「大将キム・チャンス」チョ・ジヌン“失点を覚悟で直球を投げた映画”

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写真=KIWI COMPANY
「キム・グ(金九)先生のおかげで、僕たちは両足を伸ばして暮らしています。一生懸命守って下さった国なのに、子孫が誤って率いているんじゃないかと、申し訳ない気持ちもします。僕は先生を演じながら、多くの感情を感じたので、僕からでもしっかり生きていきます」

白凡(ペクポム)、キム・グ先生に伝えたい言葉があるかと尋ねると、俳優チョ・ジヌンはこのように話した。チョ・ジヌンは韓国で上映中の映画「大将キム・チャンス」で、キム・チャンス役を演じた。劇は1896年、明成(ミョンソン)皇后の殺害犯を殺し、死刑宣告を受けた青年キム・チャンスが、仁川(インチョン)にある監獄の朝鮮人たちの間で隊長になるまでの実話を扱った。キム・チャンスはペクポムの青年時代の名前である。

「普通、ある作品で配役を演じた後はそれを僕の体に合わせ、不便な部分を諦めたりもします。しかし、偉人を演じる時は、彼の品格に僕の体を合わせなければなりません。そうすると衝突する事になります。僕は偉人ではないので、キム・グお爺さんの品格は真似できないと思ったのです。1年以上も作品を熟考した理由です」

チョ・ジヌンは幾度も考えた挙句、出演を決めた。彼は「僕ができる領域ではないと考えながらも、心の奥では既に演技を準備していたと思う」と笑った。彼が気持ちを確固たるものにしたのは、シナリオに収められた“疎通の重要性”が要となったという。劇中、キム・チャンスは最初監獄にいる人々を見ながら「私は彼らとは違う。私は罪人じゃない」と言うが、彼らと疎通しながら全員が大切な人であることを悟る。

「キム・チャンスの品格を高めたのは監獄の仲間たちです。つまり周りの人々の事です。偉人に対する話、歴史的な事実も重要ですが、何より“自分の人生も価値がある”というメッセージを伝えたという点に凄く納得しました」

写真=KIWI COMPANY
「大将キム・チャンス」は、チョ・ジヌンが持つ人生の価値観を変えた。独立軍の話を扱った映画「暗殺」(2015)で、祖国のために命を懸けた速射砲役を演じた時は「もし僕なら、独立運動は出来なかったと思う」と話していた彼だ。

「今回の作品をしながら考え方が変わりました。多くの人々が辛い思いをしないように、自分で何かできるなら何でもやろうと思うようになりました。“出来るからするんじゃなくて、しなきゃいけないからするんだ”というセリフに感銘を受けたんです。その言葉を心の奥深くに刻み込みました」

俳優は、成績以上の意味を残す作品であるとしても、人々の評価は避ける事ができない。それでもチョ・ジヌンは「失点になるとしても、変化球を投げる事は出来なかった」と、映画に臨んだ格別な心構えを、野球用語に例えた。

「映画には観客が好む場面が盛り込まれているのは当たり前です。しかし『大将キム・チャンス』には歪曲があってはならないので直球だけを投げました。多くの賃金をもらうプロたちが集まった場所でした。“作戦”を練らなかった訳がありません。しかし結局、“変化球は他の映画で投げよう”と意見が揃いました」

劇に対するチョ・ジヌンの格別な思いは、撮影現場にも表れた。2、3個の作品を同時に撮影していた彼だが、今回はマネジメント会社と他の映画製作会社に了解を得て「大将キム・チャンス」にのみ集中した。先輩後輩が多かった現場ではまとめ役も引き受け、和気藹藹とした雰囲気を主導した。

「僕がちょうど中間の年齢だったのでまとめ役になりました。撮影が終わった後、いつも僕の部屋に集まって小規模の台本読み合わせもしました。理解できない部分について、皆で話しました。映画を作りながら、こんな経験は非常に稀な事です」

彼が負担に感じていた瞬間だ。彼もそれを認めている。「負担は大きかったです。一人では絶対できないと思いました。仲間たちと一緒に堪えるだけでした」と説明した。

「『大将キム・チャンス』を通して得たものは多くあります。もっと真面目に生きていこうと決心しました。ソウルの孝昌(ヒョチャン)公園にあるキム・グお爺さんのお墓にも時々行くようになりました。先日行って『僕はお爺さんの演技をした子孫です。時々訪れては迷惑をかけるかもしれません。ちょっとぐずっても受け入れてください』と話してきました」

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記者 : ヒョン・ジミン、翻訳 : 前田康代