二人の男を仲違いさせるメディア…誰のための“知る権利”なのか

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PSY&キム・ジャンフン“不仲説”報道ラッシュ…“事実”の足りないいい加減な報道

「キム・ジャンフン&PSY、喧嘩?なぜ?」
「キム・ジャンフン&PSY、不仲説、乱闘劇」
「キム・ジャンフン、劇端的選択」

この頃一部のインターネットメディアは、報道しなくてもいいことを報道している。歌手PSY(サイ)とキム・ジャンフン、二人が個人的に解決すべき問題を“知る権利”を理由に連日報道しているのだ。報道に接する韓国の国民は、後味が悪い。なんだか訳が分からないし、気分も良くない。しかも、二人の歌手は今のようにお互いの問題がメディアによって解決されることを希望していない。このような状況で満たされる国民の“知る権利”は意味がない。逆に人々は“知らない権利”を求めたくなるのではないだろうか。

二人の間に何があったのかに対する写実的な接近と見解はほとんどない。ただ生齧りの知識で話題作りに注力するような一部のメディアの姿勢は、改善しなければならない。事実ではなく、話題になるようなものだけを伝えるならば、そのメディアはきちんとしたメディアとは言えない。メディアなら話題になりうるものに事実を十分に入れなければならない。事実が十分反映されていないニュースは、結局世の中に役立つものではなく、トラブルを巻き起こすだけだ。

結局、二人の仲を深刻にさせたのは一部のメディアだ。ハプニング程度に終わらせれば、またはPSYとキム・ジャンフンに対する意味のある記事を出せば、見舞いや二人の仲直りなど、詳細な話が関係者の口から出ることはなかったのだろう。二人の歌手本人の発言ならそれでいいが、国民は関係者の話には別に興味がない。(このようになった以上、二人が直接話すこともおかしくなったが。)従って、一連の報道は混乱を与えたり、雑音のように思われるだけだ。

双方から真実を聞けなかった状況でメディアは、二人の歌手に鈍感に反応する必要がある。国民の“知らない権利”を守るためだ。国民と報道の対象になる人々が希望しない記事を勝手に“報道する権利”を理由に伝えているのではないか。一部のメディアは自問してみる時ではないかと思う。

記者 : ソ・サンフン、写真 : ユ・ソンホ、イ・ジョンミン