「ウララ・カップル」もしかしてシーズン制のドラマだったのですか?

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※この記事にはドラマ「ウララ・カップル」の結末に関する内容が含まれています。

竜頭蛇尾で終わってしまった「ウララ・カップル」の可能性

“心と体の入れ替わり”を経験する夫婦を演じるシン・ヒョンジュンとキム・ジョンウン。このように一行で要約できたKBS「ウララ・カップル」こそ、本当の“ハイコンセプト”ドラマの最新韓国バージョンと思わざるをえなかった。あえて「シークレット・ガーデン」を言及するまでもない。男女の役割チェンジを通じた理解と疎通という題材は、もう珍しくもないからだ。

ふたを開けてみると、シン・ヒョンジュンとキム・ジョンウンの、親しみのあるそして公認された(キム・ジョンウンがシリーズ1に、シン・ヒョンジュンがシリーズ2~4に出演した映画「家門の栄光」は、1800万人に迫る観客を動員した)、ずうずうしくコミカルな演技は、期待以上だった。「最低」と「どうする」を連発するシン・ヒョンジュンと“チョッボルナム”(座るときに足を大きく広げ隣に迷惑を掛ける男)をリアルに演じたキム・ジョンウンこそ、最高視聴率15%をリードした原動力だったと言えよう。

個人的に「ウララ・カップル」に注目したのは、ファンタジーがより果敢に全体的に介入していたからだった。月下老人(ピョン・ヒボン)と巫山神女(Brown Eyed Girls ナルシャ)が、毎回違うキャラクターに扮装し、コ・スナム(シン・ヒョンジュン)とナ・ヨオク(キム・ジョンウン)の暮らしを見守りながらも介入し、運命を司るという設定は、かなり興味深く斬新だった。コ・スナムが前世に次ぎ現世でまで、ナ・ヨオクを裏切るという事実を、直接的な回想で羅列したことも新鮮だった。

しかし、シム・ヘジンとパク・ジニが出演した「カムバック!スネさん」を通じて女性同士の“入れ替わり”で効果を得た脚本家のチェ・スンシクは、この才知溢れ、にぎやかだったドラマを“新派”ドラマに展開させることで、自ら視聴率下落を招いた。なぜ、そうしたのだろうか。果たしてそれが大衆性を増すことができる切り札だと判断したからか。

写真=KBS「ウララ・カップル」のポスター、コンテンツK

「21世紀のヨオク残酷史」でもないこのドラマ、最初の斬新さはどこに行った?

夫婦の魂が入れ替わってから、「ウララ・カップル」は男女関係を覆す気配、正確には家父長制度に対する不穏な反旗を抱いているかのように見えた。予想はいつも的中するものだ。やはり体が替わってから、あらゆる苦難と逆境に耐えるのは妻の体に入った“不倫男”コ・スナムだった。前世でもナ・ヨオクを裏切った、そのならず者の夫が、専業主婦のあらゆる苦難を自ら体験し生まれ変わる話は、誇張された2人の俳優の演技の中でしっかりと入り組まれているように見えた。

しかし、そこまでだった。ナ・ヨオクの体に入ったコ・スナムが(流産が予見される)子供を妊娠するという、過度な設定が目立った(?)中盤から少しずつ始動がかかり始めた。体は元に戻ったが、子供を流産したナ・ヨオクの深い悲しみまでは、中年の女性視聴者たちの共感を得るためのドラマ的装置だと何とか理解することもできる。

しかし「ウララ・カップル」はそこから更に、数歩前に進んだ。交通事故は基本で、持病のあるビクトリア(ハン・チェア)の救急室行きに続き、結局初恋の相手ヒョヌ(ハン・ジェソク)と再会して幸せを感じていたナ・ヨオクに肝臓癌を宣告するという罰を下した。

ここまで来ると「21世紀のヨオク残酷史」や「嫌われヨオクの一生」とタイトルを変えてもよさそうだ。更には綺麗さっぱり諦めるとしていたコ・スナムとナ・ヨオクが、肝臓移植をきっかけに再婚するという設定は、在り来たりを超えて、怠惰という表現が似合うほどだった。“入れ替わり”と仙人を登場させたファンタジーなだけに、“韓国ドラマの有り触れた”設定を取り入れるのは無理もないことだったのだろうか。

「夫婦クリニック 愛と戦争」を連想させた“マクチャン”(日常では起こらないような出来事や事件が次々と起きること)同然の事件が続く中でも、このドラマが伝えたかったことは、最初から運命の絆で繋がれた2人が結ばれることだった。しかし、離婚届に印鑑を押してから“入れ替わり”という大騒動を経験し、肝臓癌をすっきりと克服して、悔い改め生まれ変わったコ・スナムへ戻り、仕事も愛も手に入れ、2度目の結婚式を挙げるナ・ヨオクの結末は、本当のハッピーエンドだと言えるだろうか。例えるならば、ナ・ヨオクは、運命という歯車の中で“離婚夫婦の再婚”という結論に戻るしかない“鮭”を連想させた。

「離婚した女性が年下またはまっすぐな初恋のような室長に出会い、仕事で成功し、新しい恋を手にする」という、昼ドラの主人公のようだったナ・ヨオクは、そうしてあまりにも受動的な女性に留まってしまった。“新派映画”の主人公にぴったりな……

写真=KBS

いっそのこと中盤以降は“シーズン2”だったと言ってほしい

ファンタジーという大きな傘の中に隠れ、それぞれのディテールをないがしろにした「ウララ・カップル」の負けは、視聴率で証明された。中盤までは「宮廷女官チャングムの誓い」のイ・ビョンフン監督のドラマ「馬医」に立ち向かい、激戦を繰り広げた「ウララ・カップル」は、新派と無理のあるナ・ヨオクの苦難が乱発され8.9%という、結果的には残念な数字で幕を閉じた。ギクシャクした展開は視聴者が先に気づくものだ。

更にいくつかを挙げてみよう。天帝と閻魔大王の運命ゲームを繰り広げた「アラン使道伝」とともに“神”を登場させるファンタジーは、更に細かい細工が必要だということを「ウララ・カップル」は再び証明した。神という名の下、子供の流産と、突拍子もない不治の病、臓器移植中の救急車の突然の事故など、刺激的な状況と偶然を乱発することは、これからは避けるべきだ。

そして「ウララ・カップル」がキャラクターを活用する方式は、男性の観点に偏り過ぎていた。ビクトリアがその問題となる人物だ。いかなる状況でも“オッパ(兄の意。女性が親しい年上の男性やスターを呼ぶ呼称)”だけを求めていたビクトリアは、ナ・ヨオクとは比べられないほどファンタジー的な人物だと言えよう。養子縁組でスウェーデンから来て、持病もあり、妻子持ちに思いを寄せた罰で苦しみ、結局その“恋”までも譲歩してしまう女性だからだ。実は「ウララ・カップル」の脇役はほとんど、機能的なキャラクターに留まっている。

最後に、中盤以降のドラマの雰囲気がはっきりと変わる「ウララ・カップル」を見ながら、平均65分の韓国ドラマが、今や独自的にシーズン制度を取り入れているのではないかとの錯覚さえも覚えた。45分から50分を超えない日本や米国のドラマに比べ、断然長い韓国ドラマが、中盤以降は時間をスキップして舞台を変えたり、ドラマの全体的な雰囲気を変えてしまうケースが多くなったからだ。急に2話が延長された「ウララ・カップル」の新派もまた、シーズン2という重要なキーワードと説明があったなら、更に容易に受け入れられただろう。

記者 : ハ・ソンテ