オ・マンソク、舞台からドラマまで強烈な印象を残す俳優が語る #ターニングポイント #愛の不時着 #日本との縁

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1999年に演劇『ファウスト』でデビュー、ミュージカル『ヘドウィグ』の主演を2005年の韓国初演から演じ続けているオ・マンソク。『ラ・マンチャの男』『ジェントルマンズ・ガイド : 愛と殺人編』など名作の舞台で活躍する一方、ドラマにもひっぱりだこで、「愛の不時着」や「五月の青春(原題)」では悪役に徹して強烈な印象を残した。実際の性格は明るくほがらかで、現場を盛り上げるムードメーカー。ミュージカル公演やサッカー親善試合のために来日するなど、日本との縁も深い。幅広い活動を行う彼に、新人時代から現在に至るまでのエピソードを聞いた。

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――オ・マンソクさんと言えば、「愛の不時着」で演じた悪役チョ・チョルガン少佐が日本でも大きな注目を集めました。当時、人気を実感した出来事や生活の変化などはありましたか?

オ・マンソク:自分ではあまり実感がなくて……というか、生活にはそれほど変化がなかったんです(笑)。でも「見たよ」と言っていただくことが多かったですね。韓国ではたくさんのドラマが放送されていますが、「愛の不時着」に関しては最近お会いしたほとんどの方から「面白かったよ」と声をかけていただいたように思います。それで、たくさんの方に愛されたドラマだったんだなということを感じました。

――チョルガンは「愛の不時着」の中で“唯一の悪役”と言える役だったので、演じるのは大変だったのではないでしょうか?

オ・マンソク:悪いヤツは僕だけでしたよね(笑)? しんどかったですよ! たった一人ですべての悪を背負った、かなり重みのある悪役だったので……。(制作陣が)僕を信頼して多くのことを任せてくださったということなので責任感を持って楽しく演じましたが、放送を見るときは僕も僕にムカついてました(笑)。「いくらなんでもひどい」とか「やりすぎだろ」とか、チョルガンに文句を言いながら見ていましたね。

――でも、チョルガンは悲しい過去を持った人物でもありましたよね。

オ・マンソク:そうですね。生き残るために手段を選ばず、悪に手を染めた人物です。でも、悪事は悪事ですから(笑)。アハハハハハ。


「愛の不時着」で唯一の悪役を熱演!ヒョンビンから“そろそろ死んでよ”って(笑)

――「愛の不時着」に登場した北朝鮮の街並みは再現度が高いと話題になりましたが、どんなことが印象に残っていますか?

オ・マンソク:小さな村を丸ごとひとつ作ったようなセットだったので、まるで本当に北朝鮮にいるような気分になりました。印象に残っていることは……初秋ぐらいの季節という設定で撮影をしていたときに突然、大雪が降ったんです。いきなり背景が冬景色になるわけにはいかないので、雪よけのシートを上に張って、その下で演技をしました。でも、地面は雪が溶けてぐちゃぐちゃになってしまって。悪役だからカッコよくスッスッと歩いていかなきゃいけないのに、ぬかるみに足を取られて、もたついちゃうんですよ(笑)。そんな笑える思い出がありますね。

――オ・マンソクさんは「6・15統一大祝典」の公演で、実際に北朝鮮の平壌を訪問したことがあるそうですね。

オ・マンソク:はい、2005年に3泊4日ぐらいの日程で平壌に行って、歌劇『金剛』の公演をしたことがあります。許可されている範囲内で名所に行ったり、地下鉄に乗ったり、学校を見学したりもして、東明王陵というドラマ「朱蒙」のチュモンのお墓にも行きましたね。バスでの移動中に田舎道も通ったし、短い日程でしたが、いろいろな場所をめぐることができて、平壌の料理もいろいろ食べました。一般市民の方々と触れ合う機会は多くはありませんでしたが、平壌市内を数十分間、行進するという行事があったので、そのときに大通りを歩きながら手を振って挨拶を交わして。北朝鮮の有名な芸術監督さんや文化人の方々とも晩餐会などでお話しする機会があったのですが、あのとき平壌でお会いした方々の口調や立ち居振る舞いなどが、「愛の不時着」での演技にも大きく役立ちました。

――ジョンヒョク役を演じたヒョンビンさんとは、同じ芸能人野球チームで活動していたこともあるそうですが。

オ・マンソク:そうなんです。以前、同じチームで野球をしていました。それから、ヒョンビンさんは同じ高校の後輩なんですよ! 演劇部の後輩。年齢差があるので在学した時期はかぶってはいないんですが、存在は知っていました。

――親しいヒョンビンさんと対決する役を演じることになって、いかがでしたか?

