【スターコラム】イ・ジュンギが変身を繰り返す理由 ― Vol.2

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2005年、女性よりも美しい顔で1千万人を超える観客の心を掴んだ俳優がいた。俳優イ・ジュンギだ。鋭い目つきにフェイスラインが綺麗な彼の魅力は、クロスセクシャルブームを巻き起こし、彼を一躍スターダムにのし上げた。

朝鮮の王の心を掴み、女性のファンはもちろん、男性の心まで掴んだ後、韓国中に突然“ザクロブーム”を巻き起こした彼の新人時代が気になった。

何が彼をここまで切実な気持ちにさせたのだろうか。何だか悲惨な感じまでする7年前。「王の男」イ・ジュンギの過去に迫ってみよう。/編集者

こんにちは~イ・ジュンギです。皆さんとももう2回目の出会いですね。まず最初に、1部をお読みになって贈ってくださった激励と声援に非常に感謝いたします。お決まりな言葉だと思いますが、皆さんの苦言も甘く受け入れ、より熱心に努力する俳優、イ・ジュンギになります^^

これからは現在、僕をこの場に立たせてくれた「王の男」と演技に対する話をしたいと思います。僕を熱烈に(?)愛してくださる方ならご存知かもしれませんが、僕の話を通じこれから「王の男」が動員した観客数よりもっと多くの方に僕を分かっていただくことを願い、その時の話をゆっくりしようと思います。それでは、これから「王の男」イ・ジュンギ、スタートします。


2005年12月29日

2005年12月29日。僕にこの日を忘れることができるのでしょうか?恐らく一生記憶に残る日になると思います。この日は、映画「王の男」の公開日です。韓国国民の5分の1に見ていただいた、1230万人の観客を動員した映画、これは僕、イ・ジュンギを作った映画でした。

恥ずかしいが「王の男」のおかげで僕も“1千万俳優”というニックネームをこっそり付けることができるようになりました。この前、「王の男」が7周年を迎えファンと共に大学路(テハンノ)でファンミーティングを行いました。

一部で明かしたように、いつものと変わらずファンと一緒にするという考えで浮かれた気持ちで汗を流しながらコンサートのリハーサルをしていました。その時なんと!!たまたま大学路を通りかかっていたユ・ヘジン先輩がファンミーティングのポスターを見てリハーサル現場を訪れてくれました。「あ!ただ通りかかって寄った」とおっしゃっいましたが、その時の気持ちとは!本当に感動しました、先輩。

ご存知でしょう?先輩が訪れた日が「王の男」7周年の記念日でした。ユ・ヘジン先輩!おかげでもっと忘れられない一日になったと思います。

新人だった僕を引っ張ってくれた「王の男」。切実だっただけに全てを捧げた作品がたくさんの方から愛されたこと自体が大変光栄で、僕を動かす原動力になりました。僕がどうやって「王の男」になれたのか知りたくありませんか?


覇気と情熱、それだけが全てだと思った

僕イ・ジュンギ、方言演技ができる俳優だ。役者になるという一念で釜山(プサン)で高校の卒業式を終えてむやみに上京した。何も考えずソウルに来たのでお金があるわけではなかった。役者どころか、すぐにでも飢え死にする危機に直面した。結局新村(シンチョン)付近でバイトをしながら生活した。

覇気と情熱だけいっぱいだった若い時は、ソウルに来れば直ちに俳優になれると思った。一応演技学院に登録しようと訪ねが、なんてこった!個人授業より高い授業料のことを聞いてそのまま帰ってしまった。

どうしよう。登録さえできなかった演技学院は夢のような話だったので、変わらぬ先生、テレビと共に演技練習しながら方言を直した。ソウル出身に見せようと方言を直すためとても苦労した。

話は変わるが、その時テレビを見ながら食べたラーメンがとてもおいしかったと思った。考えてみると、今も僕が一番得意な料理はラーメンだ。彼女ができれば精魂を入れてコシの強い幻のラーメンを作ってあげる!^^

ちょっと話がそれたが、ラーメンを食べて得た力で何の基盤もない僕が生き残れる方法は演技しかないと思って、もっと集中し没頭した。

時には「ご飯を食べるよりも演技がよければどうしようか」と思うほど演技に夢中になっていた日々を思い出した。

切実な気持ちでバク転まで…

そういうふうに過ごしていた僕にやがて「王の男」オーディションを受ける機会が訪れた。今とは違うが、その時はオーディションを受ける機会さえあればワクワクしたし、幸せだった。

