「ワン・デイ 悲しみが消えるまで」チョン・ウヒ、渾身の演技をするも映っていたのは…

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※この記事にはストーリーに関する内容が含まれています。
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チョン・ウヒは作品ごとに違う顔で観客を驚かる。「サニー 永遠の仲間たち」で鳥肌モノの女ボンドに変身し、「ハン・ゴンジュ 17歳の涙」では極端に傷を持った少女を演じ、「哭声/コクソン」はミステリアスな存在で強烈な印象を与えたりもした。

公開された映画「ワン・デイ 悲しみが消えるまで」(監督:イ・ユンギ) では、チョン・ウヒの明るい姿を見ることができる。“霊魂”ではあるが、チョン・ウヒはかわいくてハツラツとした姿で、また違う顔を見せる。

チョン・ウヒは作品ごとにそのキャラクターで存在する理由について、「わざわざ苦労まではしない方だ」と語った。キャラクターの感情を既に内面化させ、カメラの前に立つのだという。千ものキャラクターを、それぞれ違った人物として演じるだろうという信頼を与えてくれるチョン・ウヒは「私は演技欲が多い」と笑って話した。

――「ワン・デイ」の中のミソは、チョン・ウヒが今まで演じた役柄の中で最も明るいキャラクターでした。

チョン・ウヒ:シナリオでは、ミソのセリフが書き言葉だったのでよく分からなかったんです。演じる私が恥ずかしがってはいけないから、それをどう解決するかたくさん悩みました。元々使われていた言い方を直す適切な言葉が見つからなかったので、逆にその言い方を、ミソの特徴のようにしようと決めました。

――出演を決心した決定的な理由はなんですか?

チョン・ウヒ:イ・ユンギ監督との出会いです。悩んでいたら『一度会って悩んでみないか』と。監督と(キム) ナムギル兄さんと一緒に会いました。「ワン・デイ」のシナリオを読んでみて『これは監督が書かれたものなの?』と疑問に思っていたら、監督が直接書いたのではないということが分かって。この作品を、イ・ユンギ監督の方式で解決しないかなと好奇心が沸いたんです。ナムギル兄さんとのケミ(相手との相性) もよく合いそうでした。心地良かったんです。最初の印象で、確固たる意志は生じませんでしたが、対話を通して、私たちが一緒に作っていけば良い作品になるのでは、という気持ちが生まれました。

――イ・ユンギ監督らしい映画とは何を意味しているのでしょう。

チョン・ウヒ:いわゆる感性的というか……全作品を観てはいないんですけど、監督の作品の主人公は、常に岐路に置かれた感じがあるんです。その色が作品に現れたら、強みになるなと思いました。映画を観たら、そういう雰囲気がよく溶け込んでいるようで満足しています。監督がセルフディス(自分自身をディスること) で「興行作品がない」と話すんですよ。もちろん興行作品も重要だしあればいいけど、厚いファン層がいるということだけでもいいんじゃないかな。

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――ミソのキャラクターに於いて、定形化した姿を見せるのが嫌だと言っていましたね。

チョン・ウヒ:ミソは視覚障がい者です。視覚障がい者が出てくる映画を観ると、特定の性格や、ある定型化されたイメージがありました。何故そうしなきゃいけないのかなって、違う感じで見せることもできそうなのに。それがあまり気に食わなかったので、もう少し身近で、人間味のあるキャラクターにしたかったんです。

――視覚障がい者の役のために特別に努力した点は?

チョン・ウヒ:横で手伝ってくれる先生がいました。福祉館で点字を学んだりもしましたが、それよりも視覚障害を持った方々の人生がもっと気になりました。一緒に話をしてみたら、私の偏見はガラガラと崩れ落ちました。ミソのキャラクターを構築するにあたり、視覚障がい者であるという考えは排除して、自分の周りにいる人物のように演じようと思いました。

――美容室で母親に会いに帰るシーンを「人生の演技」と言っていましたが、映ったのは足だけでしたよね、残念ではなかったですか?