オ・マンソク:大好きな弟分なので、僕はすごく嬉しかったです。知り合いでしたが、同じ作品で共演するのは初めてだったんです。ずっと趣味の活動で会うだけだったので。最初はビニ(=ヒョンビン)もすごく喜んで、楽しく撮影をしていたんですが、ドラマが進むにつれて……主人公は撮影シーンも多いし、内容的にも切ない恋愛のシーンが多くてつらいじゃないですか? へとへとなのに劇中で僕がいじめてばかりいるから、最終回近くになって言われました。「ヒョン(=兄さん)、お願いだからそろそろ死んでよ。なんでそんなに長生きなんだよ」って(笑)。

――(笑)。確かに、チョルガンはしぶとかったですよね。死んだと思いきや……。

オ・マンソク:なかなか死なないし、最期の瞬間までさんざん言いたいことを言うという……(笑)。

――「愛の不時着」で共演したピョ・チス役のヤン・ギョンウォンさん、ミョンスク役のチャン・ソヨンさんとは、ドラマ終了後にバラエティ番組「スミさん家のおかず」に出演されました。おふたりとは親交があったのでしょうか?

オ・マンソク:チャン・ソヨンさんとは以前「What's Up」というドラマでご一緒しました。チャン・ソヨンさんは短い出演シーンでしたが、僕が教授で、ソヨンさんが助教授という役だったんです。そして、ヤン・ギョンウォンさんは同じ作品に出演したことはないのですが、ミュージカル界の後輩ですし、とても誠実で性格がいいという評判を聞いていたので、いつも心の中で応援していました。共演できてとても嬉しかったですね。

――「愛の不時着」で共演したみなさんとは今も連絡を取り合っていますか?

オ・マンソク:はい。ビニとも連絡を取り合っています。メッセージをやり取りしていて、(ヤン)ギョンウォンからもときどき連絡が来ますよ。


「ぶどう畑のあの男」から15年“日本から見に来てくれるファンもいて…”

――2013年の「王家の家族たち」で演じたコミカルなキャラクターも楽しかったです。悪役を演じるとき、コミカルな役を演じるときでは、心構えなどに違いはありますか?

オ・マンソク:撮影期間中は役に入り込んでいるので、悪役のときはついナーバスになってしまう瞬間があります。そうならないようにしようと心がけていますが……。「王家の家族たち」のホ・セダルは賢い子でもないし、思いついたそばから何でもかんでも口にして面白く話すタイプだったので、普段からリラックスして何も考えずに(笑)、冗談を言いながら楽しく演じました。当時の家族のみなさんとは今でも連絡を取り合っていて、ときどき会ったりもします。すごく親密に、本当の家族のようにいい時間を過ごしたので、とても楽しい撮影でした。

――当時、流行語になったセダルの「どうにかなりそう(ミッチョボリゲンネ)」というセリフは、最初から台本にあったものだったのでしょうか?

オ・マンソク:はい、もともと台本に書かれていたのですが、脚本家さんがあのセリフを「君が流行語にしてくれたらいいな」とおっしゃっていて。監督と一緒に現場で「マンソク、ちょっといい感じにアレンジしてみて」と言われたので、10バージョンぐらい作ったんです。あれこれ試した結果、あえて攻撃的な言い方をした「ミリミリ ミッチョボリゲンネ」が「それだ! それがいい!」と採用されました(笑)。

――ドラマ「凍てついた愛」はシリアスな作品でしたが、撮影現場はとても明るい雰囲気だったそうですね。パク・チャンホン監督も「オ・マンソクさんが楽しく盛り上げてくれた」とおっしゃっていました。

