“同性愛暴露論争”イ・ジョンジェ、一人に責任を問うべき問題なのか?

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イ・ジョンジェ論争、小説のような記事を書いた編集者の責任はないのか

まず、俳優イ・ジョンジェのファッションマガジン「VOGUE」のインタビュー内容を見てみる必要がある。

「僕はYにそろそろゲイは辞めろ、十分になんじゃないかと引き止めましたが、容易ではありませんでした。彼はそのように不便に生まれたわけです。僕も色々な経験をしてきましたが、デビューした時はゲイのマネージャーのため、デマにより気苦労もしました。出世のために寝たという噂が広がったんです。今は大抵のことではびくともしません。今は映画界の勤勉で逞しい男たちと暮らしながら、“演技とは何か”に対する答えを探しています」

「VOGUE」オンライン版で確認できるこのインタビューのタイトルは「ハードボイルドマン」だ。映画「新しき世界」の公開を控えたインタビューで「VOGUE」は、上記の発言の前に「先日愛する友人Yを天国へ見送りました」というイ・ジョンジェの言葉とともに、「ファッション業界や芸能界で縦横無尽に活躍するクリエイティブなゲイだったYは、自殺でその人生を終えた」という編集者の親切な説明も添えた。

そして、このインタビュー内容は、SNSを通じて広まった。続いて「イ・ジョンジェが20年来の友人だったウ・ジョンワンにそのような発言をした」という趣旨で記事化され、さらに論争が広がっている。ネットの一部では、性的少数者に関する蔑みや故人に対するアウティング(他人の性的指向や性同一性について、本人の同意なしに暴露する行為のこと)として受け止められ、イ・ジョンジェに対する非難が続いている。

実は、すべてのインタビューは、全体の流れから理解されなければならない。このインタビュー記事は、映画「新しき世界」のイ・ジョンジェの演技と役割と人生を取り扱い、「実際に彼はファッションソサイエティで多くの“ブラザー”たちと成長してきた。ゲイとマッチョのいずれも彼を愛した。彼は彼ら皆に寛大で社交的であり、彼らは彼に新しい経験と友情を分けてくれた」と書いている。

全体の流れから見ると、記事を書いた編集者は「新しき世界」という映画の“マッチョ性(男らしさ)”とこれに反する概念として“ゲイ”を採用し、俳優チョン・ウソンやウ・ジョンワンとの関係と友情を言及する形で記事を展開している。いつものように編集者の主観が強く反映されたのだ。その渦中に登場したのが“友人Y”だった。

イ・ジョンジェの最愛の友人を利用したのは誰か

2009年、ある俳優が「韓国が嫌い」という発言で議論されたことがある。ある映画月刊誌のインタビュー内容のうち、「韓国が嫌い」という発言がネットメディアを通じて引用符付きのタイトルで記事化され、論争が巻き起こったのである。数ページに渡る一問一答の内容の中で、とりわけ扇情的なあの文章だけが問題となったのだ。結局、担当編集者が報道資料を出して積極的に釈明したが、その俳優のイメージは大きく落ちるしかなかった。

今回のイ・ジョンジェのインタビュー論争は、このような過去を思い出させる。しかし、脈絡は明らかに違う。「VOGUE」のインタビューは、すでに編集者が“友人Y”を名指しすることですでに論争を孕んでいると見てもいいだろう。

もし、インタビュー形式が一問一答であったなら、非難の強度はさらに大きくなったのかも知れない。しかし、読者たちは編集者のエッセイに近いこのインタビュー記事がどのように進行され、またどのような流れの中でイ・ジョンジェがあのような発言をしたか分からない。編集者とイ・ジョンジェ本人だけが知っている“真実”だ。イ・ジョンジェが“友人Y”をどう表現し、どのような趣旨で言及したのかは分からない。

しかし、インタビューですでに故人になった20年来の友人を、しかも性的少数者(と正確にはアウティングされていない)であった知人について言及した時、これを適切な文と脈絡で綴るのはインタビューアーである担当編集者の役割だ。

“友人Y”と直接的な表現を避けながら、誰のことなのか推測できる説明とイ・ジョンジェの発言を引用符に入れて全体のインタビュー記事の文脈の中に入れ込んだことは、繊細さを越え、顔を合わせたインタビュー対象者に対する配慮がとんでもないほど足りなかったことが見て取れる。また、一問一答のインタビューではなく、写真集を兼ねたフィーチャー記事であればなおさらだ。

もちろん、「ゲイという性的アイデンティティが果たして止められるものなのか」とイ・ジョンジェに反論することはできる。そしてこの発言が問題になるなら、その責任も本人がとって当たり前だ。しかし、活字化されたインタビュー内容だけを見ると“アウティング”に対する論争の責任を、イ・ジョンジェにだけ負わせることは、容易だが公正だとは思えない。趣旨や脈絡に対する説明のない引用符付き記事が生む弊害は、もう呆れるほど経験しているではないか。

記者 : ハ・ソンテ