【PEOPLE】ハン・ソッキュを構成する5つのキーワード

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演技、優秀な興行成績、作品性、欠けたものは一つもなかった。スランプも経験している。スランプの後には色々な作品にも挑戦した。演技分野で最高であり、第一線から身を引いても、どう演技をするか分かっている。そして、この全ての経験の後、王様となった。


下積み時代

MBC「川辺歌謡祭」にハン・ソッキュも参加した。
彼は高校時代、合唱団に所属し、音楽大学に進学するつもりでもあった。しかし、“自分がどんな仕事をして生きていけば良いのか、どんな職業が自分に合っているのか”と悩み、最終的に俳優になろうと考えた。毎月3000ウォン(約201円)ずつ貯金していたお金を両親に内緒でこっそり解約して演技の学校に通った。学校では才能も認められ、16mmの短編映画「虹を探して」を作りながら、映画の撮影作業方法とシナリオの重要性を理解し、作品選択の基準としてシナリオを最優先にすることにした。
しかし、卒業後、演技をするチャンスはほとんどなかった。劇団に入ろうとしても“自分の全てを諦めて”、“何の補償なしに、いつ光を見られるか分からない生活”をやり遂げる意欲はなかった。そのため、1年間母親から一日1000ウォン(約67円)ずつもらいながら生活したりもした。“なぜこんなに不安なんだろう、なぜ憂鬱なんだろう、なぜ消極的なんだろう”と悩み、ある日それらを“僕だけができること”だと考え直した。KBSでの声優の経験は“声の重要さと発音そして、言葉の正しい使い方”を習うことができて、歌を通じて発声を習ったと考えるようになった。そして、うまくできるか不安に思いながらもMBC公開採用のタレントに応募して合格した。


チャン・スボン

ハン・ソッキュが出演したMBC「息子と娘」の監督。
俳優 チェ・スジョンの友人という縁で、少しの間だけ出演する予定だったが、女性主人公のキム・ヒエの恋人役に抜擢された。当時、すべてのスタッフに丁寧に挨拶する彼の姿を見て、“あまりハンサムではないが、新人で印象が良くて良い人に見える”と評価され、キャスティングされた。当時、放送局では目鼻立ちがはっきりした顔が好まれていたのだ。彼が最初、声優を選んだ理由も外見に自信がなかったからである。彼はデビュー直後、歩きながら後ろを振り向くだけの演技でさえも不自然で“演技を辞めようかと”思っていた。
けれども「息子と娘」の撮影の時は、不幸な人生を生きてきたキム・ヒエを暖かく見守る男の役を自然な演技でこなし、人々に認められて人気を得た。彼はキム・ヒエに対して「表現しようと思ったことをギュッと詰めて表現する能力に驚いた」と語った。

また、新人だった自分に呼吸を合わせてくれたことに感謝していた。「息子と娘」を基点として成功し続けたハン・ソッキュ。チャン・スボン監督は当時、彼に「君はこれから大物になれる。だからと言って、今の彼女と別れたりしたらダメだ」と忠告もしてくれた。ハン・ソッキュは現在、10年も付き合った当時の彼女と結婚し、幸せに暮らしている。


チェ・ミンシク

大学の1年先輩。
MBC「ソウルの月」でバカ正直な青年と“人生の一発逆転”を狙う遊び人として二人は共演した。驚くべきはハン・ソッキュが遊び人役だった事実。軽薄で、時には卑怯で卑劣なハン・ソッキュのキャラクターは今までの彼のイメージをひっくり返した。
しかし、自ら「平凡に成長したわりには敏感」で「感情を表現する幅が広い」と話していた彼は、自分のキャラクターに多様で豊富な感情を吹き込んだ。一発逆転を狙う遊び人でありながらも、自分が始めたことが手におえないほど無鉄砲で素朴。強そうに見えても実は大雑把でいいかげんな性格で、一人でいる時は不安と憂鬱に悩み苦しむ。

そんな彼の演技は当時、なかなかテレビドラマでは見られない、多面的で人間の深みがよく表現されたキャラクターであった。彼は「60年代のお決まりのセリフパターンはない。今見ても全くおかしくない」と言った。
「ソウルの月」は、彼が大物俳優キム・スンホと似た俳優道を歩く姿を見せた初めての作品であり、私たちの知るハン・ソッキュのはじまりだといっても過言ではない。この作品をスタートラインとした彼は“俳優”という肩書きも恥ずかしくなくなり、映画出演のオファーも続いた。


キム・ヘス

映画「ドクター・ポン」で共演した女優。15年後、「2階の悪党(韓国題)」でも共演する。
ハン・ソッキュは“今まで持っていたイメージをすっかり壊してしまうような全く違う人物で生まれ変わりたくて”1人で息子を育てる浮気者の医者役を演じた。ドラマで人気を得た彼は“放送局の偉い方々”からドラマのオファーが続いた時は、悩んだそうだ。だが、当時MBCのドラマ局長であったコ・ソクミンが「原則は守らなければならない」と教えてくれて、それから彼は作品の完成度だけを見て出演を決めるようになった。

