“韓国で共感度100%”ポール・キム、日本での大学生活中に音楽の道を決意「実は表参道のカフェでアルバイトもしました」

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共感を誘う歌詞と癒しのボイスが多くのリスナーから支持され、人気を博しているポール・キムが、10月にデジタルシングル「After Summer」をリリースした。大分県の大学に通い、東京でアルバイト経験があるという彼が、新曲の話はもちろん、日本での思い出や今後の活動について語ってくれた。

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――10月7日にデジタルシングル「きらびやかな季節」(After Summer)をリリースされましたが、どんな作品に仕上がりましたか?

ポール・キム:前作の「愛するあなたへ」以降8ヶ月ぶりにリリースした作品で、3曲が収録されています。どんな曲を発表しようか、今年の夏にすごく悩んだんです。これまでは、ただ僕がやりたいと思うスタイルの音楽をやってきたのですが、今回はもう少し明確にやりたいものを設定して音楽を作りたいと思いました。そんな中で、タイトル曲をCloud(구름 /クルム)さんに提供してもらいました。実は何年も前から連絡をしたかったのですが、すでにスターだったので……できませんでした(笑)。でも今回連絡させていただいたところ、すぐに曲を送ってくださいました。その曲がすごく素敵で。コロナ禍ということもあり、暗い雰囲気や複雑な音楽ではなく、気楽に聴くことができる音楽を届けたいと思っていたのですが、Cloudさんの曲もそうですし、他の2曲もそういった雰囲気の曲を選びました。

――憧れのCloudさんと音楽制作をしてみていかがでしたか?

ポール・キム:Cloudさんの音楽作業室に行きましたが、音楽制作の過程がすごく不思議な感じがしました。これまで他の方とも音楽制作はしてきましたが、音を自分の好きなように作り、使っていくのに驚き、アイデアも本当に豊富な方でした。素敵な音楽がたくさん生まれたので、そこから選ぶのが難しかったほどでした。今まで連絡するのを我慢していましたが、今回連絡して本当によかったなと思いました(笑)。基本的には歌詞を自分で書いてきましたので、これまでの曲は自分の性格に合ったものが多いんです。でも今回、Cloudさんにいただいた歌詞は、自分とは違う性格だと思いました。曲はすごく良いのに、自分とは違う性格なので、これをどう歌おうかと悩みました。嘘はついたらいけませんから。そのため、この曲を十分に理解することに集中し、それには少し時間が必要でした。

――ミュージックビデオは色彩がすごく素敵ですね。こちらはワンテイクで撮影したのですか?

ポール・キム:はい、そうです。早朝からの撮影だったため、前日の夜から行って準備していました。日の出の時間に合わせて撮影したので、あまり長い時間は撮影できない中、7~8回くらいは撮ったと思います。準備過程やリハーサルの時は大変でしたが、撮影自体は楽しかったです。次の日は皆疲れていましたが(笑)、とても良い映像が撮れたと思います。

――作詞された「Gloomy Sunday」にはどんなメッセージが込められていますか?

ポール・キム:「Gloomy Sunday」は、最初から曲に込めたいメッセージがはっきりしていました。働いている方たちは普通、金、土曜日の夜に遊びますよね。お酒を飲んだり出かけたりして、そうして遊んだ後に迎えるのが日曜日です。日曜日には何時かも分からず起きて、起きてきたら洗濯もしていないし、乾いている洗濯物もない。TVをつけても、またそのまま寝てしまったり。そういった多くの方が経験しているような日曜日の姿を考えてメロディと歌詞を作りました。それらをあまり重くなりすぎずに表現したいと思いました。

――ご自身は休日をどのように過ごすことが多いですか?

