寂しくても、辛くても笑顔だった…LADIES' CODE リセさん、永遠にさようなら

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写真=TVレポート DB
リセさんはいつも微笑んでいた。ステージの上でも下でもひたすら笑顔だった。疲れた時や辛い時も、家族と離れて寂しい時もまず笑っていた。最後までそうだった。綺麗な韓服(ハンボク、韓国の伝統衣装)を着たリセさんは、遺影写真の中でも明るい笑顔を見せていた。そのように永遠の挨拶を伝えた。

ガールズグループLADIES' CODEのリセさん(本名:クォン・リセ)が9日午前、家族や友達、愛する人々と最後の挨拶を交わした。キリスト教式で執り行われた葬儀には、リセさんの安らかな眠りを願う人々が出席し、涙を流した。リセが所属しているLADIES' CODEのメンバーであるアシュリー、ジュニ、ソジョンも出席した。ソジョンは怪我により5日に執り行われたウンビさんの葬儀にも出席できなかったため、さらに辛そうだった。アシュリーとジュニはウンビの葬儀から4日経ち、再びもう一人のメンバーの葬儀を執り行うという大きな悲しみに耐えていた。

リセさんは3日の交通事故で意識を失った。10時間を越える大手術と治療に耐えることができなかったリセさんは、結局回復できなかった。1991年生まれのリセさんは、享年23歳という若さで息を引き取った。16歳の時に父親を亡くしたリセさんは、特に父親に対する愛情が大きかった。父が応援してくれたおかげでLADIES' CODEとしてデビューすることができたと信じていたリセさんだった。

「16歳の時に父が亡くなった。父は亡くなる前に私が歌手になることを応援してくれた。LADIES' CODEとして活動する私を見て一番喜んだのは父だと思う。(私が)ここまで来れたきっかけだと思う」

歌手への夢を抱いたリセさんは、一人韓国へ向かった。母親や姉をはじめとする家族や親戚、友達はみんな日本にいた。若い年齢で家族と離れ、寂しかったはずのリセさんだが、歌手になりたいという夢に向かって耐え忍んだ。リセさんはLADIES' CODEのメンバーに頼りながらデビューを準備した。リセさんは2013年3月にLADIES' CODEとしてデビューした。

その後、リセさんは時々LADIES' CODEのメンバーと共にTVレポートとの取材にも応じた。そのたびに、グループに対するプライド、メンバーに対する愛情を表した。彼女の顔からは、片時も笑みが消えなかった。リセさんはデビュー当時、「デビューする前に会社を移籍し、今のメンバーに出会った。会った瞬間からみんな優しくしてくれたので不思議だった。周りの大人から、人が大事だという話をたくさん聞いたが、うちのメンバーたちは天使だと思った。団結できるLADIES' CODEのチームワークは本当に素晴らしい」と紹介した。

LADIES' CODEに対する愛情は、リセさんの歩みにそのまま現れた。グループとしてデビューする前にオーディション番組「偉大な誕生」シーズン1に出演して有名になったリセさんは、LADIES' CODEの“顔”だった。“リセが率いるガールズグループ”という修飾語がついた。これは、リセさんの重い責任感に直結した。リセさんはグループ活動はもちろん、個別活動も並行した。ソロ活動に対する欲ではなかった。グループをもっと知らせるために、メンバーたちにもっと大きな力を与えるために積極的に乗り出した。

2013年に「スターダイビングショー スプラッシュ」に出演したリセさんの目標は、「LADIES' CODEを知らせること」たった一つだった。ダイビングの練習で全身筋肉痛を訴えながらもメンバーたちが心配しないように、むしろ笑った。コンディションを聞くとリセさんはにっこりと笑いながら「大丈夫」と答えた。そんな姿を見たメンバーたちは「本当にバカみたい。リセは優しすぎてバカ姉さんと呼ばれる。LADIES' CODEのために何でもやる。私たちに母やお祖母ちゃんのような愛情を見せてくれる。ありがとうとしか言えなくて済まない」と話していた。

その後もリセさんは個人的な成功よりもLADIES' CODEの成功に焦点を合わせて活動した。今年初め、リセさんは「LADIES' CODEは新しいグループだった。これまで他のグループが見せられなかった色を活かした。2014年にはLADIES' CODEというグループ名をもっと知らせたい。3~4枚のアルバムをリリースし、人々にグループの存在を確実に認識させる」と覚悟を明かした。

リセさんは2014年にLADIES' CODEとしてアルバムを2枚リリースしたが、もうこれ以上アシュリー、リセ、ウンビ、ソジョン、ジュニで構成されたLADIES' CODEのアルバムは聴けなくなってしまった。事故数日前、リセさんは父親に対する特別な気持ちを伝えた。「天国にいる父に、私は元気に頑張りながら生きていると伝えたい」と言ったリセさんは結局、父親、そして共に事故に遭ったウンビさんがいる場所へ旅立った。

9日午前、リセさんの葬儀は先に亡くなったウンビさんと同じ葬儀場で執り行われた。韓国で火葬された故人の遺体は家族、親戚、友達がいる日本でもう一度葬儀を行った後、現地に安置される予定だ。

記者 : キム・イェナ