演技を始める前、平凡な映像会社に就職できるチャンスもあり、「その時、もし、その会社に就職していたら演技をやっていなかった」と言っていたハン・ソッキュ。そんな彼が、いつのまにか自分のルールに従って確固たる決定をする人間になっていた。徹底的にシナリオを読んで、色んな監督たちと一緒に映画を作りながら、監督と俳優が相乗効果をもたらす彼特有の作品選びはこの時から本格的に世の中に知られていた。慎重に考えて選んだ作品は予想を覆すとんでもないものが多かった。さらに驚くべきことに、それらは全て成功した。


イ・チャンドン

映画「グリーンフィッシュ」の監督。
イ・チャンドンは「グリーンフィッシュ」を置いて“この映画には長所が何もなくて、ハン・ソッキュという俳優を見せられたことだけでも意味がある”と褒めていた。監督の言葉通り“自分のことを創造”する彼の演技は、家族のために暴力団の世界に入り、結局殺人まで犯してしまうキャラクターそのものだった。彼は主人公のマクドンイを演じ、観客に彼の人生全てを共感させる力を見せた。
この作品で有名な公衆電話のシーンのセリフもやっぱりハン・ソッキュが自ら作りあげたもの。彼は「グリーンフィッシュ」を「『ソウルの月』のような意味ある作品」だと言った。マクドンイは彼が主催したシナリオ公募展の名前にもしたほどだ。ハン・ソッキュが「グリーンフィッシュ」に愛着を持っている理由は、この作品が彼の家族を連想させるという点が大きい。彼もマクドンイのように平凡な家庭の末っ子で、“「グリーンフィッシュ」は生きることや家族というものはこうだ”と表わしていて好きだった。彼の生涯の趣味である釣りは、幼い頃、父親に学んだものだ。


ソン・ガンホ

「グリーンフィッシュ」で初めて出会い「ナンバー・スリー」、「シュリ」などで共演した。
「グリーンフィッシュ」で一緒に共演した瞬間、“普通ではない演技だ”と感じ「ナンバー・スリー」に推薦した。ソン・ガンホは「ナンバー・スリー」で、忘れることのできない暴力団の演技で知られるようになり、「シュリ」では完全に主演級の役を演じるようになった。その間、ハン・ソッキュはジャンルも、キャラクターも全く違った、すべての作品において良い興行成績を残し、俳優であると同時に映画界の中心となった。1990年代、中後半「ドクター・ポン」のようなコメディからファンタジー「銀杏のベッド」や風刺コメディ「ナンバー・スリー」、そしてリアリズムが引き立つ「グリーンフィッシュ」、大作映画の「シュリ」まで、ハン・ソッキュの名前が残らないジャンルはなく、全てにおいて大きな成果を収めた。確かな演技力と大胆な挑戦、作品選びのセンスと興行成績の全てを備えた怪物が誕生した。
しかし、映画界の中心で作品を導くと同時に、それだけ大きな責任を負っていたことになる。彼はいつも作品を引っ張っていく役割をしなければならなかったし、個性の強い演技は「ナンバー・スリー」のソン・ガンホや「シュリ」のチェ・ミンシクのような他の俳優が見せてくれた。ハン・ソッキュならば毎回、演技と作品、そして興行成績に至るまでを全てを満足させてくれるという信頼を得て、自身の価値を高めたが、それと同時に彼の選択はより一層、慎重にするしかなかった。


シム・ウナ

映画「八月のクリスマス」と「カル」に一緒に共演した女優。
ハン・ソッキュは「八月のクリスマス」や「接続」のように恋愛ドラマの要素が含まれた映画のおかげで、「ナンバー・スリー」のような実験的な作品に出演しながらも、人々から好感を失わなかった。“意識をする無意識な演技”、あるいは無意識的に演技をするが、目標を持って演技をすることを理想とする彼の演技は、平凡な日常の演技で特に威力を発揮した。「八月のクリスマス」と「接続」が、一人の日常を追いながらも男女の感情の交流を表現することができたのは、自分の日常の中にスムーズに恋愛感情まで盛り込めるハン・ソッキュのさりげない演技があったからだ。
そのさりげなさで感情が強調されて、彼は「グリーンフィッシュ」のように平凡な人生が破局につながる演技や、「ナンバー・スリー」のように独特なキャラクターの演技を見せることができた。眼鏡をかければ優しい男、メガネを外せば、何をやらかすか分からない男。ハン・ソッキュはこのように1990年代を支配し、1999年の世紀末には「カル」に出演した。


