チョ・ジョンソク ― 世界に向けて言いたかったこと

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“役者”という職業を持つ人々は、韓国社会でいわゆる“公人”と言われたりする。特に、彼らが一定水準以上の人気を得ている場合はなおさらである。ただ楽しくて演技を始めただけなのに、瞬時に言葉と行動に人一倍注意しなければならなくなるのである。

インタビューを終えてしばらく時間が経った後、彼をめぐる論争(チョ・ジョンソクが軍を免除されたことに対する論争)が起きた。実は彼が発端ではなかった。しかし、誰かがチョ・ジョンソクの過去をほじくり出し、論争に火がついた。一度起きた論争は、すぐには収まらなかった。

インタビュー当時、ボランティア活動に対する話題が出て、「父を早くに亡くし、母も高齢だったので、高齢者福祉に関連した活動に関心がある」と言っていたチョ・ジョンソクの表情を思い出した。しばらくして「論争を気にせず、映画の撮影に集中している」というニュースを聞き、やっと安心できた。

皮肉にも、この逸話は彼が人々に与える影響力がどれほど大きいものかを見せる端的な例となった。役者は自身の演技を通じて人々にメッセージを伝えることができる。いい作品、あるいは普段の自身の姿を通じて、大なり小なり人々の人生に影響を及ぼすこともある。


「もう一つの世界を間接的に体験できる媒介が役者だ」

芸術家の創造的な作業の最終段階、つまり“伝える”に対する疑問もここから始まった。チョ・ジョンソクも、この部分に対して深く考えていた。彼は「確かに“公人”と呼ばれるだけに、社会に影響を及ぼすだろう。それがいい方向であればと思う」と切り出した。

「僕がいい役者を輩出する“地”になればと思います。いい役者の見本になりたいというか、そのような影響力を持ちたいです。そして人々には感動を与えたいです。フィクションからもらえる感動のことです。僕たちの生きていく世界は限られているじゃないですか。その世界から脱皮するのも怖いですし。違う世界を間接的に体験できる媒介が役者だと思います」

彼の言うとおり、私たちが生きていく世界は、俳優たちが再現するそれとは範囲が違う。数十年間日常を繰り返して暮らす私たちに比べ、作品に登場する人々の暮らしは選択され、加工される。限られた時間だけを圧縮された人生を生きるか、人生のある瞬間を切り取り、それを拡大する。だからこそ、私たちは彼らの演技を通じて違う人生を経験し、満足を得るのかもしれない。

また、チョ・ジョンソクは役者が与えられる感動を“振幅”という概念で説明した。一定の幅に感情を持って生きる人々とは違って、作品の中の人物は、自由自在に幅を変えられるということである。彼は「人々の感情というのが、似たようなものだと思う」として言葉を続けた。

「そうだと思いませんか?怒ったり、すねたり、気分良くなったり。感情の変化する程度もそうですし。人々が感じる、感情の幅を広げるというのは、興味深く楽しいことだと思います。最初に演劇が出来たのも、人々の暮らしを多彩にするためではなかったでしょうか。

また、こんな風にも思いました。作品を通じて違う考え方に出会い、そこから来る満足感のため人々が演技を求めているのかもしれないと。次の日の朝になると、また日常が始まりますが、違う考え方をする材料にもなるのです」


「いままでやってきた通り、これからも進んでいきたい」

そして、彼は「感謝している」と述べた。自身を通じて感動を与えることができ、別の世界を見る観客がいて感謝するという意味であった。2012年、2つの作品で一躍スターとなり、人々に言いたかったのも「感謝している」という言葉だったという。

「演劇の三大要素のうち、一番重要なのが観客だと思います。自分を見てくれる人、関心を持ってくれる人がいなければ、演技の喜びは感じられないと思います。そういった関心が僕にとっては力となり、また、役者という職業で生きていく上でものすごいエネルギーになります」

だからこそ、チョ・ジョンソクは他の人になることを躊躇しないのだろう。それは、まだ演技をいう営みが一番楽しいことであるためでもあり、「この門をくぐれば僕はもう死んだようなものだ」と誓ったという大学1年生の頃の気持ちがまだ残っているためでもある。怯むことなく作品を選択し、撮影に入る彼の行方に声援を送りたい。もっと多くの作品で私たちを笑わせ、泣かせてくれることを願う。

「心から感謝しているとぜひ言いたいです。僕がTwitterにも“ありがとう”と文章を載せたことがありましたが、それが本当の僕の気持ちです。今までやってきた通り、これからも進んでいきます。これからも関心も持ち続けていただければ本当に嬉しいと思います」

記者 : イ・ジョンミン、イ・ミナ