BoA、日本語勉強のためNHKアナウンサーと同居生活も?日本進出のエピソードを告白

Newsen |

写真=SBS「伝説の舞台アーカイブK」放送画面キャプチャー
歌手のBoAが日本で成功するまでの過程を打ち明けた。

最近韓国で放送されたSBS「伝説の舞台アーカイブK」では、“韓流”から“K-POP”と呼ばれるまでの過程について再び照明を当てた。

BoAは、現地化戦略を通じて日本で成功したケースだ。彼女は「デビュー前から日本進出を念頭に置いていたと思う。トレーニング中に私だけ日本語のレッスンがあった。1999年に日本に行って、日本語、文化、ダンスのトレーニングを受けた。日本に初めて行った時はとても不思議だったし、その時に飛行機に初めて乗った」と明かした。

また「一人で(日本へ)行った。成田空港に向かったけれど、両替をしてこなかった。日本の空港ではウォンを両替してくれなかった。同じ飛行機に乗っていた乗客の中で一番親切そうな方に3万ウォンだけ3千円に両替してもらえないかと頼んだ。一番大変だったのは、韓国にはビジネス向けの日本語教材が多かった。年齢に比べて硬い日本語を使っていた」と告白した。

彼女は日本語を学ぶためにNHKのアナウンサーの家庭で一緒に暮らしたという。BoAは「私より20歳、30歳以上年上の方々と生活して、大人であるふりをしながら、その状況を過ごさなければならなかったのが、一番大変だった。しかも、あの頃は国際電話じゃないと通話ができなかった。1年ほどお母さんと手紙でやり取りした。今振り返ってみれば、どのようにして乗り越えられたか分からない」と語った。

彼女は一度で成功したわけではない。デビュー1年目に事務所が期待していたほどの売り上げを出せず、その状況で「Listen to my heart」をレコーディングしたという。その後、韓国に戻って検定試験を準備していた途中に、「Listen to my heart」がオリコンデイリーチャート3位にランクインしたのだ。CMソングとして起用され大きな人気を博し、BoAは再び日本に向かった。彼女は「一日一日が夢みたいだった。渋谷のデパートでゲリラコンサートをしたら、街中がびっしりと人で埋まった。ダンサーもなしに歌を歌った。人がいっぱい集まっているのを見て、私ってうまくいっているんだな、と思った」と、当時を振り返った。

BoAは「日本のアイドルは主にかわいらしい曲を歌っていた。10代の少女がここまでパワフルなパフォーマンスをしながら歌うのが新鮮だったのだと思う」とし、自身の成功の秘訣に言及。そして「日本で2003年に初のコンサートを開いた。ホールツアーだったけど、チケットがあまりにも早く売り切れになって、代々木競技場に会場を移さなければならなかった。席が完全に埋まった公演だった。あの時の公演が一番記憶に残っている。初めてというのは誰にとっても忘れられない瞬間だから」と話した。

・BoA、ステージ恐怖症を告白「日本のデビューショーケースで…」

・BoA、14歳で日本へ行った当時のエピソードを公開「両替ができずに困って…」

記者 : パク・ジョンミン