ハン・ソンギュ

ハン・ソッキュの兄でありマネジャー。
ハン・ソッキュが最高の人気を得ていた時も、直接運転をして撮影現場に行くようにした。高校3年生の時、進路について悩んでいた弟に「お前はどんな職業に就いて、どう生きるつもりか?」と質問したような兄だからできたことだった。「銀杏のベッド」の興行直後には「やたらと驚いて」と弟に再充電の時間を与えた。
彼は“映画「ロッキー」でロッキーを世界チャンピオンにする、マネジャーと同じ存在の”兄がいたから、良いシナリオだけを見て作品を選ぶという、自分だけのルールを守ることができた。大学時代、2年間、短編映画を作っていた時に、シナリオは手を加えるほど、いい作品になるという経験をした彼は“どんな話をするかが一番重要”だと確信した。それに“作品ごとに、作品が持つメッセージや意味、ストーリーを見て、どんな問題があるか、また、どんな風に観客に受け入れられるか”を考えて作品を選んだ。俳優本人が演じたい作品と大衆向けの価値を守ることができる最高の方法を選択したというわけだ。
しかし「カル」はシナリオほどの結果を出せず、さらに兄と一緒に製作した作品に失敗して、彼は長年にわたって演技をすることができなくなってしまった。


キム・テウ

映画「恋の罠」の監督。
長い間悩んだ末に出演を決めた「二重スパイ」は興行に失敗した。もはやハン・ソッキュは映画界の中心ではなかった。「殴打誘発者たち」「ユゴ 大統領有故」「ミスター主婦クイズ王」など、様々な作品に出演したが、興行成績は低調だった。しかし、これらの作品で彼は以前のように、盲目的に主人公になって、作品全体を引っ張っていく必要はなかった。
1990年代より、さらに神経質になったり、壊れたり、辛辣な人間になる可能性もあったが、そうはならなかった。「愛の罠」では少しは気が楽になったハン・ソッキュが2000年代の観客と出会う作品となった。純粋なロマンチストではなく“官能小説”を書くソンビ(学徳を備えた人)を演技した。純粋で、野蛮ではないかわりに、ずうずうしいながらもセンスがあり、悲劇さえ滑稽に表現することができた。「ドクター・ポン」のチームが15年後に再集結した作品「2階の悪党」では感受性が強く神経質で、さらに悪人でもある男でもラブコメディの主人公になれることを見せてくれた。

作品の選択は早くなり、目標達成までの道のりが軽くなって、作品一つ一つの性格は明確になった。もう“興行が保証された俳優”とは言えないが、その代わり人々に見せられる演技の幅は広くなった。


コ・ス

映画「白夜行」で共演した俳優。ハン・ソッキュと共演すること自体が光栄だと話していた。
「白夜行」でハン・ソッキュはコ・スとソン・イェジンの話を追うようにストーリーを進める刑事を演じた。時には、彼は若い主演を支えることもできる位置だった。彼の傑作に比べれば、「白夜行」での演技が良かったとは言えない。だが「白夜行」、「目には目、歯には歯」などの作品で、彼は憔悴した神経質な姿を見せる。どのキャラクターを演じても、以前より不安で、敏感で神経質な姿を見せるところが、最近ハン・ソッキュが見せる一つの特徴である。映画界の第一線から身を退きながら、彼は人間の中心にさらに多様な方法で近づくようになった。


世宗(セジョン・朝鮮王朝 4代の王)

SBS「根の深い木~世宗(セジョン)大王の誓い~」(以下「根の深い木」)でハン・ソッキュが演じる役。
世宗(セジョン)は家臣に冗談を話すが、すぐに深刻に国事を論じる。国に繰り広がる全ての出来事を自分の責任だと言うほど、国王の立場を考え、自分の悩みを大事にしている宮女に打ち明けるほど、神経質で弱い一面も持っている。一つのシーンの中でも怒りと不安、悲しみ、弱さを同時に表現しなければならないこの人物を、ハン・ソッキュは何の疑いもなくスムーズに演じる。それはもしかすると、映画界の中心でいつも神経質に恐怖心と責任感を持たなければならなかった俳優だけが演じることができる姿なのかも知れない。
「根の深い木」でハン・ソッキュはストーリー全体を支える王だが、か弱い王の顔に隠された神経質で不安な内面は視聴者に個性あるキャラクターとして親近感を覚えさせる。

映画のことを“若い人々によって発展する若い文化”と定義して、“興行のことも考えて、(作品性にも)ことごとく気を遣った”作品が好きだと言っていた彼はSBSの「根の深い木」で若い俳優が活躍する場を盛り上げ、今までの自分の経験も立派に見せている。彼は作品を動かす根っこである。だが、花より華麗になれる根だ。1990年代と2000年代が過ぎ去った今、ハン・ソッキュも新しい時代を迎えているのではないだろうか。

記者 : カン・ミョンソク