【ドラマレビュー】自己矛盾に陥った「ドラマの帝王」“突破口が必要”

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写真=SBS

SBS月火ドラマ「ドラマの帝王」が解くべき課題

ドラマがドラマを語るのは、決して容易なことではない。それはつまり、自己批判であると同時に、厳しい基準を求めるためである。例えば、PPL(Product Placement:テレビ番組や映画に特定会社の商品を小道具として登場させること)を批判するドラマが、PPLなしに制作されるのはほとんど不可能であり、ありきたりな恋愛ドラマや通俗的な設定を拒否すると堂々と主張したドラマも、よく見ると従来のドラマの限界をそのまま含んでいる場合がほとんどである。

これは、現在「ドラマの帝王」が直面した現実でもある。ドラマ初期にギリギリに書き上げた台本や、ほぼ生放送のように行われる撮影現場、PPL、編成権を巡る運動など、同種業界に対する鋭い視線をブラックコメディで描いた「ドラマの帝王」は、彼らが批判していたところにおいて同じ基準で評価される位置に立たされている。

問題は、残念ながらその評価があまり良いとは言えないことである。もちろん、「ドラマの帝王」も彼らが批判していた“韓国のドラマ制作システム”の中で作られているため、仕方がない部分もある。例えば、度の過ぎたPPLや、後半になるにつれストーリーが恋愛に集中する傾向がそれである。しかし、このような細かい部分は、実は大きな問題ではない。より根本的な問題は、残り3話となる「ドラマの帝王」が“自己矛盾”に陥って、ジタバタしているように見えるということである。


陳腐な偶然の連続…「ドラマの帝王」でさえ?

まず、24日に韓国で放送された第15話を見てみよう。何より残念なのは、このドラマのメインといえるアンソニー・キム(キム・ミョンミン)とイ・ゴウン(チョン・リョウォン)の恋愛が偶然に依存し過ぎている点だ。

二人の間の恋愛を本格的に告げた“パプチャ(ご飯車)”のエピソードだけを見ても、山中で道に迷い、自動車のエンジンが止まり、結局二人の体温に依存して夜を過ごした設定は、陳腐なあまりにこじつけの感じさえある。

アンソニー・キムが、ソン・ミナ(オ・ジウン)の紹介で大手企業の投資を受けるようになった日の状況もそうだ。よりにもよって、アンソニー・キムが約束の場所に向かっていたその時間にイ・ゴウン脚本家が風邪で倒れ、更には自動車に乗って病院に向かっている途中で理由もなく道路が渋滞する。結局、投資は水の泡になってしまう。「世界にどんなバカ者が愛のために成功を諦めるのか」と叱っていたアンソニー・キムが、イ・ゴウン脚本家のために投資を諦めたことを見せるための設定だろうが、偶然に頼りすぎている。

そのためだろうか。この日の放送では、イ・ゴウン脚本家のために投資を諦めたアンソニー・キムやアンソニー・キムに片思いを抱いて気苦労をするイ・ゴウン脚本家よりは、撮影現場で言い争っていたソン・ミナとカン・ヒョンミン(SUPER JUNIOR シウォン)が遥かに目立っていた。思うに、今後カン・ヒョンミンがソン・ミナを好きになって、二人の間にも新しい恋が始まりそうだが、偶然が続かなかったという点で、彼らの恋愛の方がより自然に感じられる。

“恋愛を強調すれば、そもそもの企画意図とは違って、ドラマが変な方向へと行ってしまう”と指摘していた「ドラマの帝王」が、結局は後半でアンソニー・キムとイ・ゴウン脚本家の恋愛に集中して力を無くしたのではないだろうか? これこそが“自己矛盾”に陥ったこのドラマが解くべき最初の課題である。

これだけではない。放送の最後でアンソニー・キムに起きた異変の前触れは、このドラマが持つ自己矛盾をさらに際立たせる。この日、アンソニー・キムは、運転していた途中、急に視界が無くなり、大きな事故を起こすところであった。瞬間的に目が見えなくなったのである。医師はアンソニー・キムが服用しているうつ病治療薬の副作用だと説明したが、予告編を見ると遺伝である可能性が高いように見える。なぜなら、目が見えない母親の前で、アンソニー・キムの視界がまた暗くなったためである。

ご存知のとおり、記憶喪失と不治の病は韓国ドラマで頻繁に登場する題材だ。「ドラマの帝王」も記憶喪失を1つのエピソードとして取り上げ、笑いものにしたことがある。しかし、今になってアンソニー・キムに失明という病気を与えるなんて。記憶喪失と不治の病は異なるから関係ないとでも言いたいのだろうか? それとも「ドラマの帝王」は彼らが批判していたありきたりの設定を踏襲しようとしているのだろうか? これが“自己矛盾”に陥ったこのドラマが解くべき2つ目の課題である。

自身の感情を表現するアンソニー・キムはいつ見られるだろうか?

もちろん、突破口はいくらでもある。アンソニー・キムにとって、母親と同じ症状が現れただけで、まだ彼が失明するという確証はない。そのため、アンソニー・キムのこの症状を題材に、いくらでも他のストーリーを作ることができる。例えば、うつ病の治療薬を止めてこそ回復できるという診断を受ければ、今後アンソニー・キムはうつ病の薬を止めるために、より率直に自身の感情を表現することになるだろう。

自身の本当の姿を隠して、一度も本音をそのまま表現したことがないために生じたうつ病である。だとすれば、逆に“好きなら好きだと、嫌なら嫌だ”と率直に思いを表すことで、うつ病を治療し、また薬も止めることができる。もし、アンソニー・キムが自身の本音に正直になれば、イ・ゴウン脚本家との恋愛も、今よりずっと自然に展開できると思われる。

アンソニー・キムの性格上、本音をそのまま表現するのが容易なことではないだろうが、失明を避けるためなら、いくらでも蓋然性のあるストーリーに発展させていくことができる。慣れないようで、乗り気でない姿で自身の感情を表現するアンソニー・キムの姿は想像するだけでも楽しい。

例え、視聴率で苦戦しているとはいえ、「ドラマの帝王」が自己矛盾を克服し、“完成度の高いドラマ”として記憶されることを期待したい。

記者 : パク・チャンウ