オ・マンソク:撮影中は楽しく過ごそうとするタイプですね。現場ではみんな大変じゃないですか。せっかく仕事をするなら楽しくやりたいなと思って、雰囲気を明るくしようと心がけています。それでよく冗談を言ったりもするのですが、ありがたいことに監督もそういう雰囲気を引っ張っていってくださいました。「愛の不時着」のときも演じたのは悪役でしたが、撮影以外の時間はジョークを言ったり、ふざけたりしていましたね(笑)。

――ドラマの初主演作は、2006年の「ぶどう畑のあの男」ですね。日本でも人気を集め、オ・マンソクさんのファンになった人が多い作品ですが、15年前を振り返ってみていかがですか?

オ・マンソク:当時ファンになってくださった方々の中には、僕がミュージカルや演劇に出るたびに――今はコロナのせいで難しいですが――劇場まで観に来てくださって、週末に飛行機のチケットを取ってわざわざ韓国まで来てくれる方々がたくさんいらっしゃいます。その頃、僕は年1回ぐらいのペースで大阪を訪問して、在日同胞のみなさんとサッカーの親善試合をするというイベントをやっていたのですが、ファンのみなさんが競技場まで来て応援してくれたこともありました。「ぶどう畑のあの男」をきっかけに、たくさんの愛をいただけたことにとても感謝しています。


2005年から「ヘドウィグ」に出演“感じるものが毎回少しずつ違う”

――2005年には、「ヘドウィグ」でミュージカル俳優として初の新人賞を獲得されています。韓国初演から現在までずっと「ヘドウィグ」に出演されていますが、どんなお気持ちですか?

オ・マンソク:2005年の初演後、ヘドウィグコンサートを経て2012年公演、2017年からは2018年(台湾公演)、2019年……と2021年までコツコツやってきました。出演するたびに毎回ちょっとずつ気分が違うような感じがします。年をとるにつれて僕の受け止め方も変わっている気がしますし、観客のみなさんの見方も少しずつ変わっているように思います。感じるものが毎回少しずつ違っているので、何度も演じている作品ではありますが、今でも新鮮ですね。

――キャストの中でもいちばんのベテランですが、2021年の公演はいかがでしたか?

オ・マンソク:2021年は、チョ・スンウ、イ・キュヒョン、コ・ウンソン、レン(NU'EST)と僕のクインタプルキャストでした。チョ・スンウさんも初演からのメンバーです。それぞれの個性があって、少しずつ違った魅力を発揮していると思います。僕はもう年なのでフレッシュさには欠けますが……(笑)。

――何歳までヘドウィグを演じたいですか?

オ・マンソク:ほぼ最終ラインに来ているんじゃないかなと思います(笑)。体力的に何かと大変な面もあって。先日、息を吸うたびに胸が痛むので、どこか悪いのかなと思って病院で診てもらったんです。病気ではなかったのですが、なんとトマトを潰すシーンを強くやり過ぎていたのが原因らしくて。ここ4年連続で「ヘドウィグ」をやってきたので、トマトを体に叩きつけたときの衝撃が体に蓄積されていたみたいなんです。そんなこともあって、体のためにもそろそろ休むべきなのかもしれませんが……というのは冗談としても(笑)、本当にたくさんやってきたんだなぁ、と思いましたね。俳優としては欲を言えば体力が続くかぎり、観客のみなさんに受け入れていただけるかぎりずっと演じていけたら嬉しいですが、“引き際を見極める”という美徳もある気がしています。適切なタイミングを見つけたいと思っているところです。

――現在はミュージカル『ジェントルマンズ・ガイド : 愛と殺人編(A Gentleman's Guide to Love & Murder)』で、1人9役を演じていらっしゃいます。

オ・マンソク:コメディ作品で構成も巧みに組み立てられているので、体はきつくても楽しい気持ちで演じています。いざ幕が開くと、いつの間に終わったんだろうと思うほど、一瞬にして時間が過ぎ去っていくんです。最初に登場して、着替えて再登場して、また着替えて再登場して、という感じで慌ただしく早着替えをしながら、愉快にやっています。

――ジャンルを問わず、役者としてターニングポイントになった作品を選ぶとしたら?

