「屋根部屋のプリンス」「Dr.JIN」「シンイ-信義-」など“タイムスリップドラマ”の進化はどこまで行くのか?

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写真=SBS
歴史に「仮定」は意味のないことだが、ドラマにおける仮定は、尽きることのない素材を提供する。SBS「屋根部屋のプリンス」、tvN「イニョン王妃の男」、MBC「Dr.JIN」に続き、最近SBSで放送スタートした「シンイ-信義-」まで、いわゆる「タイムスリップ」ドラマが相次いで制作されている背景にも「if(仮定)」の力がある。

しかし、現在と過去を行き来する「タイムスリップ」は、その設定自体がファンタジーに基づいているゆえに“何故”という質問の前では無力になる。“何故”皇太子イ・ガク(JYJ ユチョン)は300年という時を越え、21世紀の韓国に来たのか。“何故”ジン・ヒョク(ソン・スンホン)は逆に朝鮮末期に遡ったのかに対する疑問を示すとすれば、「ドラマだから」と答えるしかないだろう。

偶然、自身が住んでいる時代ではない、他の時代に行ってしまった主人公たちに、タイムスリップの「目的」などあるはずもない。ただの偶然の連続だ。だから主人公たちのタイムスリップは結局、ドラマの冒頭でコミカルな要素として活用され、中盤や後半に至って“実はこのような秘密があった”というような形式を取ることになる。既存のタイムスリップドラマがロマンスへ重点を置くしかない理由だ。

そのような意味でMBC「Dr.JIN」は、確かに一歩進んだタイムスリップドラマだと評価できる。そして、無責任な結末だったものの「Dr.JIN」は「過去と現在の対話」を通じて我々に「歴史とは何か?」といった重い質問を投げかけた。あえてカオス理論や平行理論のような世界観を突きつけなくても、我々はジン・ヒョクの悩みに一緒に悩み、イ・ハウン(イ・ボムス)の変化に一緒に焦った。

未来から来たジン・ヒョクの関与にも関わらず、果たして歴史は「記録された歴史」通りに流れるのか?この一つの質問を投げかけただけでも「Dr.JIN」は既存の「タイムスリップ」の限界を十分に乗り越えたと言える。

しかし「シンイ-信義-」はここから更に一歩前進する。今までのタイムスリップにはなかった目的意識を「シンイ-信義-」はドラマの冒頭から積極的に持ち込んできた。つまり、「シンイ-信義-」で起こる「タイムスリップ」は偶然ではない。もう少し積極的な概念だ。“何故”という質問に対しても「シンイ-信義-」は「患者を助ける神医を連れ込むために」ととても明快な答えを出す。

もちろん「シンイ-信義-」でチェ・ヨン(イ・ミンホ)は21世紀の韓国を、華陀(中国、後漢末の名医)が住むあの世くらいにしか思っていないが、重要なのはそれだけではない。背景が過去から現在であれ、逆に現在から過去であれ、タイムスリップの目的が加わると、その想像力の幅が更に広くなるということが重要だ。

例えば、今までの歴史の中で私たちが論理的に理解できなかった事件や、社会変革の大きなきっかけになった事件を、この「タイムスリップ」につなげると面白い話を作ることができる。その反対に今の時代に生きていたらどうだっただろうと思う歴史の人物を現実に連れ込む設定も可能だ。

「シンイ-信義-」の場合はもう少し見守る必要はあるが、おそらく「Dr.JIN」のジン・ヒョクのように、ユ・ウンス(キム・ヒソン)が歴史の流れにまで介入することは多分ないと思われる。「Dr.JIN」が朝鮮末期という過去だったことに比べ、「シンイ-信義-」は恭愍王(コンミンワン)時代という、更に遠い昔を背景にしているためだ。

確かなことは、「シンイ-信義-」が披露した「タイムスリップ」には目的と必要性があったということで、決してここが「タイムスリップ」の終着点ではないという点だ。

単純なタイムスリップから出発し、歴史の方向性に対する悩み、そして今や目的を成し遂げるためのレベルにまで及ぶ「タイムスリップ」は自己発展を図ろうとしている。歴史において「仮定」は確かに何の意味もないが、ドラマにおいて「仮定」は尽きることのない素材を提供する。「タイムスリップ」に更に多い「if」が加わるとき、視聴者の目と耳は更に楽しくなるだろう。

「自己複製」に留まるのではなく、「自己発展」を図る更に多くの「タイムスリップ」ドラマが誕生することを期待する。

記者 : パク・チャンウ