と教えてもらうことができました。いつも控え室で勉強になる話をたくさん聞きました。

シットコムがどんなものなのかをたくさん習い、先輩たちに合わせて反応しながら、シットコムの演技を少しずつまともにできるようになりました。イ・スンジェ先輩は現場でいつも笑っていたし、寒い天気の中、徹夜で撮影をしても、いつも情熱的でした。だから、誰もイライラしたり大声をあげることはありませんでした。10ヶ月間の撮影中、誰一人嫌な顔をすることなく、良い環境で撮影することができました。

「思いっきりハイキック!」を撮影しながらチョン・イル、キム・ヘソン、パク・ミニョンさんと仲良く過ごし、先輩たちからたくさんの影響を受けました。控え室で4人、並びながら座って、毎日話を聞きました。その時、そうやって見よう見まねで学んだことが後で大きな力になりました。

「思いっきりハイキック!」に出演してから、たくさんの人に自分を知ってもらい、キム・ボムというキャラクターや「思いっきりハイキック!」が好きな人がとても多く、現場はいつもプレゼントや食べ物で溢れていて、暖かく、笑顔に満ちた空間でした。とても素敵なキム・ビョンウク監督と先輩たちからたくさんのことを学びました。若い時に出演したシットコムがとても大きな思い出となり、10ヶ月間同じキャラクターとして生きることができて幸せでした^^

NAVERスターコラムの読者のみなさんとは、この辺でお別れの挨拶をしなければならないことが残念です。“一生懸命な俳優”キム・ボムとして、いつもみなさんの側にいます。それでは、またいつかお会いしましょう^^

文:キム・ボム

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記者 : キム・ボム