オ・マンソク:僕にとって深い学びがあってターニングポイントとなった作品は、――もちろん『ヘドウィグ』や「ぶどう畑のあの男」にも多大な影響を受けましたが――「辛ドン 高麗中興の功臣」(2005年~2006年)というドラマです。鍛えられて、考え方が変わったり、知らなかったことを学ぶことのできた作品でした。初主演作は「ぶどう畑のあの男」でしたが、「辛ドン~」も助演として初めて大きな役をいただいたドラマで。それまでは舞台を中心に活動していて、ドラマ出演の経験がほとんどなかったので、カメラの前でどうすべきかということをまだあまりよく知らなかったんです。「辛ドン~」を撮影した約1年の間に、多くの訓練を受けたという気がします。自分がどうすればどんなふうに見えるのか。どんなふうに考えて、どんなふうに取り組めばいいのか。カメラの前での演技についてじっくり学べる時間だったので、あの作品がなかったら「ぶどう畑のあの男」の主演という機会をいただくことはなかったかもしれないとも思います。

――「辛ドン 高麗中興の功臣」の放送当時は、「あの俳優は誰⁉」とオ・マンソクさんが演じたウォンヒョン役が大きく話題を集めたと聞きました。時代劇はその後「王と私」に主演されて、「ペク・ドンス」に思悼世子役で特別出演されましたね。

オ・マンソク:ありがたいことです。今もそうですが、当時は自分の演技を見ながら「まだまだ未熟だな」と思っていたので……。「ペク・ドンス」はファンタジーですが、すごく嬉しかったです。王子を演じられる機会なんてそうそうありませんから(笑)。


日本ファンにおすすめの作品「3つともとんでもない悪人で…」

――休みの日や撮影が終わって次の作品に入るまでの準備期間はどう過ごされることが多いですか?

オ・マンソク:最近はほとんど休みがありません(笑)。休むとしても1日か2日ぐらいで、それもたまにという感じですね。ずっと忙しかったです。でも基本的には作品が一つ終わると、少し休みながら役から抜け出して、充電のために旅行をしたり、あるいはスポーツが好きなのでサッカーや野球、ゴルフをしたりして気持ちを入れ替えます。最近はコロナのせいで旅行に行ける状況ではないし、スポーツに参加する時間もあまりありませんでした。それでも合間を縫って、ときどき運動はしています。旅やスポーツで気分転換をするタイプですね。

――日本ではコロナによるおうち時間のため、韓国ドラマの人気が再燃しています。日本の視聴者におすすめしたい作品を教えてください。

オ・マンソク:日本のみなさんにはちょっと馴染みの薄い内容かもしれませんが、昨年出演した「五月の青春(原題)」という作品をおすすめしたいです。韓国の歴史がもとになったドラマで、軍事政権下の暗黒の時代が描かれています。5.18光州民主化運動について、海外の方々にも理解していただける作品だと思います。僕はまた悪役です。「凍てついた愛」「愛の不時着」「五月の青春」と悪役が続いていますが、3作品ともとんでもない悪人なんですよ。

――日本の作品もご覧になりますか? 好きな作品があれば教えてください。

オ・マンソク:三谷幸喜監督の作品が好きです。演劇では『笑の大学』が大好きで、映画では『ラヂオの時間(Welcome Back Mr. McDonald)』が好きです。昔の作品ですが。それから、中山美穂さんが出た『Love Letter』。これは韓国人みんなが好きな映画ですね(笑)。それから、日本社会の物語を裏側から見た物語として面白かったのは宮沢りえさん主演の『紙の月』。『Shall we ダンス?』も好きでした。どちらも背景が90年代初期~中盤で、バブルがはじけた後の時代を暗鬱に描き出したのが『紙の月』で、それにもかかわらず希望をもって愉快に描いたのが『Shall we ダンス?』でしたが、同じ時代を違う視点から見ているところも興味深かったし、2作品とも映画的にものすごく面白くて完成度の高い作品でした。最近見た作品では、是枝裕和監督の『海街diary』という映画が面白かったです。

――最近、オ・マンソクさんが注目している俳優は?

