パク・ヘス、いじめ疑惑に反論“次々と嘘の証言…暴露者から被害にあっていた”

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写真=TVレポート DB
パク・ヘスがいじめ疑惑について反論した。

パク・ヘスは7日、自身のInstagramに「この書き込みを掲載するまで、本当に長い時間がかかりました。事実ではないため、通り過ぎること信じて待っている間に、次から次へと嘘を吐き、新たな嘘を産み、それが山のように積み重なり、ますます高くなっていきました」と長文のコメントを掲載した。

続いて「事実と関係のない写真1、2枚が“認証”として力を得て、偽りの暴露が消すことの難しい偏見を生み出す過程を見ながら、苦しかったです」とし、「私が長い間、出られなかった理由はすでに取返しのつかないほど大きくなった偏見の中で、私の言葉に力がないということを知っていたからです。言葉に力を加えるために、多くの証拠が出されたにもかかわらず、事実が事実として受け入れられないことを見て、こうしてコメントを掲載することになりました」と明かした。

さらに「中2の時、アメリカに留学に行き、交換留学生として生活をして、翌年韓国に戻ることになりました。知っている人が誰もいないところで学校生活を始めた私に、初めて経験する恐ろしいことが起き始めました」とし、「江北(カンブク)から転校してきて、(他の同級生より)1歳年上で、アメリカに留学に行ってきたという“事実”に、悪意を持つ人からの偽りが付きまとい、私に関する噂が素早く広まりました。2~3人にだけ教えていた電話番号があちらこちらにばらまかれ、毎朝目覚めると、ひどい悪口とセクハラが書かれたメッセージが届いていました」と吐露した。

パク・ヘスはまた「いじめはますますひどくなり、ご飯を食べているのに給食トレーをひっくり返して制服に食べ物が全部こぼれたり、廊下を通るとぶつかってきたり、後ろで悪口を言われました。『ただ、目障りだから』という理由で、3年生の廊下に呼ばれて、多くの人が見ている前で頭を叩きながら、『殴りたい』『3年生だとしても殴っていただろう』と言われました」と重ねて主張した。そのため、3年間定期的に相談を受けなければならなかったという。

合わせて「転校してきたとき、最初に私の給食のトレーをひっくり返し、通ると悪口を言っていた人が、現在、被害者と主張する人です」とし、「その後、3年生の時に和解し、お互い連絡がなかった今までも、私たちが和解したのは、学生時代の友情だと思っていました。ここまで状況が流れていった以上、法的にすべてを判断するのは避けられないと思いますが、一時期は友達だったのに、なぜこうならなければならないのかと思うと、本当に心が痛いです」と吐き出した。

最後に彼女は「今回のことを見守っていた間、私は自分の心の中の深くに隠しておいた、噂といじめの中で傷ついた小さいころの自分自身を思い出しました。こうして表に出る職業を選ばなかったら、私も誰かに私の凄まじい記憶について訴えたかったかもしれません」とし、「長い時間がかかっても、ゆっくり一つ一つ明かしていき、結局はこれらすべてが過ぎていくことを信じています。どうか、これからも事実を事実の通り、しっかり見ていたくことを切実にお願いします」と強く訴えた。

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【パク・ヘス Instagramコメント全文】

こんにちは。パク・ヘスです。

この書き込みを掲載するまで、本当に長い時間がかかりました。こうして話すまであまりにも長い時間がかかったこと、申し訳ありません。書いては消すことを何度も繰り返しました。事実ではないため、通り過ぎること信じて待っている間に、次から次へと嘘を吐き、新たな嘘を産み、それが山のように積み重なり、ますます高くなっていきました。事実と関係のない写真1、2枚が“認証”として力を得て、偽りの暴露が消すことの難しい偏見を生み出す過程を見ながら、苦しかったです。

私が直接、自分で話すことを多くの方々が待っていたことを知っています。それでも長い間、出られなかった理由はすでに取返しのつかないほど大きくなった偏見の中で、私の言葉に力がないということを知っていたからです。言葉に力を加えるために、多くの証拠が出されたにもかかわらず、事実が事実として受け入れられないことを見て、こうしてコメントを掲載することになりました。

私は、偽りや噂が広まり、それらがまるで事実かのように人々に刻まれることをすでに過去、一度経験したことがあります。そのため、人の口から出た無数の嘘を一つ、一つ元に戻すのがどれだけ難しいことなのか、良く知っています。

私は2008年、中学2年生の時にアメリカに留学に行き、交換留学生として生活をして、翌年韓国に戻ることになりました。韓国に帰ってきて、元々暮らしていた町を離れて転校し、2009年7月に見慣れない学校に中学2年として復学しました。知っている人が誰もいないところで学校生活を始めた私に、初めて経験する恐ろしいことが起き始めました。

