梁邦彦、ソロデビュー25周年を迎えて音楽活動を振り返る「日韓を行き来して活動…自己隔離は6回」

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作曲家兼ピアニストの梁邦彦が、ソロデビュー25周年を迎え、これまでの音楽活動を振り返った。

在日韓国人2世の梁邦彦はピアニスト、作曲家、音楽プロデューサーとして多方面で活動している。1996年に日本でデビューした梁邦彦は韓国と日本を行き来しながらロック、ジャズ、クラシック、国楽など、特定のジャンルにこだわらず、東洋・西洋の様々なサウンドを融合させる斬新な音楽を披露した。昨年11月30日に発売された梁邦彦の25周年記念アルバム「Light&Shadow」は2017年から2021年までのライブ音源と未発表曲を含む映像作品の音源、新曲を収録した。梁邦彦は25年間、映画、ドキュメンタリー、アニメーション、ゲーム、広告の音楽などを作りながら独創的な音楽世界を構築してきた。

最近、ソウル中(チュン)区のカンファレンスハウス「タルケビ」で行われたアルバム発売記念インタビューで梁邦彦は「後ろを振り返らない性格でずっと走ってきましたが、25周年という段階に至った時に認識しました。それだけ時間が経ったのだと。アルバムを準備しながら、私は『今までよくやった、一生懸命にやってきた』ということよりも、『こういうことはできなかったな、他のこともやらなければならない』と考えました。今回はライブと映像作品の音源でアルバムを構成しましたが、次は新曲を早くお聴かせしたいです」と伝えた。

彼はテピョンソ(太平簫、韓国の管楽器)、笛の演奏者、ソリクン(パンソリの歌い手)と共に公演を準備するなど、“クロスオーバーアーティスト”として愛されている。様々な音楽ジャンルの結合に対して梁邦彦は「今私が話したいこと、考えを表現するために楽器を選びます。韓国の伝統的な色が欲しければ伝統楽器を選び、西洋の楽器とのハーモニーを披露します。意図的にクロスオーバーさせようと思って始めたわけではないけれど、毎回新しい発見があります。西洋楽器の代わりに伝統楽器を使用することは私だけでなく、演奏者にとっても新しいことです。ミュージシャンが楽しいと思った時、シナジー(相乗効果)が生まれます。その場で生まれる音楽が私にとっては本当に大事です」と明かした。

梁邦彦が演奏曲中心のソロ音楽に邁進するようになったきっかけも話した。彼は「ソロデビューする前は、歌手のプロデューシング作業を主にやってきました。10年以上仕事をしながらレコーディングの技術やミュージシャンとのコミュニケーションなど、たくさんのことを学び、まるで工場のように音楽を作りました。ヒット曲を作るための作業をあまりにもたくさんして、少しおかしくなってしまいました。それが悪いというわけではないのですが、私の音楽人生がこれだけではないと思いました。自分の話したいこと、表現したいことを探すためにソロ活動を始めました」と打ち明けた。

「今は歌を歌う方々とたくさん付き合って、演奏曲はほとんど聴きません。親しい歌手もいますし、ロックフェスティバルも好きです。私は音楽が多様であってほしいと思います。私は演奏曲で表現していますが、たくさんの歌を聴いた後、その人がしたい話が出てくるのが作品だと思います。私は純粋な演奏曲だけでなく、国のイベント、アニメーション、ゲーム音楽の作業などに参加しながらますます成長しています。そうやって25年間続けてきて、私の現在進行形の音楽が仕上がりました。様々なコラボを通じてお互いに影響を受けています」

2年近く続いている新型コロナウイルスの感染拡大により、多くの対面公演が中止となった。観客とコミュニケーションしながら新しい意味を作っていく音楽家としては厳しい時間だったはずだ。彼はパンデミックという特殊かつ好ましくない状況に対して「25周年はアーティストとしても力の入る時期です。コロナのせいで状況が悪くなり、『これ以上やっていくのは無理だ』と思ってアルバムの構成を変えなければなりませんでした。私の音楽スタイルは現在進行形で、たくさんのことが同時に行われます。現愛の状況に従ってしばらく止まって、再び始めるようなことも多いです」と説明した。

「提案を受けたプロジェクトも、コロナのせいで中止になることがあります。中でも重要な、私の新曲の制作が途中で止まりました。2022年にはニューアルバムを必ず出して、コロナの状況が良くなってほしいです。今までライブ音源をリリースした一つの理由です。今と異なるスタイルのライブと、そうでない公演スタイルを演奏家として引き続き見せていきたいです。全体的な絵をうまく描ければならないと思うので、それと繋がる新しいアルバムは2022年には出さなければと自ら誓っています」

パンデミックは韓国と日本を行き来する彼に大きな制約になったが、一方でその分、楽器と真剣な対話をする時間が増えたという。梁邦彦は「もともと1ヶ月に2~3回は韓国に来ていましたが、パンデミック以降、あまり来れなくなりました。私は自己隔離を6回しました。往復となると隔離期間が1ヶ月になりますが、精神的におかしくなりました。日本では山の中に住んでいるから大丈夫ですが、韓国には長く住める空間があるわけではないので、人がここまでになるだんと感じました」と当時の状況を思い出した。

写真=ENDORF MUSIC
「隔離を6回するとおかしくなりました。しかし、隔離期間中に一人で過ごしながら楽器と対話する時間が増えました。これは私の内面の話ですが、『私はもっとやりたい、上に行きたい』とものすごく思いました。新しいアルバムにはこのような考えがたくさん反映されると思います。今までとは変わりました。演奏にもっと深く入りこめればいいと思っています」

CDで音楽を聴く人がますます減っていく時代。音楽界は音源中心になっていくものの、梁邦彦は相変わらずCDが与えてくれる感性を愛しているという。彼は「私はアナログ時代の人だと思います。目の前にあるジャケットやCDを見ると、少しの所有欲も出てきます。CDで音楽を聴く人は多くはないですが、新しい試みをしてみたいとも思います。今の時代の音楽が、多くの方々と様々な方式で共存してほしいです」とし「日本は不思議なことに、今でもCDが売れるんです。不思議な国です。若い人より、年配の方が今でもCDをよく買います。私は日本にファンがいますし、彼らにはCDで聴いてもらうのもいいと思っています」と正直な心を伝えた。

ミュージックフェスティバル、教会、スタジオ、文化院、競技場、博物館など様々な場所で音楽を披露した梁邦彦にとって、空間は特別な意味を持つ。彼は「公演する人にとって空間はとても大事です。特に演奏音楽の響きは本当に重要です。ソウルの前に東京公演がありました。聖堂で公演をしたのですが、響きが変わるというのは、演奏が変わるということです」とし「中央博物館の展示音楽は、その空間に展示されるものを想像しながら作りました。そこに盛り込まれた歴史や遺物などが素材になる音楽は、瞬間的に過ぎていくストーリーであるゲーム音楽とは異なります」と明かした。

ミュージカル音楽に対する情熱も示した。梁邦彦は「ミュージカル『明成皇后』の音楽を大々的に変えてみました。ミュージカルの2020年のちょうど今の次期に25周年の公演を何回かした後、中止された状態です。また始まったら、たくさんの方に注目していただきたいです。ミュージカルの音楽は初めてだったのですが、大きく変更しました。ミュージカルの編曲は練習だと総監督に言われました。次は作曲もやってほしいと言われましたが、今はミュージカル公演自体が開催しにくい状況です。でもとても面白かったのでいつか必ずチャレンジしてみたいです」と伝えた。

記者 : パク・ウンヘ