オ・マンソク:「五月の青春」で共演した、主演のイ・ドヒョンという俳優がとても演技がうまいんです。とても柔軟性があって。今後さらに成長していくのではないかと期待しています。それから今、僕と一緒にミュージカル『ジェントルマンズ・ガイド : 愛と殺人編(A Gentleman's Guide to Love & Murder)』をやっていて、少し前に「海街チャチャチャ」にも出演していたイ・サンイ。僕と同じ事務所に所属する俳優でもあるのですが、彼もこれからどんどん活躍を見せてくれるのではないかと思っています!


日本で忘れられない思い出「東京に1ヶ月半暮らして…」

――次にまた日本に行けるようになったら、どんなところに行きたいですか?

オ・マンソク:ぜひ行きたいと思っているのに、まだ行けていない場所があります。僕はけっこう日本のあちこちに行ったことがあって、札幌、福岡、京都、名古屋、神戸、大阪、それから広島にも行ったのですが、沖縄! 沖縄にはまだ行ったことがないんです。というわけで、ぜひ沖縄に行きたいです。

――日本での忘れられないエピソードがありましたら、お聞かせください。

オ・マンソク:ものすごくいっぱいあります。たくさんあるのですが……(しばらく考える)。だいぶ昔のことになりますが、2002年にパパ・タラフマラ(Pappa TARAHUMARA)という今は解散したダンスカンパニーの公演にゲスト出演したことがあるんです。東京の江東区の森下というところで、稽古期間も含めて1ヶ月半暮らしていました。宿舎の前に小さな居酒屋があって。お金がなかったから、いつももっきりの升酒をなみなみ注いでもらって、タコわさで呑んでいました。宿舎の部屋は狭くて息苦しいので毎日そこに通っていたのですが、僕がいつもそうやって一人で呑んでいるから、あるとき老夫婦のお二人が僕を席に呼んでくれたんです。おつまみをいくつか頼んで、お酒もごちそうしてくれて、「がんばるんだよ」と励ましてくれたことが心に残っています。優しい人が多いんだなぁと思いました。あのときはすごく嬉しかったですね。今でもタコわさは僕の好物です。

――オ・マンソクさんは、いま韓国で飲食店を経営されているそうですね。お店にいらっしゃることもあるんでしょうか?

オ・マンソク:トンカツ屋さんとブゴクッ(干し鱈スープ)屋さんです。以前は店に出ることもあったのですが、最近は時間がなくてほとんど行けずにいます。時間があるときは行くようにしていますよ。店名は僕のニックネームからつけました。トンカツ屋さんは「マンちゃんカツ」で、プゴクッ屋さんはメニューがプゴクッだけだから「プゴ・マン(=だけ)」。どちらにもマンソクの“マン”の文字を入れました。最初は舞台俳優の後輩たちが働けるように大学路にオープンしたんですが、商売がなかなか大変で、光化門のビルの地下に移転したんです。同じ地下フロアにある小さなお店です。

――今後のご予定についてお聞かせください。

オ・マンソク:今は舞台をたくさんやっているので、来年はドラマや映画に出演する予定です。まだ具体的に作品を決めているわけではありません。それから、大学で演技の講義を受け持っているので、来年も続けていくことになるかと思います。もし行ける状況になれば、日本にも行けたら嬉しいです。

――日本のファンにメッセージをお願いします。

オ・マンソク:コロナが落ち着くだろうと思っていたのですが、またぶり返してしまって残念です。それでも自分の場所でやるべきことを頑張りながら、この状況が解消されて、みなさんとお会いできる日が早くやってくることを願っています。そして、その日までどうぞお元気でいてください。どんなときも、まずは健康が大切ですから、元気にお過ごしになることをお祈りしています。まだ劇場で公演を観ていただくことはできませんが、来年はドラマや映画のいい作品でお目にかかれるように準備をしたいと思います。待っていてくださいね。

取材:藤田麗子 / 撮影:SHIM KYUTAI

記者 : Kstyle編集部