ポール・キム:ずっと家にいます(笑)。一人暮らしをして半年ほどたったのですが、思ったより洗濯物ってすぐにたまりますよね(笑)。洗濯もしなければいけないし、皿洗いもあるし、部屋にほこりもたまってしまうし。掃除は毎日するわけではないのですが、家事は少しずつやっています。


共感度の高い楽曲たち「現実的で、共感できるポイントが大事」

――「투성이(だらけ)」ではPeakboyさんが作詞・作曲に参加されています。ポール・キムさんのラブコールによって実現したそうですが、どのようにアプローチされたのですか? 制作中のエピソードがあれば教えてください。

ポール・キム:Peakboyの曲で「Walk」という曲があるんですけど、その曲がものすごく好きで、彼に「こういう曲を僕に1曲書いてよ」とお願いしていたんです。それなのに書いてくれなくて(笑)。最初は待っていたらそのうちくれるだろうと思っていたのに、ぜんぜんくれないから、次第に「なんでくれないの!?」って怒りがこみあげてきました(笑)。でも今回ついに曲をくれて、Peakboyがガイドを聴かせてくれた時、最初の歌詞からすごく気に入りました。「繰り返される日常の中で僕の心は傷だらけだね」という歌詞で始まりますが、“투성이”は日本語では「だらけ、まみれ」という意味に近いですよね。最初の小節から皆が共感できるのはないかと思いました。Peakboyの曲を長く待っていてよかったです(笑)。それから曲の中で口笛を吹く部分があるのですが、家で練習していた時はすごくよくできたのに、なぜかレコーディングの時になったらできなくて(笑)。何回もレコーディングしました。今回は自分がやるべきだと思ったのでやりましたが、終わってからは他の方に頼むべきだったかなと思いました(笑)。

――11月6・7日のソウル公演を皮切りに9つの都市で全国ツアーコンサート「투성이(だらけ)」を開催されます。久しぶりのコンサートになりますが、開催を控えて今の心境を教えてください。また、どのような準備をしていますか?

ポール・キム:ツアーをするのが久しぶりなので、今回はアンサンブルを増やして練習を一生懸命しています。公演のテーマや演出に関しても、スタッフの皆さんと話し合いを続け、変更を繰り返し、どのようにしようかと悩むこともすごく多いです。まだコロナ禍ですから、ただ喜んでやるのも違うと思いますし、だからと言ってあまりにもコロナのことを考えすぎて憂鬱になるのも嫌ですし。そういったさまざまな感情があったのでたくさん悩みましたが、一生懸命準備をしていますので、来てくれたら一緒に楽しんでいただけると思います。

――「きらびやかな季節」が複数のリアルタイムチャートで1位を獲得しただけでなく、これまでの代表曲も数多くチャートインをキープしています。多くの人々から愛される曲を作るために意識していることはありますか?

ポール・キム:歌を聴いた方が、共感できないとだめだと思っています。古い考えかもしれませんが、これまで僕が好きだった音楽は、聴いた時にいつも胸に響く何かがいつもありました。そういったものを作りたいと常に思っていますし、そのためには現実的で、共感できるポイントがなければならないと考えています。それらのバランスを取ろうと努力していますが、最近は皆さんの好みというのも多岐にわたっていますよね。ですから共感ポイントを探すのも難しくなってきていると思います。


秋に多くの名曲をリリース「毎年、秋になるとプレッシャーが(笑)」

――毎年秋になると「the Road(길)」「Me After You(너를 만나)」「empty(허전해)」「Big Heart(마음)」「Hangover(너도 아는)」など、心に響く名曲をリリースしてきました。ポール・キムさんにとって秋とはどんな季節ですか?

ポール・キム:これまで秋にたくさん曲を発表してきましたので、なんだか秋になると曲を出さなければいけないというプレッシャーがあります(笑)。でも幸いなことに、僕が表現したいと思う雰囲気が秋にすごく似合うんですよね。紅葉とか、寒くなってくる時期だとか。今年はまだ紅葉が見れないので少し残念ですね。個人的に好きな季節は春ですが、これも毎回変わります(笑)。今年は急に寒くなったので、秋がほとんどなくて冬が来るみたいな感じになりそうです。なので春、秋のような温かい季節がもうちょっと長ければいいのにという気持ちからです。

――楽曲のアイデアはどんな時に思いつくことが多いですか? 自分だけの曲作りのポイントがあれば教えてください。

ポール・キム:う~ん……制作の期限が迫ってきたら(笑)。それは冗談ですけど(笑)。例えば友達と話している時に、その友達のふと口にした言葉が自分の記憶に残ることってあるじゃないですか。そういう言葉をスマートフォンにメモしておくんです。そういう瞬間を探そうと努力しています。そのために一人でいられる場所に行きますね。あとは自然から多くのインスピレーションを得られると考えているので、海とか、山までではないですが、木がたくさんあるところに行ったりします。そこで音楽を聴きながら感じたことをメモしています。

