キム・チョルミンさん、肺がんで闘病の末に昨日(12/16)死去…仲間たちから哀悼の声続く

OSEN |

写真=SNS
肺がん末期にも希望を失わず、健気に闘病生活を続けたお笑いタレント兼歌手のキム・チョルミンさんが亡くなった。これを受けてお笑い芸人の後輩たちから追悼の声が続いている。

16日、歌う芸人としていつも幸せを届けてきたキム・チョルミンさんが、原子力病院のホスピス病棟で死去した。享年54歳。

これに先立ち、彼は2年前の2019年、肺がんステージ4の判定を受け、闘病中であると明らかにした。動物用駆虫薬であるフェンベンダゾールまで服用して完治への意志を表し、自身のSNSを通じて着実に回復している近況を伝え、がん患者や家族たちに希望を与えてきた。

しかし、昨年の冬に腫瘍の数値が3000を越えるなど、状態は悪化した。彼は10月末、肺がん治療のために原子力病院に3ヶ月以上入院していると近況を知らせた。特に彼が病棟からアップした写真には、白くなった髪の毛でげっそりとした様子が収められておりファンを心配させた。

顔色は悪かったが、彼は当時も「治療をしっかり受けて打ち勝つ」と諦めない様子を見せた。これにネットユーザーたちは「頑張って! ぜひ打ち勝ってください」「応援しています」など、応援のメッセージを送った。キム・チョルミンさんはそのような気持ちに応えるかのように「ありがとうございます。最後の死闘を繰り広げています」とし、大変な抗がん治療をしながらも「打ち勝とう!」と明るく肯定的なエネルギーで希望を見せ続けた。

そのように12回目の坑がん治療を受けた彼だったが、最近は全身にがん細胞が広がり、これ以上抗がん治療ができないと明らかにして、多くの人々を悲しませた。その後、2ヶ月が経った10日、キム・チョルミンさんは、自身のFacebookを通じて「おかげさまで幸せでした。ありがとうございます。愛しています」という意味深な書き込みを掲載した。

長い時間、闘病生活を続けてきた彼は2021年12月16日、この世を去り、空の星として永眠することになった。これに対して、彼の30年来の親友である「訪問する思い出の音楽喫茶」のDJハシムは16日、OSENとの電話を通じて「本当に悲しい。自然治療をするために楊平(ヤンピョン)山に連れて行ったのも僕だし、療養院で数ヶ月間一緒に過ごして一挙一動を共にしたけど、残念だ」とし、複雑な心境を伝えた。

そして「天国に行ったら、そこで平穏で幸せにバスキング(路上公演)をしながら過ごしてほしい。彼は生まれながらの芸人だ」とし、諦めずに希望を歌った彼を追悼した。

笑顔を失わなかったキム・チョルミンさんを追悼したのは彼だけではない。お笑い芸人の後輩キム・ウォンヒョも16日、「#ありがとうございます #コメディアン #キム・チョルミン #故人のご冥福をお祈りします」と書き込んだ。また、オクドンジャことお笑い芸人チョン・ジョンチョルも「兄さん……いつも幸せな笑いを私たちにくれて、公演の時はあなたの技術を後輩たちに借しまずに分けてくれた……いつも与えるばかりだった兄さん。どうか天国でもお幸せに #故人のご冥福をお祈りします」と故人を追悼した。

お笑い芸人のキム・ジェウクも「恋しくなると思います、先輩。いつも笑顔で迎えてくれた先輩の顔がまだ目に浮かんでいるのに、大学路(テハンノ)が寂しくなってどうしましょう」とし「マロニエ公園の古顔がいなくて、本当に寂しくなると思います。喉が張り裂けんばかりにギターを担いでマイクもなしに歌やギャグをしていた姿、いつまでも覚えています。天天国でも路上公演をずっとやってください」と恋しさを伝えた。また「さよなら、チョルミン先輩! #キム・チョルミン先輩 #故人のご冥福をお祈りします #安らかにお眠りください」とし、天国では幸せに歌っていることを祈った。キム・チョルミンさんはこの世を去ったが、このように多くの人々が彼の善良な笑顔や胸を打つ希望の歌を永遠に胸の中に記憶するだろう。

キム・チョルミンさんは1994年にMBC第5期公採コメディアンとしてデビューし、MBCテレビバラエティ番組「ギャグヤ」などで活躍した。特に1980年代後半から大学路のマロニエ公園で路上公演をして多くの人々に親しまれ、“マロニエの紳士”と呼ばれた。また「大丈夫」などの楽曲をリリースして、多くの人々に希望と慰めを伝えた。

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記者 : キム・スヒョン