FTISLAND イ・ホンギ、事務所が決めた日本留学に困惑?当時のエピソードを公開「理解できなかった」

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イ・ホンギが、所属事務所が決めた日本留学に困惑した当時を振り返った。

韓国で12月17日に放送されたJTBCバラエティ番組「知ってるお兄さん」では、FTISLANDのイ・ジェジン、イ・ホンギ、そしてキム・ヨンジャが出演した。

この日、イ・ホンギはFTISLANDが日本進出した事情を公開した。彼は「Love Sick」が成功してから突然留学に行ったことに対して「僕たちはバンドだし、年齢も若かった。会社側は、アジアでロック市場が一番大きな日本に僕たちが行って『もっと練習して、底辺から、インディーズから始めて上がってこよう』と考えたのだ」と説明した。

続いて彼は、留学について「理解できなかった」と打ち明けた。彼は「韓国では僕たちの歌がずっと流れていて、ファンの皆さんも待っているのに、誰も知らないところで……日本語も話せなくて、お金もなかった。楽器を全部持って地下鉄に乗ったり、路上や小さなライブハウスで公演をした。どうしてここまでしてるのかと思えて、(日本に)行ってすぐホームシックになった」と打ち明けた。

イ・ホンギは、それでも日本語の勉強はたくさんできたのではないかという質問に「僕はしなかった。他のメンバーたちはした」と答えた。するとカン・ホドンが日本で「一食ください」を撮影した当時、イ・ホンギの日本語がとても流暢だったことに言及しながら疑問を示すと、イ・ホンギは「それは後のこと」と答えた。

ヒチョルは「ジェジンは勉強も頑張って、学校で習ったから基本がしっかりとしている日本語を話すけど、ホンギは遊びながら学んだ野生の日本語だ」と証言した。これにソ・ジャンフンは「彼女に習った日本語じゃないか」と疑ったが、イ・ホンギはぎこちない言い方で「違う」と否定し、笑いを誘った。

写真=JTBC「知ってるお兄さん」画面キャプチャー
イ・ホンギは、メンバーたちが笑うと「日本のロックバンドと親しくなった。「日本のロックバンドと親しくなった。当時は彼らと親しくなって一緒に音楽をしたいと思ったから、なんとなく日本語が話せた。なので僕は今も日本語は読めない。聞き取りだけができる」と重ねて釈明した。

ヒチョルもイ・ホンギの留学時代のエピソードに言及し「僕と一緒にお酒を飲むと(ホンギは)毎回泣き、『ホンギ、大丈夫?』と聞くと突然『兄さんは何も知らない!』と叫んだ」と明かし、当時イ・ホンギは20代前半だったという。

同じく10代で日本に進出した経験があるキム・ヨンジャは「私は十分に理解する。日本に行くと本当に0からやり直さなければならない。全部捨てなければならない」と共感した。先立ってキム・ヨンジャは、自分も日本でホームシックになって、日本の会社員の平均月給が12万円だった時代に、1ヶ月の国際電話費用として30万円を使ったと告白した。

イ・ジェジンは、日本進出当時に辛かったことはあったかという質問に「僕は実際に留学に行った時に兄さん(イ・ホンギ)があまりにも苦しんでいて、そのせいで大変だった。いつも怒っていて、そっと触っても爆発しそうだった」と言い、笑いを誘った。

イ・ホンギは最も記憶に残っているステージとして済州(チェジュ)島でのイベントを思い浮かべた。彼は「1stアルバム『Love Sick』がヒットした時で、初めてイベントに行った。ステージに上がろうとしたらドラムがなかった。その時、ミンファンは16歳。ドラムを打つフリもできないから、仕方なく4人だけが歌を歌った。ミンファンは窓の外から僕たちが歌っているところを見ながら泣いた」と悲しくも笑えるエピソードを伝えた。

また彼はこの日、「知ってるお兄さん」にイ・ジェジンと一緒に出演したことに対して制作陣に感謝すると言いながら「世間ではFTISLANDといえば僕しか知らない方が多い」とメンバーに対する愛情を示した。

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記者 : ソ・ユナ