ユン・ヨジョン&ジンハ、ドラマ「パチンコ」出演の思いを明かす“私たちに対する、私たちのための物語”

OSEN |

写真=APPLE TV+
女優ユン・ヨジョンとジンハが、ドラマ「パチンコ」に関連してインタビューを行った。

最近、Apple TV+オリジナルシリーズ「パチンコ」で主演を務めたユン・ヨジョン、ジンハのビデオインタビューが行われた。同名のニューヨークタイムズのベストセラー本を原作にした「パチンコ」は、禁じられた愛から始まる物語で、戦争と平和、愛と別れ、勝利と審判に対する忘れられない年代記を描いた作品だ。

1900年代初め頃の韓国を背景に始まり、韓国の移民者家族の物語を描いた同作は“ソンジャ”の視点でストーリーが繰り広げられ、ユン・ヨジョンは老年時代のソンジャとしてドラマを引っ張っていく。かつてアメリカで数年間生活した経験があったユン・ヨジョンは、日本に移住した後、生きるためにキムチを作って販売するなどして奮闘したソンジャの人生に対して「私とソンジャは状況が違いました。私はアメリカで仕事はしなかったです」と打ち明けた。

彼女は「生きるために仕事をする時は、それが大変なのかどうか分かりません。選択肢がないので。それしかすることがないからそうします。大変であることも分からないのです。彼女にできるのはキムチを作ることしかないです。夫は刑務所にいるので、だから大変であることにも気づかないんです。そう思いました」と伝えた。

先立って、映画「それだけが、僕の世界」で一度、慶尚道(キョンサンド)の方言で苦労したユン・ヨジョンは、「パチンコ」でもう一度方言の演技を披露した。これに対して彼女は「『それだけが、僕の世界』の時は、方言を気にしすぎたあまり演技が台無しになりました。しかし後から聞いてみたら、そこで生まれない限り、ネイティブスピーカーのようにはできないらしいです。なので今回は演技に集中するためにニュアンスだけ生かしました。ソンジャは16歳で日本に渡り、6~70年暮らしていたので、変なアクセントになっているだろうと解釈し、方言のコーチを受ける時も『大丈夫です』と言いました」と率直に語った。

特に「パチンコ」は、日本統治時代前後の話を描いた作品だ。ユン・ヨジョンは「母が1924年生まれなので、この時代の話をたくさん聞きました。私も1947年の解放後に生まれたので、統治時代についてよく分からないです。『パチンコ』を通じてたくさん学びました。“在日”という単語についてもよく分からなかったです。在日同胞とは何が違うのか聞いてみたら、“在日”はプライドがあるらしいです。韓国は独立してすぐに朝鮮戦争が起きました。彼らは在日同胞でもなく、どこかに落ちた人々です。韓国と北朝鮮に別れたので、韓国でも受け入れてもらえませんでした。“在日”は在日同胞だけど、韓国人として生きることを意味するらしいです。“誇らしい在日”ということです。これを学んで、撮影しながらも胸が痛みました。『パチンコ』で演じながらたくさん学べました」と伝えた。

ソンジャの孫ソロモン・ペク役を務めたジンハも、アメリカで活動している韓国人俳優であるだけに、「パチンコ」は特別な意味になったはず。彼は「意味のある経験でした。アジア系アメリカ人として生きながら経験したこととつながる部分が多いです。両親、またはその上の世代が日本統治時代を経験したので意味がありました。おばあさんは亡くなりましたが、1911年度に生まれて統治時代を経験しました。父は日本語が流暢で、他の家族たちも日本語が上手です。その中の一部は日本語を強制的に学ばなければならない状況にあった人もいました。そのような歴史をアメリカのテレビショーで見せることができるのが、栄光で特権であると思います。いつか自分の歴史と自分の家族の話を演技できればと思っていましたが、このように早く機会が来るとは思わなかったので嬉しかったです」と感想を語った。

ソロモンというキャラクターに共感した部分について聞くと「まず、多くの面で違います。僕は在日でもないですし、日本語ができないです。しかし、アメリカでアジア人として経験したことが、ソロモンのキャラクターを理解する上で、アプローチしやすいスタート点になりました。僕は演技を職業にすると決める前に、銀行で金融業をしようかと悩んだことがあります。大学に通っている時のインターンシップで、銀行に志願しようともしました。その時、演技という職業を見つけられなかったら、ソロモンのような人になっていただろうと思います。いつも仮面をかぶって成功しようという野望に満ちた人になっていたのではと思います。それを考えながら接点を見つけることができました」と打ち明けた。

そして、「ソロモンは、ソンジャがこれまでしてきた犠牲と決定の結果です。その世代を生きていく人達は、その負担を背負っています。初めて多くの機会を享受する世代です。僕もアメリカに渡って、親の犠牲が多かったです。多くの視聴者が共感すると思います」と付け加えた。

彼はユン・ヨジョンと共演した感想も語った。ジンハは「ユン・ヨジョンさんのような大先輩と仕事ができて嬉しいです。撮影しながらユン・ヨジョンさんの演技をたくさん見るために努力しました。良い演技をこんなに近くで見られるのは、そうそうある機会ではないです。共演できて運が良かったです。僕はおばあちゃんが1人しかいなかったのですが、近くにいられなかった記憶があります。おばあちゃん役のソンジャと近い孫として関係を結ぶことができて本当に嬉しかったです」と伝えた。

移民者の物語を取り扱った「パチンコ」には、実際のスタッフと俳優の中にも韓国系アメリカ人が大勢参加した。ユン・ヨジョンは「『ミナリ』を演じた時も、出演した理由を聞かれました。私はフロリダに住んでいたので、あまり社交的でもなかったです。友人達はアメリカ人ですが、私をよく手伝ってくれました。人種差別は全然感じなかったです。職場にも通わなかったので。全然知らなかったのですが、うちの息子がそれを(人種差別を)すごく感じたようです。息子やジンハのような子は、国際孤児だと思いました。韓国に来ても韓国語ができないからおかしく思われるし、アメリカでも顔が違うから差別されるし、だから『ミナリ』の時もアイザック監督を手伝わなければならないと思いました。そういう事が、私の心の中にあったようです。彼らは皆、私の息子と同じ状況ですし、彼らが何かを作ろうとするから心が向いてしまいます」と、愛情を示した。

最後にユン・ヨジョンは「パチンコ」に対して、「壮大な80年間の歴史を、1つの家族を追いながら描く作品です。脚色を経て小説とは少し違いますが、私は満足しました。ポン・ジュノ監督の言う通り、1インチの壁を乗り越えたら多くの話をすることができます。一緒に話し合いたいです」と伝えた。また、ジンハは「これほどの規模で、このような作品で、韓国の観客の皆さんに初めて会うことが出来て感謝していますし、光栄です。僕たちに対する物語、僕たちのための物語を今後も続けていく機会が与えられたら嬉しいです」とコメントした。

記者 : キム・ナヨン