ナ・ヒギョン「心ときめかせるボサノヴァが好き」

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ナ・ヒギョンが作り上げた魔法のようなワンシーン。彼女がギターを手にして声を発した瞬間、スタジオは公演ホールになった。火をつけたキャンドルがステージの照明となり、ギターのメロディーに合わせてささやく声は、午後の退屈な時間を心地よい気だるさに変えた。彼女が作り上げた魔法のような二つ目のシーン。やりたいことは段階別にグラフを描き、実践するというリアリストの姿勢を持ちつつ、「電車でボサノヴァを聞くと心臓の鼓動と電車のリズムが重なってロマンチック」というロマンチストな面を見せたとき、彼女からブラジルを代表するカイピリーニャ(ブラジルの伝統的なカクテル)の香りがした。ブラジルから戻って間もないからか、ライムの爽快感の後にさとうきびの甘さを感じるカイピリーニャのように、彼女はミュージシャンとしての現実的な認識とときめきとを同時に聞かせてくれた。

―4月にブラジルから帰ってきたが、今回は何回目のブラジル訪問だったか?

ナ・ヒギョン:ソウルに戻って2ヶ月がたった。ブラジル訪問は2回目で、訪れるときはなるべく長く滞在しようと思っている。

―最初にブラジルを訪問したときはどうだったか?今はブラジル現地でボサノヴァを勉強してきたミュージシャンとしてお茶の間に知られているが。

ナ・ヒギョン:一番最初に行ったのは「旅の始まり」の収録を終えてからだった。チケットは予約したけど、いざ予定していた出発日が近づくにつれ、体調が悪くなっていった。蝸牛管に問題があって、飛行機に乗るのもダメだし、お医者さんから2年は外国に行かないほうが良いと言われた。家で療養しながら、ブラジルでの計画を書いたノートを捨てた。痛くて悲しくて、私は音楽に会いに行く予定だったのに、こんな計画はもういらないと思った。一ヶ月療養して、ただ休みに行こうという目的で行ったので、そんなに興奮や期待感はなく、なんだかすべてが自然だった。

―その時、CDを30枚も持参したと聞いたが、音楽に対する意志はあったようだ。

ナ・ヒギョン:他のことにはそんなに意欲はないけど、ポルトガル語ができないから、自分を表現する言葉の代わりにと思った。だけど、ありがたいことに会話がすぐに上達した。こんなに自慢していいのかな?(笑) 3ヶ月たつ頃には、2年住んだ人とほとんど同じレベルになった。すぐに現地に慣れることができたのは私がホームステイしていた家のおかげで、今回のアルバム「私を漂わせる」のモデルになった家だ。お父さんはブラジル伝統楽器の演奏者で、お母さんは画家という芸術一家で、毎週ミュージシャンたちが家に遊びに来て演奏したり、歌ったりして一緒に楽しんでいたので会話がすぐに上達した。

「声が今も変わっている」

―ブラジルは熱くて、情熱的で、派手なイメージが浮かぶが、どんなところか?

ナ・ヒギョン:まさにそのとおり。情熱的で、派手で、自由で。何でもできる国かな?(笑) ブラジルといえばサンバ、カーニバル、すごくセクシーなイメージも強いけど、本当にそういうセクシーな要素が多い。人々が自由で余裕がある場所。もちろんブラジルの全部を知っているとは言えない。ブラジルは大きい国だし、私は主にリオデジャネイロにいたから。そこの雰囲気は他の都市とは違って、イパネマ海岸、コパカバーナ海岸などがある海辺の島だったから、みんな仕事が嫌いで、海岸で遊ぶのが好きだった。全体的に気だるい雰囲気かな?韓国人がたくさん住んでいるサンパウロに比べて韓国人もあまりいない。そこでビジネスをしていた人は大手企業を除いてみんな立ち去ったみたい。サンパウロも韓国より30%くらいゆっくりとしているけど、ここはもっとゆっくりしているから(笑) いつもみんなが「海に行こう!海に行こう!」と言っている街のよう。

―そんな気だるい情緒はボサノヴァというジャンル自体の特性であると同時に核心と言えるが、ソウルのように忙しい生活に戻ってきても、その生活リズムは維持できるか?

ナ・ヒギョン:ロマンにはまっているから、ソウルに戻ってきてもまだ慣れないのは事実だと思う。今回はブラジルで収録をして、そんなに大きな違和感はないけれど、もしかしたら、だからこそもっと魅力的なものもあるかもしれないから、そういう部分にできる限りフォーカスを合わせて、心の余裕を持ちたい。もちろん韓国では、やればできると言うマインドがある。ここでよくやっている早朝合奏も他の国では想像できないことだった。去年、ブラジルから演奏者一人をお連れしたけど、韓国の演奏者と時間が合わなくて、到着してすぐ、早朝に合奏の練習をしたことに衝撃を受けていた。「あり得ない、こんなところがあるとは!」と言っていた(笑) 韓国はいつも忙しくて焦っているように見えるけど、韓国人は音楽にも余裕があって、ノリのいい人が多い。タイトな日常生活を飛び越えるきっかけさえあれば、人々は穏やかになる。そんな瞬間を音楽を通じてたくさん作っていきたい。私のことを知らない人でも私の音楽を聞いて、少しでも余裕を持てるきっかけになればと思う。

―ボサノヴァを歌った今回のアルバムだけでなく、1枚目のアルバム「Hee na」もブラジルで収録されたが、そこでの作業はどうだったか?