最初から演技が上手い俳優って、何人くらいいるのだろうか?“練習だけが生きる道”という模範的なフレーズだけを思い浮かべながら「王の男」オーディションのため、3日間徹夜しながら準備したことは今でも生々しく覚えている。

天の助けがあったのか、最後にただ4人だけが上がったオーディションに参加することができた。オーディション会場で演技以上のものを見せるためどれほど集中したのだろうか。結局その日、監督の前でバク転まで見せた。

「通じた」という言葉は僕の台詞ではなかったが、とにかくその姿がよく通じたのか僕は「王の男」のコンギルになった。

苦労の末訪れてきた選択の機会を得て、これが最後になるかもしれないと思い、その瞬間を逃さず“俳優”と呼ばれるため熱心に撮影に臨んだ。

女性より美しい男性が披露する手振りと踊りを表現することは、至難の業だった。さらに「王の男」に出演する俳優の中で一番若かったこともプレッシャーになった。だが、足りないだけに習うべきことも多いと思ったし、先輩と息を合わせるうちに視野も広くなった。
余談だが「王の男」は、今後も破りにくい記録を一つ残した。それは、公開前韓国のポータルサイトの検索ワードで10日間1位になったことだ。

「王の男」に出演できたことは、本当に王に選ばれたことと同じくらいワクワクして幸せな、もう一度感じてみたい瞬間だ。


僕はいつ頃キャスターの隣に座れるのかな…

いきなりタメ口になって驚かれたでしょう?それほどその時の僕は切羽詰った状況でした!当時の切実な気持ちを表現したくて文体を変えたわけです(笑) 真剣な雰囲気はもうやめます!再び普段の僕に戻りました^^

「王の男」の公開を控え、いよいよ初めてある放送局とインタビューをしました。カム・ウソン先輩、チョン・ジニョン先輩、カン・ソンヨン先輩…そして一番末席に僕が座っていました。40分のインタビューで先輩たちに与えられる質問と答えを聞きながら初めて放送のインタビューを経験しました。

さらに、一つのマスコミで僕に与えられる質問は多い時は二つ、少ない時は一つくらいでした。あまりにも知られていない新人俳優だったので「僕に質問が与えられれば真面目に、熱心に答える!」と誓いながら緊張を緩めず「キャスターの隣にはいつ頃座れるのかな?」と思いました。

でも、奇跡的に2週間くらいしかかかりませんでした。その翌年の1月、「王の男」に観客が殺到し新聞の1面を飾ったことで僕にも嘘みたいに多いインタビューのオファーが入ってきました。

「僕一人のためのインタビューなんて…」

放送局で僕一人のためのインタビューの時間を設け、僕のために準備した質問をしてくれた時、とてもやりがいを感じました。まるで降りたくないスカイラウンジに座っている気分と言えるでしょうか?だが、忙しいスケジュールの中で見逃したことも多くなりました。周りの友人たちと疎遠になったようでいまだにとても申し訳ない気持ちです。その時は本当に気が気でありませんでした!それでたくさんの友人たちから色々と言われました。今になってその時の気持ちが分かるような気がします。もう一度申し上げます。申し訳ありませんでした!!!

「僕の気持ち、分かっていただけますか?7年ぶりの謝罪だけれども」


「王の男」その後…

「フライ・ダディ」

2006年当時、僕は習いたいことがたくさんある、演技に飢えた俳優でした。「フライ・ダディ」は「王の男」の前にイ・ムンシク先輩が主人公だということを聞いて一緒に演技したくて選んだ作品です。実は「フライ・ダディ」は先輩が主演なのに、不本意に僕が主人公であるように外部に知られてしまい、いまだに申し訳ない気持ちが残っています。

とにかく高校生らしくない成熟した高校生スンソク役のおかげで、おしゃれして格好つけた覚えがあります。僕にとって「フライ・ダディ」は、役者として成長するため必ず必要だった作品だったと思います。

「知っただけ解る」という言葉通り、よい作品は僕の演技力を向上させる土台になりました。イ・ムンシク先輩との演技は愉快で、コメディの感覚とユーモアを教えてもらうよい機会でした。ユーモアのセンスがよく合ったのに…今日はいつもより先輩がおごるご飯が食べたいですね…

「先輩、ご飯おごってください」

「光州5・18」(原題:「華麗なる休暇」)