――今後挑戦してみたいことがあれば教えてください。

ポール・キム:実は今、演技をやりたいと思っているんです(笑)。最初は感情を表現するのに役立つだろうと考えたからなんですけど、俳優さんたちの感情の幅って、ものすごく大きいと思うんです。嬉しさや悲しさを表現するのにも、深さがあると思います。そういったところを学びたいと思いましたし、やってみたいと思いました。もし挑戦するのなら、現実の世界にいそうな、やんちゃなキャラクターが面白そうだと思います。

――ご自身を形成している音楽は何だと思いますか? 聴いてきた音楽や、好きなアーティストなどを教えてください。

ポール・キム:僕が音楽を始めたのはイ・ソラ先輩の影響が大きいです。他にもキム・ドンリュル先輩、イ・ジョク先輩、ユン・ドヒョン先輩など、同じ時期に活躍されていた先輩方の音楽を聴いてきました。またIUさんの影響もすごく受けていると思います。僕が本当に好きなアーティストで、今度はどんな曲を書くのだろうかと、毎回歌詞を注意深く見ています。いつも天才的な才能を見せられるので、分析したくなります。

――数々のOST(劇中歌)を歌われていますが、ご自身はドラマをよく見ますか? お気に入りのドラマがあれば教えてください。

ポール・キム:ドラマはよく見るわけではないのですが、見る時は一気に見ます。最近だと「D.P.」を見ました。軍隊の文化も時代によって変わっていきますから、ドラマに出てくるようなことを僕が経験したとは言えませんが、共感できる部分は多かったです。軍隊で僕が感じた気持ちがドラマの中にありましたし、それが上手く表現されていると思いました。軍隊で傷ついた経験がある人はあの作品で励まされたのではないかなと思います。あとは「イカゲーム」も見ましたし、今日家に帰ったら「マイネーム」を見ようと思っています。


大学時代に東京で生活も「表参道のカフェでアルバイトを…」

――別府市の立命館アジア太平洋大学に通われていたそうですが、日本の大学を選んだきっかけは何ですか?

ポール・キム:僕はニュージーランドの高校に通いましたが、その時日本から留学生が来たんです。僕はその時、日本語は全く分からなかったのですが、なぜか寮の先生から、日本語を話せると思って通訳をお願いされたんです。おそらく韓国語と日本語は似ているだろうと考えたのでしょう。できないのにお願いされてしまったので、日本語の勉強を始めました。日本の学生たちと話していたら、自然に実力がついてきて、日本に興味を持つようになりました。それから当時、BoA先輩がすごく好きで(笑)。BoA先輩の日本語の曲もたくさん聴いていました。大学に進学を考えた時、立命館アジア太平洋大学を知り、ここなら僕のやりたいことが全部できると思いました。英語も日本語も使えると思い、進学を決めました。

――日本ではどのような生活を送っていましたか? 日本に来た時に印象に残っていることは?

ポール・キム:授業は英語と日本語でどちらか選択して受けることができますが、僕は英語で授業を受けました。卒業するためには後に日本語でも授業は受けないといけませんが、僕は卒業しませんでしたので(笑)。英語で授業は受けましたが、日本語を学ぶ授業もとっていました。大学時代は寮で生活し、その時はいつも日本の留学生と一緒にいて、日本語で会話することがすごく楽だったんです。でも今は日本語を話さなくなってからもう10年もたつので……言いたいことがうまく言葉にできないですね(笑)。思い出はたくさんありますが、特に仲の良かった友達が大阪出身で、その子の家に行ったことがあります。お父さんがおでん屋さんに連れて行ってくれたのですが、あまりにも美味しくてその味を忘れることができません。別府ではおでんを食べたことがなくて、大阪で食べて本当に感激しました。お好み焼きを自分たちで作って食べることも不思議だと思いました。あとは東京でアルバイトをしたこともあります(笑)。

――東京でも生活されたことがあったのですか?