ナ・ヒギョン:アルバム「Hee na」の音楽的な部分は全部ブラジルで行った。今回のレコーディングはブラジルで全部終わらせたけど、マスタリングは韓国で行った。どっちが最善かは分からないけど、ブラジルが韓国と違うところは収録の時の雰囲気かな?ずっとふざけて冗談を交わしながら収録に臨んだ。自然な雰囲気で息もぴったり合い魅力的で、一回で収録を終えた。演奏者の方々が10年間ともに演奏してきた、長い経験がある方だから遊んでいるようだったけど、演奏を始めると美しいメロディーが流れだした。

―初めてブラジルに行かれた後、リリースされたアルバム「Hee na」とBossa Dabangとしてリリースされた「旅の始まり」で声が違う。ブラジルで接したボサノヴァの影響か?それともわざわざ歌唱方法を変えたのか?

ナ・ヒギョン:元々は太くてバイブレーションの強い、テクニックが多いスタイルで歌っていたけど、そのうちボサノヴァや自分が好きなボイスの曲を探求しながら音色を変えていった。Bossa Dabangのときはある程度変わっていた状態だったけど、もう少しスムーズに歌いたかった。だからブラジルでファーストアルバムを作ったときは、初めに収録した曲を全部捨てて、滞在期間を伸ばしてもう一度収録した。音色はもちろん、もう少し甘くて、もう少し耳にささやくように、そしてリズムから自由になれるように。その点に気を遣っていたら、声が変わっていたし、今回はあまり歌らしくない、ブラジルのリズムが生きている曲にしたかったから、歌唱方法が変わったみたいに感じる。今でも少しずつ変わっている。

―ブラジルに行く前からボサノヴァを始めたことになるが、一番最初に聞いて胸がときめいた曲を覚えているか?

ナ・ヒギョン:本当に昔のことだけど、記憶に残る曲は「春川行きの汽車」。今回のアルバムのタイトルにもなっていて、中学生のときに初めて聴いてとても胸がときめいたので、春川(チュンチョン)に行く汽車の中で聴きたかった。MP3にその曲を入れて一人で汽車に乗ったことがあって、行きはその曲だけ繰り返して聴いて、マッククス(辛くて酸っぱくて甘いそうめん料理)を食べてソウルに戻ってきた。帰りは、「この汽車は春川に行く汽車じゃないから聴いてはいけない」と思って聴かなかった。その時はボサノヴァだったことも知らなかったけど、そのリズムが本当に好きで、私の初めての自作曲にもそのリズムを使った。自分の曲に聴き惚れて「この曲すごく良い、自分の曲だけど」と思ったこともある(笑)

―「春川行きの汽車」がボサノヴァ入門のきっかけとなった曲なので、今回のアルバムに収録する時、曲に対する気持ちが違っていたと思うが。

ナ・ヒギョン:今回のアルバム収録曲の作曲家は、幼い頃、ブラジル音楽の世界に導いて下さった方々なので、一つ一つが新しくて良かった。ブラジル演奏者に曲に関して説明する時も本当に嬉しかった。「あなたが私のハートに入ってきたら」は歌詞の中で愛の駆け引きと甘い感情を表現しながらお互い笑ったりして、「愛という感情は人類共通の感情なんだな、この感情はみんな共感するんだな」と思った。説明ができないときは演技もしたし、言葉だけの説明だと雰囲気が変わるかもしれないから、絵も描いた。演奏者に「ここにいて」と言っておいて自分が逃げたりもした(笑) みんなが曲が素晴らしいと言って驚いていた。

―小学校のときは自作曲を作り、中学校のときは音楽関連の機器を買うために持っている物も売るほどだったと聞いたが、大学では音楽ではなく、心理学を専攻した。

ナ・ヒギョン:両親が音楽をすることを10年間も反対していたから妥協するしかなかった。学生の時は平均97点を越えないと音楽スクールの学費を出してくれなかったし、大学では奨学金をもらって親に見せた。そうしないと私がちゃんとやり遂げていることを証明できないから。両親は特に良い成績を望んでいたわけではなく、音楽を職業に持つことを望んでいなかった。それで妥協案が一般の大学に行った後、音楽をするということだった。悩んだ末、音楽心理学を見出した。その中でも私が勉強していた音楽知覚認知心理学は、鑑賞者を研究して、“人間は音楽をどのように聞いているのか”を勉強するという学問。

「何年後かにはアフリカにいるかもしれない」

―音楽の創作者としてそのとき習ったことは影響を与えているか?

