イ・スマン、HYBEと手を組んだ理由を明かす「BTSの成功は韓国国民の誇り」

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写真=Newsen DB
SMエンターテインメントのイ・スマン元総括プロデューサーが、HYBEと手を組んだ理由を明かした。

イ・スマンはSMを相手に新株及び転換社債発行禁止仮処分申請書を提出した中、3月3日に手紙を公開した。

イ・スマンは「SMの“ポストイ・スマン”は私の昔からの悩みだった。SMを私の子どもや、親戚などに継がせるのではなく、より繁栄させるこの業界の“ベスト”に渡すべきだと思った」と伝えた。

続けて「この2年間は、SMにとって一番適合した“ベスト”を探す時間だった。今の経営陣にはイ・スマンのいないSMの時代を準備すべきだと催促した」とし、「HYBE、Kakao並びに、ファンド、大企業、海外グローバル会社などがSMを欲しがり、私の元にやってきた」と明かした。

イ・スマンは「私にとって“ザ・ベスト”はHYBEだった。SMとは競争関係だったが、BTS(防弾少年団)の成功は韓国国民すべての誇りだ」とバン・シヒョクを高く評価した。

彼は「SMの猛将としての人生の第一幕を終えて、私は第二幕に移る。私のネクストはテクノロジーと文化が出会うところだ。そこに向かって私はのしのしと歩いていく」と付け加えた。

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【イ・スマン コメント全文】

「SMは私にとって挑戦であり、幸せであり、祝福だった」

愛するSMの家族の皆さん、そしてSMを愛してくださるたくさんの方々へ

1970年代、ボサボサの頭のバラード歌手になってから、私は一生を大衆と共に生きてきました。歌手として、MCとして大きく愛され、プロデューサーになった後、輩出した歌手たちがまた大衆から大きく愛されました。最近SMをめぐって起きたたくさんのことに対して申し訳なさは、そのためさらに大きいです。

1989年、SM企画を立てるとき私は、若者であり、スタートアップでした。歌が好きで、歌手に必要なシステムを現場で悩みました。音楽産業の欧米モデルを研究し、SMの会社構造を作りました。韓国型のポップ、アイドルの世界は先進国型ビジネスモデルに、韓国型人材育成モデルを組み合わせて成し遂げたものです。SMと共にJYP、YG、そしてHYBEなど、K-POPが世界で成し遂げた業績は大韓民国の奇跡であり、祝福です。

その間、いつの間にか、ヒョン・ジニョンからH.O.T.、BoA、東方神起、SUPER JUNIOR、少女時代、SHINee、EXO、Red Velvet、NCTとaespaに至るまで、その歳月の分だけ私の青春も流れていきました。

SMの“ポストイ・スマン”は、私にとって昔からの悩みでした。エンターテインメントは創意の世界です。私はSMを自分の子どもや親戚に継がせるのではなく、より繁栄させることができるこの業界の“ベスト”に渡すべきだと思いました。SMの支配構造に問題があるなら改善し、専門経営陣が必要であれば、いくらでも彼らが担当すべきだとも話しました。

私にとって“ベスト”はプロデュースです。プロデュースは、スターが誕生する瞬間まで数々の失敗に耐えて、昼晩問わない創意と情熱の世界です。ファンの胸の中に走っていって、彼らの合唱、涙、感動、そして希望を作り出すスターのステージの裏には、そのスターを発掘し、育てるプロデューサーたちの世界があります。大衆がいないとスターもいないし、スターがいないとプロデューサーはいない、プロデューサーがいないと音楽産業は成功できません。これは逆になっても同じです。

この2年間は、SMにとって一番適合した“ベスト”を探す時間でした。一方、現在の経営陣にはイ・スマンがいないSMの時代を準備しなければならないと催促しました。私はすでにSMの舞台から降りる決心をしました。HYBE、Kakaoならびにファンド、大企業、海外グローバル会社などがSMを求め、私の元にやってきました。

私にとって“ザ・ベスト”はHYBEでした。SMとは競争関係でしたが、BTSの成功は韓国の国民すべての誇りです。HYBEのバン・シヒョク議長は、私と同じ音楽プロデューサーとして、厳しい時期を経験した人です。歌手志望生たちと安い食事を済ませ、練習室に埋もれていた人、投資者を探すために山の奥まで行ったことのある経験を持つ人です。彼もまた、私のように音楽に没頭して生きて、BTSという大記録を立てた人物です。私は彼が私と同じ愛情でアーティストに接していることを感じました。多くの方々が気にしていた、私の選択の理由はそれでした。

SMの猛将としての人生の第一幕を終えて、私は第二幕に移ります。私のネクストはテクノロジーと文化が出会う場所です。そこに向かって私はのしのしと歩いていきます。

SMの家族だけでなく、今の経営陣に話します。

皆さんと一緒だった日々を、私は後悔していません。

SMは私にとって挑戦であり、幸せで、祝福でした。

私と一緒だったアーティストたちにも話したいです。

私は夢いっぱいのあなたたちに出会い、苦しみ尽きて幸せが来る時間の中で共に泣いて笑い、音楽を作りました。手先、足先まですべてのエネルギーを注いでステージに集中してパフォーマンスをして見せるあなたたちが、むしろ私の先生でした。尊敬し、誇らしく思い、感謝しています。

記者 : イ・ミンジ