「ポラロイド」チュ・ホソン監督“娘チャン・ナラをヒロインにしなかった理由は…”

OSEN |

“チャン・ナラの父”チュ・ホソンが映画監督のタイトルをつけることになった。長く待った末に実現した“監督”の職だ。演劇の演出者として活動しながら演出の分野においてはかなり名を知らせた彼だが、映画に対する夢はいつも胸に抱いていたようだ。自身が手がけた映画を世の中に出して会った彼は落ち着いていたが、浮かれた様子だった。

それほど待ち望んできた監督デビュー、しかし、ふと思い浮かんだ疑問はなぜ娘のチャン・ナラをヒロインにキャスティングしなかったのだろうかだった。長く待ってきただけに、誰よりも華やかなデビューを夢見たはずだが、そして近道がすぐ傍にあることを知っていながらも、彼はなぜそれを選択しなかったのか知りたかった。もちろん、彼のデビュー作「ポラロイド」にチャン・ナラが出ないわけではない。友情出演という形で登場するが、映画の前面に出していればいわゆる映画の投資も、配給も順調に行われたかもしれない。

チュ・ホソン監督と娘のチャン・ナラをめぐる世間の噂についてよく知っていたのが最も大きな理由だった。チャン・ナラの父として批判的な書き込みの中で生きるしかなかった彼は「チャン・ナラが私の操り人形という噂があるが、そんな中で娘をヒロインにキャスティングできるわけがありません」と答えた。

娘に対する父の心配も理由になった。「ポラロイド」のヒロインは夫を失い一人で残された子供を育てる人物だ。まだ“母”よりは“恋人”のイメージを持っているチャン・ナラであるため、娘に自身がそのようなイメージを残したくなかったという。

以下はチュ・ホソン監督との一問一答。

―「ポラロイド」を作ったきっかけは?

チュ・ホソン:今我々の社会は荒くなっていて、怖い面の多い社会に変わっていくようだ。大衆文化はそのような人々の心を純化し、人間の魅力を語るべきだと思う。特に、韓国は自殺も多い国だが、社会と大衆文化がそのような人たちをもっと慰め、抱擁する必要があるのではないかと思う。もちろん、この類の映画をいわゆる“売れるジャンル”と呼ばないことを知っている。つまり、やさしい映画はあまり売れないという公式がある。夏のブロックバスターが溢れているが、家族同士で見られる映画はあまりない。ブロックバスターの間に挟まれた小さな映画だが、その温かさを社会と観客にお返ししたいとの願いがある。

―映画監督デビュー、本来夢だったのか。

チュ・ホソン:昔から演技と演出を並行しながらも忠武路(チュンムロ:韓国映画界の代名詞)を離れずに仕事をしていた。ダビングをしながら本当にたくさんの声を録音した。そうしながら多くの映画を見ていると映画に対する自身の基準もでき、私がしたい話をしてみたいと常に思っていた。

―簡単ではない挑戦だったと思うが。

チュ・ホソン:私は一瞬もじっとしていられる人ではない。突飛なこともたくさんし、そのような仕事をし続けてきた。弟子たちにも役者は止まってはいけない言う。そのような意味では、この歳に突然監督をすることは、私をよく知っている人にはあまりおかしくないことではないだろうか。私が映画をすることに対し、娘のチャン・ナラとナラの母は「あの人がまた何かを企んでいるようだ」くらいに思っているらしい(笑)

―この映画を準備する時間がかなり長かったと聞いたが。

チュ・ホソン:映画が商業的成績の面で喜ばれないため、1年ほど寝かすことになった。そこで映画を修正し続けるようになった。徹夜でそればかり覗き込みながら本当にたくさん勉強するようになり、してみると欠陥も見えたりした。その時間の間それなりに映画の勉強をするようになった。

―ヒロインとしてチャン・ナラをキャスティングしなかった理由があるのか。

チュ・ホソン:チャン・ナラを先に考えたのは事実だ。投資配給会社からも「チャン・ナラがヒロインなのか」とよく聞かれた。チャン・ナラをキャスティングすると生じる問題は、一番目はチャン・ナラはまだ“恋人”のイメージを持っていて“母”のイメージではないということだ。そのようなチャン・ナラを私が“母”の役割に変えてしまうと、娘を引き込むようで躊躇いがあった。そして2番目にはチャン・ナラが父の操り人形とよく言われるが、そういった理由でチャン・ナラをキャスティングしなかった。

―チャン・ナラと父の関係についても実はいろいろと噂がある。

チュ・ホソン:たまに書き込みを読むと、私がチャン・ナラの足手まといになっているように書かれたものがある。私がチャン・ナラを所有してすねをかじっているなどの話もある。私はチャン・ナラの最初から今日までを企画した企画者の役割をしてきた。私の企画によってチャン・ナラはここまで来た。多くの方々が象の足だけを触ってこれだと早とちりするように「こうだ」と断定してしまうようだ。たまに、私と娘が口喧嘩するところを見ると「本当にそうだね」と言うだろう。私たちは口喧嘩をする途中でも「お父さん、ところで何食べようか」と言う、一般的な親子と変わらない。私は家族という言葉に非常に強い愛着を持っていて、今回の映画「ポラロイド」もまた家族に対する話をした。人間を許す心、その美しい面を描いてみたかった。

記者 : キム・ギョンジュ、写真 : チェ・ギュハン