「シンイ-信義-」恭愍王とキチョル、リーダーシップの決定的な違い

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写真=SBS

SBS月火ドラマ「シンイ-信義-」“脅迫”や“少ない食糧”にも屈しない民衆とは?

力のない王、そして王になろうとする男。彼らの対立は避けられそうにない。王になろうとする男は権力を利用して王を操り人形にしようとし、王が言うことを聞かなければ周りにいる者をすべて殺そうとする。しかし、力がないからといってそのままやられているばかりの王ではない。まずは自分の味方をつくり、力を育て、さらには権力に対抗し、既得権に踊らされるばかりの王ではなく、自分の意志で民衆を治める“真の王”になろうとする。

やっと始まった恭愍王(コンミンワン:リュ・ドクファン)と魯國公主(ノグク姫:パク・セヨン)のじれったいロマンス、そして一寸先も見えない“イムジャカップル(チェ・ヨン&ウンス)の世紀を越えた愛が、「シンイ-信義-」の大きな見どころであることは間違いない。しかし、力のない若い恭愍王と王をも恐れぬ絶対的な権力者キチョル(ユ・オソン)の対立こそ、「シンイ-信義-」をさらに緊張感あふれるものにする見どころだ。

特に17日に放送された「シンイ-信義-」第11話で、恭愍王とキチョルが交わした会話では、最終的に恭愍王とキチョルが目指す王(指導者)のリーダーシップがうまく表現されていた。この会話をよく考えてみると、今日の私たちにも適用できる様々な意味が込められていることが分かる。


「民衆という存在は適当に押さえて、食糧さえ与えればいい」

先週、恭愍王が目をかけていた人物の虐殺に出たキチョルはこの日の放送で堂々と恭愍王を訪れ、無礼な言葉を投げつけた。キチョルは恭愍王に、自分の意のままに動く操り人形になるよう不遠慮に勧め、王の側にいる人々を殺した後も堂々としていた。さらに「今、なぜ殿下が窮地に追い込まれ、僕は堂々としているかご存知ですか?」と聞き、恭愍王をみじめにさせた。

これに対して、恭愍王は「あなたは僕に何もしないようにと言っているのか?」と尋ねる。この問いに対するキチョルの答えからキチョルがどのような指導者を目指しているかがうかがえる。

キチョルは「殿下は未練が多いためです。いい王になろうとする未練です。民衆というものは、どうやっても文句や不満が多い存在です。適当に押さえて食糧さえ与えればいい。与えすぎると、反逆するので、適当に足りないくらいに……」と話し、民衆という存在を軽視する態度を見せた。

しかし、ここには鋭い統治哲学が込められている。飢えさえ解決してやれば、民衆は政治がどうなっても、王が何をしても気にしないという意味が込められており、背筋が寒くなるほどだった。なぜなら、キチョルのこの言葉は21世紀の韓国にもそのまま当てはまるからだ。しかも「食糧は適当に、足りないくらいに与えるべきだ」という言葉は、キチョルが民衆という存在をかなり鋭く分析していることが分かる。


「正しい王を望んでいる者がいる」

しかし、恭愍王の考えは違った。「民衆がいい王を望んでいないと?僕を支持してくれる人はこれ以上出ないと?今月15日に書筵(高麗時代、王または王の世子に学問の講義をすること、またその場所)がある。その時僕の支持者たちが僕に王の徳目について教えてくれるので聞いてみるがいい」とキチョルに切り返した。

続いて、恭愍王は「この国には脅迫に屈せず、適当な食糧にも満足せず、正しい王を望んでいる者がいることをお見せしましょう」と覚悟を述べた。この言葉には、キチョルと同じく恭愍王の統治哲学と民衆を見る視線が込められていた。

「正しい王を望んでいる民衆」がいると信じている恭愍王は、民衆が、キチョルが思っているような単純な存在ではないと考えているようだった。食糧さえ与えていれば、王が何をしても、政治がどうなっても気にしないという愚かな存在ではなく、脅迫や適当な食糧にもかまわず、正しい王を望む心があると信じているのだ。これは、つまり“生きた市民意識”ではないだろうか。

特に、恭愍王の台詞の中で「僕の支持者が僕に王の徳目について教えてくれるので聞いてみるがいい」という言葉には、臣下や民衆の話を聞いて政治を行うという恭愍王の統治哲学が込められていた。これは自分が絶対的な者として君臨し、自分の思うままに国を動かして統治するというキチョルの立場とは反対となる部分だ。

恭愍王のこのような態度は自分が最初に認めた臣下であり、最初に受け入れた民であるチェ・ヨンの非難に耳を傾け、また彼にアドバイスを求める姿からも確認できる。一方、キチョルにとって部下とは、ただ命令を実行する存在に過ぎない。これが、キチョルが王になれない理由でもある。

もちろん、私たちは“記録された歴史”を通じてキチョルが恭愍王に勝てないことを知っている。たとえキチョルが「未来を変える」と宣戦布告しても、ウンスとチェ・ヨンがいる限り、キチョルの思い通りにはならないだろう。おそらくウンスは、未来を変えるためならどんなに悪辣なことでもためらわずにするキチョルに立ち向かい、元通りに歴史が流れるようにするだろう。自分が介入することで歴史が変わっていると混乱したウンスが近いうちに新しいことに気づくと思われるが、それは歴史を変えてしまう介入ではなく、元通りに流れるようにするための介入のように思われる。

とにかく、民衆を愚かな存在と考え、脅迫と食糧で国を統治できると信じている者が王になっては困る。それは高麗時代でも朝鮮時代でも、21世紀の韓国でも同じだ。そのようなリーダーシップでは民衆の話に耳を傾ける恭愍王には決して勝てない。おそらく指導者としてのリーダーシップの違いが後々、恭愍王とキチョルの運命を分けることになるのではないだろうか。

とにかく、恭愍王が話した「脅迫に屈せず、適当な食糧に満足しない民衆」とは、果たして誰に向かって言ったことなのだろうか。キチョルか、それとも視聴者か。

記者 : パク・チャンウ