ナ・ヒギョン:影響はない(笑) もちろん心理学を勉強したことは人生の中ではとても役に立った。人間を理解するときにも役に立つし、人生で常に肝に銘じなければならない命題を悟った。“人間は不完全な存在である”ということで、4年間で習った一番大きなものだった。音楽知覚認知心理学を勉強したときも、科学で説明できない何かを科学で説明できるという認知科学者たちの意見には同意できなかった。とても魅力的で活用価値が高い学問だったけど、私の創作作業に直接的な影響はない。

―決められた水準以上の成績を維持するという両親との約束を守りながらも音楽も諦めなかった。模範生であると同時に自分の意志を絶対に曲げないというこだわりが感じられる。

ナ・ヒギョン:母を本当に愛しているので、両親の言うとおりにしたのもあるけど、私はやりたいと思ったことは、絶対にやり遂げるっていう徹底した面もあって。高校時代、他の専攻を探した時も最善策、次善策のようにグラフを作った(笑) 今でも、音楽をしながら描いた構想もある。私のアルバムは私のキャリアであると同時に「私はこうやって勉強してきた」という足跡でもある。ファーストアルバムはボサノヴァ、クラシックの入門から卒業で、セカンドアルバムでは歌を制するために学んでいる。こうやって一つ一つやり遂げている。最初から曲を作ろうと思って音楽を始めたので、曲はたくさんストックしてあった。それとともに私が習ったものを徐々に組み合わせてみたいから、あれこれ試している最中。

―自分の武器を一つずつ装着していくような感じがする。ボサノヴァだけではなく“あれを私のものにしてみよう”と思うジャンルがまた現れるのでは。

ナ・ヒギョン:韓国的なものに関心がある。私がいくら10年、20年とブラジルを行き来してもやっぱり韓国人なので、表現できる感情は別にあると考えている。どうすればそれをミックスできるか色々なソースを探して行きたい。ひょっとすると何年後かにはアフリカに行っているかも(笑) この頃はヨーロッパのボサノヴァも結構良いから、来年はヨーロッパに行くつもり。パリのボサノヴァは物静かで理知的な感じで、さらにジャズ的な要素が盛り込まれている。初めてボサノヴァにハマった時は、オリジナルだけ聞いたけど、今はフュージョンにも惹かれている。

―しかし、韓国でボサノヴァは熱狂的な支持を受けるジャンルではない。実際に、最も大衆的な音楽番組のMBC「日曜の夜-私は歌手だ」では“ボサノヴァ敗北”(ボサノヴァバージョンで編曲したら絶対に脱落する)という話があるほどだ。

ナ・ヒギョン:「私は歌手だ」のように派手に見えるものもある反面、長く聞いても穏やかで飽きない音楽もある。おいしいご飯のような。音楽の市場性を考えるなら、ボサノヴァを勉強しにブラジルには行かなかったかもしれない。だからといってずっとマニアックなことをしたいわけでもない。子供のような発想かもしれないけど、ああいう要素を私のものにしたい、あのリズム、あの自由なニュアンスとボイスを私のものにしたいと言う気持ちがとても大きい。ボサノヴァは競争力がないのかもしれないけれど、色んな場所で穏やかに聞くことができるし、カフェで流れる曲の多くはボサノヴァだ。実際、私の曲を初めて聞いた場所は美容室で、2回目は寿司屋だったけど抵抗はなかった。そういった親しみやすい要素を、もう少しブラジリアンに近い本物のボサノヴァで作って私の曲として発表したい。こんなことを考えながら着実に前に進んでいるので、音楽市場のことはあまり気にしていない。

―公演を見ると、ボサノヴァを歌いながら感じるときめきと純粋な幸せが表情や手の仕草にも表れていた。ボサノヴァからは静寂な雰囲気を連想するが、肩を軽く動かすほど躍動的な曲だ(笑)

ナ・ヒギョン:コントロールができなくて100%噴出してしまう。バカみたいに感情がコントロールできなくて、良かったら良い、素晴らしかったら素晴らしい、こんなふうに言ってしまう。ブラジルで歌った時もこんな気質だったから、観客から熱狂的な反応があったように感じる。小学校の時も、音楽をすることに反対される前は、生きていることが本当に幸せだった。リビングでお母さんが洗濯物をたたんでいたら私はそのそばで「ああ、生まれて良かった」と言いながらゴロゴロしていた。その後の10年は苦しかったけど(笑) でも、こうして遠回りしなかったら、人間について学ぶ機会、この世で違う仕事をしている人々に出会う機会、そして何かと妥協しながら情熱を維持していく機会を得ることができなかったかもしれない。音楽をするために10年間遠回りしてきたけど、ちっとも悔やんでいない。

―ボサノヴァバを歌うことを飛び越えて、このジャンルを通じて究極的に表現したいことは?

ナ・ヒギョン:ときめき、余裕、呼吸のような単語。歌う時も耳元でささやくように歌おうと気を使っている。リズムは十分にバウンスを効かせて、自分がときめくように。自分がときめいている時のボイスも好き。“あ”を言う時でも終わる地点でどう切るかによって違う。このジャンルを通じて伝えたいことはそれだと思う。言葉で説明できない私という人間、感情、人間的な部分、不完全なものなどを音楽を聴いている人に感じてほしい。

記者 : イ・ジヘ、写真:チェ・ギウォン、翻訳:チェ・ユンジョン