チョン・ウヒ:カメラが回っている時は、本物だと思ってそこにいますけど、でも結局は演技じゃないですか。だから、できるだけ冷静かつ客観的に見ようとしたんですけど、そのカットは自分自身が主体になれなかったんですね。私の演技が気になってしまった。カメラにこの感情がどう映るのか気になっていたのに、足だけしか映らなくて残念でした。現場でスタッフが泣くのを初めて見ました。その空気の中では、共感できたということですが、カメラに収められなかったから本当に歯痒かったです(笑)

――植物人間になって出てくる場面はリアルでした。

チョン・ウヒ:私はもっとリアルであってほしかったです。死に近い姿が欲しかった。横になっている姿を撮影をする時、ナムギル兄さんが『楽そうだ』なんて言ってましたが、実際はそうでもないんです。呼吸、目の動き、体の硬直などを表現しなければならないんですから。そのシーンの後、体がつりそうなくらい大変でした。

――キム・ナムギルさんとは兄妹のように過ごしたと伺いました。

チョン・ウヒ:兄さんはおしゃべりなんですよ(笑) 話をたくさんする人で良かったです。演技に関する話はもちろん、衣装など、ディテールな部分まで話をたくさんしました。プリプロ(映像制作における準備段階) の頃から信じられないほどたくさん話をしていたので、クランクインの時はすでにぎこちなさはありませんでした。初めての撮影時は気まずかったり、体がまだ慣れていない感じを受けたりすることはよくありますが、それが全然ない。兄さんとは一緒に車に乗るシーンが最初の撮影でした。監督が『アドリブで適当にやれ』と言うので、そんな演出は初めてでしたがすでに仲良くなっていたので、楽しく演技ができました。

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――「哭声/コクソン」に続いて、またたった1着しか着ていないですよね。

チョン・ウヒ:慣れてますから。ハハハ。1着しか着ないという項目は、作品選びで悩むまでの事ではないです。相談はたくさんしましたけど。1着でやるんだから、その服でミソを見せることが重要じゃないですか。患者服の話もありましたけど、魂になってからも人間的な姿であってほしいと思いました。色合いにはナーバスになって試着しました。薄紫色の服が映画の色ともよく似合っていました。

――映画が“尊厳死”について扱っています。

チョン・ウヒ:祖父が長い間病床に横たわっていたんですが、3年前に亡くなりました。だからというわけではないですが、映画のストーリーに十分共感しながら演技しました。もし私がガンス(キム・ナムギル) を演じたなら、見送る立場だけを理解したはずですが、ミソを演じながら祖父についても考えることができました。誰かを見送ることは、特別なことではない。私たちにとても近い事柄なんですよね。

――真面目で暗い役をたくさん引き受けてきました。監督がチョン・ウヒさんの顔から何かしら事情を汲み取っているのではないでしょうか。

チョン・ウヒ:深い場所にある内面が顔に表れているのは、女優として良いことですよね。監督もそうですが、キム・ヘス、チョン・ドヨン先輩たちも私の顔を気に入ってくれているんです。どう転んでも、変化がよく表れた状態で話ができる顔だと話してくれました。監督もそのことへの期待や信頼があって、任せてくれているんじゃないだろうかと思います。

――キャラクターの事情を、どう表現しようとする方ですか?

チョン・ウヒ:劇中の人物を観客に伝える立場なので、可能な限り私の体と表情など、すべてのものを利用しようとします。だけど、それをわざわざ苦労してまではしないです。演技はしますが、ある状況が私の体の中に内在している場合は、カメラの前にも反映すると思います。それを知ってくれている監督と観客に会えたら、気持ちが良いに決まってます。

――「サニー 永遠の仲間たち」「ハン・ゴンジュの17歳の涙」「哭声/コクソン」など、作品ごとに違う顔を見せる理由なのかもしれないですね。

チョン・ウヒ:「ハン・ゴンジュの17歳の涙」の時は、私を痛ましく見てくださる方々が多かったですね。「哭声/コクソン」を撮ってからは避ける人も(笑) それを観たら、作品ごとに私から感じられるモノが違うんだと思っています。イメージというのは、怖くもあり、不思議でもありますね。

記者 : チョ・ヒョンジュ、翻訳 : 前田康代