ヘリョン、ひるんだ“韓国のチャップリン”…もうどうぞ肩を伸ばしてください

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写真=SBS

「Mr.ビーン」の引退に見た韓国のバラエティ……「チャールズ・チャップリン」に学べ

韓国のバラエティは、一見色んな形式を持っている。「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~」「黄金漁場-ラジオスター」など少人数のゲストだけを招待する形式のものと、「国民トークショー アンニョンハセヨ」「強心臓(カンシムジャン)」「スター夫婦ショー・あなた」などの集団バラエティ、「無限に挑戦」「ジャングルの法則」「ニュー!日曜日は楽しい-ランニングマン」などのリアルバラエティ、ここにケーブルテレビの各種バラエティまで加えると、膨大な種類になるだろう。

しかし、その内容を見れば違いは大きくない。“リアルバラエティ”などごく一部を除けば、ゲストの数と関係なく大半が“身辺雑記”的なものであるためだ。特定の芸能人数人の重複出演により、新鮮さを見出すのは至難の業だ。しかし、これに対する解決策はもちろん、真剣な反省もない状況である。

また、正統なお笑い分野では、いまや「ギャグコンサート」くらいが命脈をつないでいるだけである。理由がどこにあるのかは、誰も確実な答えを出せないだろう。しかし“腹を抱えるような”番組が次第に無くなりつつあることは、誰にも否定できない。タレントの側からその理由を見てみよう。


“お笑い”は果たして恥ずかしいことなのだろうか?“羞恥心”を取り払うべきだ

最近のバラエティは、お笑いタレントの占有物ではない。アーティスト、俳優など様々な芸能界の人たちが我先にと飛びつく分野になった。その中には、自分の本業へのプライドを過剰に表す人もいる。それが“お笑い”の領域に対してひそかに卑下の意味を持つのではないか、あるいはそれをメインにしている人たちの士気を低下させるのではないかという残念な思いがあるのも事実だ。

先日、「ヒーリングキャンプ~楽しいじゃないか~」のヘリョン編では、以前の彼女の“ゴラム”のモノマネに関する話が出た。ヘリョンは「私は女性である前にお笑いタレント」という考え方でその役に取り組んだという。反面MCのイ・ギョンギュは、当時偶然その姿を見て悲しい思いがして、「何もそこまでしなくても」と思ったそうだ。

数日前、イギリスのお笑い俳優ローワン・アトキンソンが「これ以上『Mr.ビーン』を演じない」と宣言したというニュースがあった。1989年に始まった「Mr.ビーン」シリーズは、韓国でも大ヒットを記録した。そんな彼が「50代にもなってこのような幼稚な演技はしたくない。これからはシリアスな演技がしたい」と表明したそうだ。

「Mr.ビーン」は当時世界的にも衝撃的な反応を巻き起こした。「第2のチャールズ・チャップリン」と称するマスコミもあったほどだ。「ヘリョンのゴラム」も、当時素晴らしいと褒め称えられた。身を投げたその演技は、「どうすれば人を笑わせられるか」に対する鉄則を提示したと評価された。

笑いを誘うための滑稽な仕草と声などは、それを演じる人には恥ずかしいことになるかもしれない。しかし、それに熱狂していた人たちはその“羞恥心”に気づく瞬間当惑する。ただ彼らがそのような形で“才能”を表しているだけだと考えてきたためだ。

情熱と自負心「チャールズ・チャップリン」から学べ

歴史上もっとも偉大な喜劇人として讃えられているチャールズ・チャプリンは、統合失調症の症状があった母親とアルコール中毒でこの世を去った父親の下で厳しい幼年期を送った。印刷所、製紙工場、ガラス工場の職人、理髪師の助手、雑貨商、病院のお手伝いなど、彼が経験した職業も様々だった。

彼は演技だけでなく、監督、脚本家、作曲などにおいても卓越した実力を表した。パントマイムで無声映画時代を豊かにし、奥深い社会意識と風刺を喜劇に融合させた彼は、単純な戯劇俳優でなく、真の哲学者と言われている。彼が一生をかけて演じた「放浪者チャーリー」は機械文明、経済恐慌、戦争などを風刺しながら発展していった。

また、喜劇に悲劇的な要素を取り入れ、荘厳な雰囲気を演出したりもした。彼は自分の笑いの秘訣として「人間の本性への理解」と「その属性を利用すること」を挙げた。単純に笑わせるということを超え、哲学的な研究姿勢が浮き彫りになったところだ。ただ「バカの再現」にとどまっていたなら、今日の彼への評価はまた違っていたことだろう。

現在韓国のバラエティに足りない点はなんだろう。バラエティ番組の視聴率が次第に下がりつつあることにただ「“パイ”が小さくなっているだけ」と自慰してはいないか。タレントたちが“滑稽な行為”を自ら卑下し、骨を惜しんではいないか。外部からの視線を前にひるんではいないか。

人を笑わせることは、誰もが真似できることではない、生まれつきの“才能”である。文化的、芸術的才能の領域で優劣を語るのはナンセンスだ。「音楽人、俳優、お笑いタレントのうち誰が一番優越か」という質問のような愚かなものがあるだろうか。“渾身の力を注ぎ才能をアピールする”ことは、どの分野であれ、十分尊敬される資格があるのだ。

上映に必要な2千フィートのために6万フィートのフィルムを使い、20分の上映のために何ヶ月も撮影した「チャールズ・チャプリン」。しかし、なにより自分が壊れることを恐れず、自分の喜劇的キャラクターの完成に向け一生をかけて努力した彼の情熱に学ばなければならない時だ。

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記者 : ハン・ギョンヒ