ミン・ギュドン監督「『背徳の王宮』は俳優に恵まれた作品…僕の思いに共感してくれて感謝」

OSEN |

ミン・ギュドン監督と言えば“繊細さ”がまず先に思い浮かぶ。彼が手がけてきた作品を見れば、“繊細さ”を思い浮かべるのも無理ではない。「私の生涯で最も美しい一週間」「アンティーク~西洋骨董洋菓子店~」「キッチン」「オガムド~五感度~」そして「僕の妻のすべて」まで。あえて性別を分けるとしたら、ミン・ギュドン監督の映画は”女性”に近かった。

しかし、「背徳の王宮」は少し違う。繊細さ、女性らしいタッチはあるが、この作品を見てすぐにミン・ギュドン監督を思い浮かべることはできない。ミン・ギュドン監督の初の時代劇であるということや、男性中心の衝撃的な題材のためである。燕山君(ヨンサングン:李氏朝鮮の第10代国王)のために全国から1万人の美女を集める採紅使(チェホンサ)という題材を披露するミン・ギュドン監督は、映画上映中ずっと観客に衝撃を与え続ける。

監督本人もこれが観客に衝撃を与えるであろうことはよく認識していた。しかし、それを避けて通りたくはなかった。採紅という事件が発生した悲しい過去を正面から見つめなければならないと考えた。そこから今の「背徳の王宮」が誕生した。しかし、時には「やりすぎだったかなと思う時もある」と話して笑ってみせるミン・ギュドン監督であった。

「これまでなぜ採紅に関するストーリーが扱われていなかったんだろうと考えてみました。数多くの宮中の暗闘の中で、女性はただのエキストラに過ぎなかったと思われていたのでしょう。そのため、採紅使のストーリーを描いて、15歳観覧可にするのは生齧りに終わってしまうと思いました。過去を直視するには様々な方法がありますが、正面から見つめてこそ自由になれると思いました。だからもう少しリアルな描写をしようと思いました。時間が経って、やりすぎだったかなと思うかもしれませんが(笑) 今は自分が熱くなっている状態なので、距離を置いて考えることはできません。ハハ。しかし、韓国の観客たちのレベルが非常に高くなりました。型破りな映画も多様性のある映画として受け入れてもらえると信じて、最後まで突き通しました」

そんな衝撃をきちんと受け止めてくれた俳優たちにミン・ギュドン監督は感謝の言葉を伝えた。何より採紅された女性を演じたたくさんの女優たちに感謝した。ある程度の露出もあり、容易ではない演技だったため、女優たちの苦労に十分に共感し、感謝を示した。

「僕は運が良かったですね。助役も端役も容易ではない演技だったはずなのに、犠牲になった女性たちの凄絶さや辛さがきちんと表現されることが重要であるという思いに共感してくれて感謝しています。映画の露出度をめぐって葛藤もありましたが、露出度が高くてカットされるかもしれないと言ったら、それはダメだと言ってくれる人たちで、ありがたかったです。勇気を出してくれて、本当にすごいと思いました」

これまでの作品とは完全に雰囲気が違ってファンたちが驚くのではないかと聞くと「僕にファンがいますか?」と大きく笑うミン・ギュドン監督は、「自分でも慣れないジャンルやストーリーで、気後れしてはならないと思った」と述べた。

「僕は主に女性たちのストーリーを描いてきました。男たちが権力を握って、女たちがターゲットとなって暴力の犠牲になるストーリーは僕にとっても慣れないストーリーです。だから気後れしてはならないと思いました。包み隠さず、赤裸々に正面から描きたかったんです」

これからもミン・ギュドン監督の“大胆な逸脱”は続くのだろうか。彼は自身のフィルモグラフィーを“絶えず裏切ること”と説明した。自分自身を裏切り続けて映画を作ってきたというのだ。これからもミン・ギュドン監督の“裏切り”を見ることができるだろうか。

「今、僕は絶えず自分自身を裏切って逸脱しながら映画を作ってきたと思います。今回の時代劇も一緒です。19禁の時代劇というのが、自分が着ている服とぴったりのものではないため、自ら自分自身を投げてみたのです。これから自分にもっと合う映画を探して旅に出ると思います」

記者 : キム・ギョンジュ