秋山成勲、2001年に日本に帰化「訓練スタイルが自分に合った」

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写真=「社長の耳はロバの耳」放送画面キャプチャー
総合格闘家の秋山成勲(韓国名:チュ・ソンフン)が、日本に帰化した理由について語った。

最近、韓国で放送されたKBS 2TVバラエティ番組「社長の耳はロバの耳」では、秋山成勲がキム・ドンヒョンなど格闘家の後輩たちと共に、釜山(プサン)にある行きつけのホルモン焼き屋を訪れた。

この日の放送で、釜山市役所のチームに入団することになったきっかけを尋ねられた彼は「大学生の時、日本の実業団からスカウトがたくさんあった。30年前の話だが、月300万ウォン(約33万円)を払うというところもあった」と語った。

彼は「家にお金がないから、当然入団を考えた。しかし、実業団に入団すれば、すぐ日本代表として国際大会に出場しなければならない。僕はそれができなかった。韓国の国籍を持っていたから」と説明した。

続けて「知り合いを通じて、韓国に行ける方法がないのか探した。釜山の方に知り合いがいたので、釜山市役所のチームに決めた。その代わりに、市役所の所属だったので、何もなかった。それでも僕の夢を叶えられる道だった。それでお金がないにもかかわらず、選択した」と付け加えた。

後輩から「釜山市役所にいた時、何が一番大変だったのか」と聞かれると、秋山成勲は「実はお金もないし、月に60万ウォン(約6万5,000円)くらいしかもらえなかったから、買いたいものも買えず、食べたいものも食べられなかった。成績も最初は良くなかった。その時は大変だった」と吐露した。

また、柔道時代と格闘技時代について「柔道の時がもっと大変だった。その時は何も知らず、経験もなかった。体重を減らす方法も全くわからなかった」とし「今はあれこれ分かるようになってとても楽だけれど、(昔は)体重も減らないし、とても大変なのに運動もスパルタで行った。昔はそうだった。考えながら動くものがなかった。僕と(運動のスタイルが)合わなくて、選手村を出ることになった」と伝えた。

1998年に釜山市役所の柔道チームに入団した彼は、2001年に日本に帰化した。その後、2002年に釜山で開催された「第14回アジア競技大会」に日本代表として出場。韓国代表のアン・ドンジンと競って、金メダルを獲得した。当時、帰化した理由を尋ねる取材陣の質問には「柔道がしたくて(帰化)した」と答えていた。

日本に帰化したことに対して、秋山成勲は「僕が日本に帰化した理由の1つが、(僕には)日本の訓練スタイルが合った。日本代表の訓練スタイルがとても好きだった。それで日本代表としてメダルもたくさん獲得した」と素直に話した。

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記者 : カン・ダユン