江北から転校してきて、1歳年上で、アメリカに留学に行ってきたという“事実”に、悪意を持つ人からの偽りが付きまとい、私に関する噂が素早く広まりました。「アメリカに妊娠して中絶手術をしに行ったそうだ」「アメリカに行ったことはなく、前の町で行いが悪くて留年した」という噂がまるで事実かのように私に付きまとうようになりました。2~3人にだけ教えていた電話番号があちらこちらにばらまかれ、毎朝目覚めると、ひどい悪口とセクハラが書かれたメッセージが届いていました。朝目覚めると、恐る恐る携帯電話を確認し、親に内緒で声を上げずに泣いていた時を思い出します。

前の学校では普通の生徒として、友達と先生たちに愛されながら、良い思い出だけだった私にとって、その時間は耐えられないほど過酷な時間でした。アメリカでは一週間前ぐらいに、登校日でもないのに、担任の先生とクラスの友達が集まって、サプライズの送別会を開いてくれて、幸せを感じながら友達と写真を撮り、ケーキのロウソクを消していた私が、この不慣れな町に来てなぜこんな待遇を受けなければならないのか、誰を責めるべきなのかわからず、とても苦しかったです。理由がわからないいじめは本当につらかったのですが、私の教育のために引っ越しを決意した親にどうしても話せず、誰にも打ち明けられずに、一人で苦しんでいました。

いじめはますますひどくなり、ご飯を食べているのに給食トレーをひっくり返して制服に食べ物が全部こぼれたり、廊下を通るとぶつかってきたり、後ろで悪口を言われました。「ただ、目障りだから」という理由で、3年生の廊下に呼ばれて、多くの人が見ている前で頭を叩きながら、「殴りたい」「3年生だとしても殴っていただろう」と言われました。

しかし、そのような状況でも私が耐えられたのは、手を差し伸べてくれた何人かの心温かな友達がいたからです。私に関する噂や偏見よりも、ありのままの私を見てくれて、好いてくれる友達のおかげで、より良い学校生活がおくれました。それでも、癒せない心の傷のため、相談センターに3年間相談をしました。定期的に相談をしながら、それまでの傷を癒すことができました。偽りの噂で憎まれ、いじめられながら、他人に対する恨みが自分に向かい、結局自分を憎み、憎悪しそうになった気持ちを慰めることができました。

転校してきたとき、最初に私の給食のトレーをひっくり返し、通ると悪口を言っていた人が、現在、被害者と主張する人です。その後、3年生の時に和解し、お互い連絡がなかった今までも、私たちが和解したのは、学生時代の友情だと思っていました。ここまで状況が流れていった以上、法的にすべてを判断するのは避けられないと思いますが、一時期は友達だったのに、なぜこうならなければならないのかと思うと、本当に心が痛いです。

その子の友達が、群れをつくって私のInstagramアカウントに駆け付け、偽りのコメントをつけ、すべての嘘の種をまきました。インターネットで出回っている匿名の話もInstagramアカウントのキャプチャー画面を掲載したものです。身分も、出所もわからない話がすべて事実かのようにインターネットに出回っています。

Instagramのコメントから2回にわたるインタビューまで、刻々と変わる信憑性のない話で、私を壊そうとするこの子に「なぜそうしなければならないのか」「これを通じて得るものが何か」を聞きたいです。私が崩れ、壊れることを願いながらやっているこのすべての行動にも私は揺るがず、何ヶ月の時間がかかっても必ず真実を明かします。

数十人いるという被害者の集まりも、上の話のように実体のない存在と見られ、その中の人数についてもそのトークルーム内部から情報が入ってきています。今は出回っているすべての嘘の主張について一つ一つコメントをつけ、コメントを明かすことは意味がないことに感じられ、これについてこれ以上待ったり、妥協しないで動きます。

今回のことを見守っていた間、私は自分の心の中の深くに隠しておいた、噂といじめの中で傷ついた小さいころの自分自身を思い出しました。こうして表に出る職業を選ばなかったら、私も誰かに私の凄まじい記憶について訴えたかったかもしれません。

しかし、偽りの暴露とそれによって続く分別のない誹謗も誰かに対する同じ暴力であるということ、必ず覚えておいてください。被害者と主張する人たちの過ぎた過ちに関する具体的な情報提供がありましたが、それに関する内容を公論化するのも同じだと思うので、望んでいません。

私に関する議論のため、被害を被っているKBSと「Dear M」の関係者の皆さん、俳優の皆さん、すべてのスタッフの皆さんに心からお詫び申し上げます。何日間、何も話せない間も私を支持し、応援してくださる多くの方々に、心から感謝しています。おかげで苦しみの中でも立ち上がって、状況をしっかり見て、着実に準備することができました。長い時間がかかっても、ゆっくり一つ一つ明かしていき、結局はこれらすべてが過ぎていくことを信じています。どうか、これからも事実を事実の通り、しっかり見ていたくことを切実にお願いします。コメントがとても長くなりましたね。読んでいただき、ありがとうございました。

記者 : イ・ヘミ