ポール・キム:はい、4ヶ月生活しました。それも大学に通っている時でしたが、長期休暇をくっつけて一気に休みをとることができたので、それで東京に行きました。表参道にあるカフェでアルバイトをしましたが、皿洗いばかりずっとやっていて(笑)。今考えると店長さんは僕にすごくよくしてくれたのですが、当時は逃げたいと思っていました(笑)。アルバイトがない日はいろんなところに行ってみました。新宿のあたりに住んでいたので、「深夜食堂」に出てくるゴールデン街とかを見ると、当時の思い出が蘇ります。

――大学時代にイ・ソラさんのアルバムを聴いて歌手になることを決め、退学して韓国に戻られたそうですが、かなり大きな決断だったと思います。

ポール・キム:当時の僕にとって、その決断は難しいものではなかったんです。一度きりの人生なのだから、自分を幸せにする何かをやりたいと思いました。僕は感性的なところがあり、そこを生かすことのできる仕事をしたいと考えました。それで最終的に歌手になりたいと思った時、その決断に悩むことは全くありませんでした。それから今振り返ってみると、当時自分の中に鬱のような感覚もすごく小さいですがあったと思います。うつ病まではいかなくても、憂鬱な気分があって。歌手の道に進むことは、自分のための行動というか、そんな自分を助けるための行動と言いましょうか、そういう部分もあったと思います。


日本での思い出「別府に行きたいし、友達にも会いたい」

――日本の好きなアーティストや注目しているアーティストがいれば教えてください。日本の曲をカバーするならどんな曲をやってみたいですか?

ポール・キム:昔から中島美嘉さんが好きです。僕がいつもカラオケに行くと本当によく歌っていたのが中島美嘉さんの「桜色舞うころ」だったので、機会があればカバーしてみたいです。

――日本の音楽シーンはどのように見ていますか?

ポール・キム:日本の音楽シーンについてはまだよく知らないですが、日本で音楽活動をするなら、小さな公演会場から始めてそこから成長していかなければいけないと聞きました。それは僕が韓国で音楽活動をしてきた過程と同じだと思います。僕は大きな会社からかっこよくデビューしたわけでもなく、インディーズシーンからやってきたので、そういった部分では似ていると思います。もし日本に行って公演をすることを考えると、日本の方たちが僕の音楽をどのように受け止めるのか、すごく気になりますね。それにそれぞれ話し方も違う中で韓国語の曲を日本語で歌った時どうなるかとか……留学の経験があるからうまくできるような気もしますし、なんだか不思議な気分になると思いますね。

――好きな日本語があれば教えてください。

ポール・キム:「腹へった」(笑)。あとは「ピカピカ」とか「ぴったり」も可愛いと思います。「ぴったり」って、韓国語で表現しようと思っても、全く同じ意味にあたる単語がないんです。似ている表現で伝えることはできるかもしれませんが、「ぴったり」という日本語の語感を感じさせる単語はないと思います。

――別府や東京の他に、日本で行ったことのある地域はありますか? お気に入りの場所や食べ物などがあれば教えてください。

ポール・キム:大分市と京都、福岡に行きました。今になってあの時もっといろんなところに行っておけばよかったと後悔しています。食べ物だと先ほども話したお好み焼きですかね。大阪以外の場所でも食べたことはありますが、大阪のお好み焼きが一番美味しかったと思います。あとは住んでいる時は分からなかったけれど後になって感じたのが、日本のうどんが本当に美味しかった。すごく安いお店でもみんな美味しかったです。それから、友達と日をまたいで遊んで、朝に食堂に行ったのですが、生卵が出てきて。ご飯と混ぜて食べるんだと言われたのですが衝撃でした(笑)。最初は食べられそうにないと思ったのですが、醤油をたらして食べたら美味しくて。それから卵かけご飯を食べるようになりました。

――日本に行けるようになったら個人的にやりたいこと、行ってみたいところがあれば教えてください。

ポール・キム:コロナが落ち着いたら必ず別府に行きたいですし、友達にも会いたいです。大学時代の友達は仕事をしていたり、結婚した人もいるので、頻繁には連絡できないですが、時々連絡をとっています。韓国まで遊びに来てくれた友達もいます。

――最後に日本のファンの皆さんにメッセージをお願いします。

ポール・キム:もし日本のファンに会うことになったら、行く前に日本語を一生懸命練習して、きちんと日本語で話せるようになりたいと思います。まだ直接会ったことはないですが、いつも僕の歌を聴いてくれて感謝していますし、いつか日本語で曲も発表したいと思っています。(日本語で)楽しみにしていてください!

記者 : Kstyle編集部