“華麗なる休暇”は、シナリオがとてもよいとマネージャーの話で分かった作品です。正直タイトルだけ聞いた時は、休暇を使って行われる一家殺人事件を扱ったホラー映画だとばかり思っていた。

「知っただけ解る」という言葉通り「華麗なる休暇」は、空挺部隊の作戦名で5.18民主化運動を題材にした感動的なシナリオでした。実は、キム・サンギョン先輩が演じた役がとてもやりたかったです。

結局「初雪の恋 ヴァージン・スノー」撮影まで空白期間もあったし、意欲もあふれた時期だったので作品を見て出演を決めましたが、心配になって何回も監督に聞いてから出演を決めました。

「光州5・18」は、200万人を超える観客がご覧になった映画でした。僕はその中で親なしで兄の愛情を受けながら兄がおんぶして育てた学校で成績トップの高校3年生、ジヌに扮しました。だが、映画が始まってから1時間であまりにも早く死んでしまうキャラクターで少し残念でした。

それでも最後の台詞「とても痛い、兄貴」は振り返ってみても胸の痛い台詞で、鳥肌が立つほど記憶に残っています。

キム・サンギョン先輩と共に撮影しながら「俳優としてのプロ精神とは何だろうか」と考えてみる時間を持つことになりました。スタッフらと一丸になって作業するのを見て「僕は、スターというタイトルでそういうことをおろそかにしたのではないだろうか」と思うようになり、それからは撮影現場で「スタッフと一緒に共同作業をする」という思いで家族のような感じで撮影に臨むために努力しました。

この前映画「26年」のポスターを見て「光州5・18」に強い郷愁を感じました。

「初雪の恋 ヴァージン・スノー」

「フライ・ダディ」は「王の男」をしながら予め出演を決めた作品で、事実上「初雪の恋 ヴァージン・スノー」がその後選んだ初の映画です。

日本の有名な女優、宮崎あおいと共演した僕は茶目っ気あふれる積極的な高校生、キム・ミンを演じました。この作品は、甘い初恋の話を描いたラブストーリに韓日合作映画ということで高い関心を得ました。

僕が欲張りだからか、もっとたくさんの観客に会いたいという気持ちが大きいです。単純に海外進出を考えていたわけではなく、未来への投資だと思いました。そして色々な国の映画関係者と一緒に仕事をしてみたい気持ちもありました。

考えてみると、3つの作品で連続して高校生を演じました。絶えず続いた挑戦の連続でした。

芸能界の関係者は僕に「なぜもう少し楽に同じイメージを再生産して見せないのか。なぜリスクを背負って変化や挑戦を繰り返すのか」と聞いてくる方がたくさんいました。そのたびに僕は僕がまだ若いと思いました。

若い俳優は、色々と考えて安全な道を選ぶよりは、休まず経験を積むことがもっと重要だと思ってきましたし、今もその考えに変わりはありません。

僕が出演した映画を数本紹介いたしましたが、まだ僕の映画を一本もご覧になっていない方はいらっしゃらないでしょう?だ、大丈夫です。「王の男」以来韓国の映画は2本しか撮りませんでしたし、まだ主演になった映画はありませんので。

これから本格的に、着実に映画にも出演する計画です。もしかして僕が映画を10本は撮ったはずだと思われ、「イ・ジュンギが出演した映画には何があったのだろうか」と思い出すため努力なさらないでください。これからは自然と思い浮かべるよう僕が努力しますので。

どのような作品に出演すべきか。限られた作品ではなく多様な作品を待っているし、これによってファンとたくさん会いたいと思います。“映画俳優イ・ジュンギ”は、まだやったことのないジャンルが多いのでこれからやれるジャンルも多いと思うと、今からワクワクしますね。“観客1千万映画”、また訪れてくるでしょうね?

スターコラム、次回ではいつの間にか4枚目のアルバムを出したイ・ジュンギの音楽の話をしてみたいと思います。「俳優が音楽を?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、それでも次回もご覧になってくださいますでしょうね?イ・ジュンギの音楽話、興味ありますか?気になるなら、500ウォン!(韓国のお笑い番組「ギャグコンサート」に出る台詞)次回も楽しみにしてください。

次回

4thアルバムを出した俳優イ・ジュンギの音楽の話。
ファンのために、またひたすら音楽が好きで始めたアルバムがもう4枚目になった。

文:イ・ジュンギ

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記者 : イ・ジュンギ